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74. これ以上「主人公の何々」っていう属性を付けてどうしようというのだろうか

 遊びというものがよくわからない飛逆は、とりあえず水球をやってみようとヒューリァに持ちかけて、実際にやってみたのだがちっとも盛り上がらない。


 さもありなん。

 二人とも身体能力が高すぎて、加減しないと、たとえ炎を使わなくても爆発にしか見えない水しぶきが上がったりするし、ゲームが成立しないのだ。そもそも二人でやって楽しい競技でもない。


 似たような理由で競泳も楽しくない。遊びは遊びなりに真剣にやらなければ面白くないし、最後に立っていた方が勝ちという明確なルールのある戦闘と違って、レフェリーがいないと公平さを欠くので賭け事も成立しない。


 結局、ボートの上で滝が生み出す波にのんびり揺られている。


 お互いがそれぞれのボートから落ちたら負けというルールでボールのやりとりをしようと試みたものの、これは単純に、飛逆たちがこうした娯楽的行動に興を見いだせない種類であることが判明しただけだった。ボートが転覆しないように加減を利かせるのは、この滝の生み出す波のために中々の難易度で、面白くないわけではなかったのだがすぐ飽きてしまったのである。


 ヒューリァの水着が見れて、実際に泳いでいるところも見れて、水に濡れたところも(略)だったので、飛逆はすでに満足している。


 ヒューリァは元々、この行楽にそこまで積極的ではなかった。


 お互いに、無理をしてまで遊び方の案を捻出する気力が根本的になかったのである。クリーチャーと出くわしたときが一番盛り上がったということになり、それを出オチと言わずになんと言えばいいのか。


 結局こうやってのんびりするだけになるのは必然的な帰結だった。


「そろそろお弁当でも食べるか……」

「……だね」


 やや間があったものの、ヒューリァの同意を受けて食事にすることにしたのだが、一応まだ行楽ということに拘りを持ちたいところ。単に昇ってそこにシートを敷いてお弁当を並べるだけというのもつまらない話だ。新鮮味がない。


 だからといってボートの上で食べるのは、波のせいで揺れる中でお弁当を突き合うというのもバカバカしい。食事に味以外のチャレンジ精神など要らないのである。


「あー……隠し部屋を見つけてからにするか?」

 どうせ隠し部屋もいかにも建造物なのだろうが、せっかくなので。

「隠し部屋?」

「なんかあるらしい。他にも滝があるんだったら話は別だけど、滝壺の下だったか」


イルスからの情報である。考えてみたらどういう風に水の中に部屋があるのか、多少は興味を引かれるところである。


 どうやって見つけたのかは、簡単な話だろう。『流体操作』を使えばいい。


 一旦昇って、モンスター赤毛狼から手綱を取ってくる。


 三つある滝口の中央の水を割っていくと、なるほど、底のほうに細い割れ目がある。押してみると、スライドしてヒト一人がようやく通れるような水路が現れた。


 一応念のため、毒の血を垂らして攪拌してから、潜っていってみる。


 すると、水路は徐々に広がっていき、曲がりくねりながら上の方に向かっていた。


 そうして、水のない空間に出た。


 真っ暗だ。


 ここまで遮光されている空間というのも、考えてみれば久しぶりである。屋敷は雨戸を閉めても若干光が入り込むようにあえて設計してあるからだ。

 というか予想外だった。他にも隠し部屋を見つけたことがなかったわけではないが、のんびり探索したことがない。隠し扉を開きっぱなしで捜索するなどしていたため、こうまで光がないと想像していなかった。暗視技術があっても僅かな光もなければ見通すのは難しい。


 大した問題でもないが。


 水の中から右腕を持ち上げて、炎を灯す。こんな密閉空間で火を付けっぱなしにしていたら普通だと一酸化炭素中毒が心配だが、この炎は酸素を要さないのでかなりの長時間灯し続けていなければ問題はないだろう。室温以下には厳しいが、熱も下げられる(正確には熱が生じる端から回収している)。そもそも飛逆たちには空気の組成は快不快の程度問題でしかない。


 そうやって見渡してみると――


「何もないって嘘じゃん。あの万年中間管理職野郎」


 ここにいないイルスに悪態を吐く。


 いやまあ、単に発見できなかっただけなのだろうが。

 ここを最初に発見した者が誰だったのかはわからないが、おそらく『流体操作』で水を分け入ってきたのだろうことは想像に難くない。というか普通の人間ではまず息が続かないからそれしか可能性はない。つまりコストが低くない。

 それに他の隠し部屋に比べてもここは見つけるのが難しい方だろうから、見つかったのは他に比べて遅いだろう。すると先入観が働く。『隠し部屋には何もない』という意識だ。そんな先入観がある中で、真っ暗な空間に火を点しながら入念に探索をするかというと、否だろう。

 帰りにも『流体操作』が必要なわけで、クリーチャーが再ポップする前までに戻らなければならないというタイムリミットもある。さすがにあの水路の入り口付近を塞がれては厄介だからだ。クリーチャーを警戒するならパーティー全員で探索するということはありえず、見張りが最低でも二人は必要で、その二人は滝を割り、水を除け続けるために『流体操作』を交互に使い続けなければならない。ちなみに採集者の基本パーティーは三~五人構成だ。充分な探索をする余裕などは全くないわけだ。


 こうやって考えてみれば、発見されていないのも致し方がない。


 納得したところでヒューリァを呼びに一旦戻る。

 落ち着けそうならばここで食事にするつもりだったが、これはヒューリァにも見せておいた方が良いだろう。


 そうして連れてきたのだが、ヒューリァもすぐにはこれが何かわからなかったようだ。

 だが、滝を割って水を避けることを止めているため、飛逆が先ほど来たときよりも遙かに見やすくなっている。水位が上がっているのだ。


 どうやら採集者が見つけられなかった最大の理由はこれだ。彼らは水を水路からも除けて、この空間に出たのだろう。すると大分高さが違う。


 あるいは彼らは、今飛逆たちの浸かっている水のある空間を以て隠し部屋と判断したのかもしれない。


 だから、本当の『部屋』を見てもいなかったのだ。


「つっても、これを『何かあった』に入れていいのかはわからんけどな」


 『部屋』に上がり、明かりがあれば一目瞭然のそれを前に、ぼやく。


「これ……」

 ヒューリァは呆然としたように呟くが、驚いているというより、これが何かわからないと行った様子だ。


 見渡す限りのそれをしゃがみ込んで手にとり、ざらざらと手の平から零してみて、ようやくこれが何かを得心したようだ。


「そう。珊瑚礁の死骸だ」


 ヒューリァが答えを口に出す前に、正解を告げた。


「……え?」

「ん?」

 何故か疑問の声と共に見上げられるので、首を傾げて返す。


「ええと、砂だよね」

「というかだから、珊瑚の死骸。その粉末」

「え?」

「ん?」


 何も食い違っていないはずなのに、認識が食い違っているようだ。


「俺は、こんなところに珊瑚礁、つまり生き物の死骸が敷き詰められていることを不思議がっているんだが」

「わたしは、こんなところに砂があるってなんの意味があるんだろうって」


 やっぱり何も食い違っていない。


 飛逆もしゃがんで砂を手に取ってみる。粒が大きいので指先で割って、断面などを視力強化(光学顕微鏡レベル)しながらよくよく観察すると、やはり生物的痕跡が散見できた。


「人工物だったら、別に不思議じゃないんだけどな。滝がある時点で変だから、その延長線上のことだって思えた。けど、これは生物が生息していた痕跡だ。塔の中でそれは考えづらいから、わざわざ生物的痕跡まで塔が再現しているってことになる。単に白っぽい砂を再現するだけなら炭酸カルシウムでも用意すれば良いんだから、細胞の残骸とか共生植物の細胞小器官まで再現する必要がない」


「何言ってるのかぜんぜんわかんない」

「大丈夫だ。俺もこれが何を意味しているのかさっぱりわからん」


 何か引っかかるところはあるのだが。


「そういうことじゃないんだけど」

 ヒューリァと同じことしか言っていないのに何がだろう?


「ま、どうでもいい。考えるのは明日以降にして、今はとりあえず、ここで弁当にしようか」

「こんな暗くて荷物持ち込むのが大変なところで?」


 言われてみれば、その通りだ。お弁当がぐちゃぐちゃになっては元も子もない。

 滝の圧力を受けて波立つ水がこの砂場に多少流れ込んできていて、潮の波打ち際のような情緒があると言えばそうなのだが、いかんせん暗すぎる。それはどうにか解決することができるが、後者の、荷物を運び入れる手間を考えるとマイナスだ。


「花火とかするんだったら、悪くないロケーションなんだが」


 四六時中花火やってるような飛逆たちがそれをしても娯楽にならない。ある種の職業病であった。違うが。というか死骸とか言って雰囲気をぶちこわすことを無自覚にしでかしている飛逆がそれを提案しても今更というか始まる前から終わっていた。


 珊瑚礁の死骸群以外には目に付くものも見当たらないことを一応確かめてから、結局、何も得る物もないまま部屋を後にした。


「なんかイベントみたいのが企画されてたのかもな」


 結局、適当なシートを敷いてお弁当を食べる準備をしながら不意に零す。


「どういう?」

「ミリスが言ってたんだが、この塔の中は『まるでプログラマーが途中で投げ出したゲームみたい』なんだそうだ」


 当時は余裕がなかったので流していたが、よくよく思い返せばこれは中々重大な示唆が含まれている。


「えっと、よくわかんないけど、つまりは未完成ってこと?」

「そう。やりかけで放置されていることが結構ある。少なくともそうと受け取れる痕跡が散見できる」


「……もしかしてって思ってたけど、やっぱりこの塔って管理者がもういない? アドミニストレータ、だっけ?」

設計者(プログラマー)管理者(アドミニストレータ)は別々だって可能性はあるから、なんとも言えないけどな」


「じゃあ、ひさかが千五百階層より上を目指さないのって」


 どうやらこれまでそれが疑問だったらしい。

 管理者がどうせ不在だから、目指しても意味がないと考えているのかと。


「いや、千五百階層まではすでに『攻略済み』であると塔も認識していて、こっちに目が来ていないだけって可能性があるからだ。新しい階層を開拓しようとすると、今までの塔内の法則が変わってしまうまでのことがありえる」


 意味が無くても赤毛狼だけを上層に向かわせるくらいはまるで損がないのだ。むしろ飛逆の体感から言えば後千階層くらいは赤毛狼だけで余裕で踏破できる見込みであり、戦力増強の観点で言えばむしろ向かわせるべきなのである。


「えっと」

「この、管理者と呼べる存在が複数いる可能性も、このことに関係している。簡単に言うと、俺たちを召喚した存在と、現在の塔の管理者は、別々って可能性がある。思惑まで、それぞれで違うって可能性が、あるんだ」

「……ああ!」


 気付いたらしい。なぜ飛逆が軽々しくこれについて検証しようとしないのかも、理解したことだろう。飛逆も神樹の主と塔の管理者が別々だということに気付くまで、この可能性には気付いていなかった。


「まあ、それももしかしたら、ダークエルフを捕らえればわかるかもしれないことだから、まずは捕まえないと検討もできない」


 もっと言えば、攻略を避けることも考えている。まだ口に出すほどの確信がないのだが。


 そうこうしている間に、蓋を開けていないお弁当を並べ終える。

 このお弁当交換会を開くに当たって、飛逆はヒューリァに八つのお弁当箱を渡してある。形はそれぞれ違い、内容でそれぞれ使い分けるようにと用意したつもりだったのだが、ヒューリァは八つ全部使ったらしい。


「全部使えって意味で渡したつもりはなかったんだが」

「でもひさかも全部使ってるじゃない」


 きょとんとした顔で、自分のほうに並べた飛逆作のお弁当箱を見下ろす。


「食べきれないことはないから、まあいいんだけどな」


 ただ、なんとなく嫌な予感がするだけで。共栓試験管式の密封容器なので、匂いも漏れないはずなのだが、なにやら微妙に、漏れてきている気がするのだ。


 ともあれ、ご開帳である。


 息を合わせて手前のお弁当箱を開けてみると――


「……赤い」


 飛逆の手前のそれは、鮮烈なまでに赤かった。


「ひさかもお肉にしたんだ」

 ヒューリァは自分の方を開けて、特別な反応は示さない。


 どうやら飛逆の方のも内容は肉らしい。けれど赤い。赤いので埋もれて肉なのだとわからない。飛逆の人外鼻腔にも痛みを伴って刺さるこの匂いは間違いなく、唐辛子のそれだろう。


「カプサイシン、たっぷりだな……」

 呻くように言う。


「? お弁当ってこういうものじゃないの?」

「いや……」


 とりあえず他のお弁当も開帳してみる。


 色とりどりだ。


 緑色だったり黄色だったり、なんか土留色っぽかったり、とにかく濃い色が何か異様な威圧感を放っている。黒っぽいのは、おそらく胡椒だろう。


 つまりは香辛料漬け。


「つまりあれか。ヒューリァは、お弁当というのを、携行糧秣であると理解していたんだな」


「え? 何か間違ってた? ひさかのも脂たっぷりで、そういうののつもりじゃなかった?」


 確かに携行糧秣は脂身なんかを固めた種類も、まあ昔は一般的にあった。けれど丹精込めて作ったお弁当がそれと同一視されるのは、なんだか割に合わない気がする。


「何も間違っていないのにどうしてこうも違う感があるんだろう……」

「え? え? お弁当って贅沢した糧秣食のことじゃないの?」

「うん。俺が悪かった。そうだよな。ヒューリァはそう考えるよな」


 予想して然るべきだった。ヒューリァの元の世界の文明レベルではそうなる。


「ぅ……やっぱり香辛料、入れすぎ? 作ったことはなかったから見様見真似だったんだけど」


 確かに、まさしく今漬けている最中ですよと言わんばかりの香辛料の量であり、糧秣として見てもおかしなところはある。おそらくはそこが贅沢をしたところなのだろう。彼女にとって香辛料は高価な物なのだ。


「問題が違うが……まあいいか」


 お弁当がどうのとか言わず、バーベキューとかにすればよかったと省みても後の祭りだ。それならあの暗い砂浜でも、ロケーション的によかったのに。


「な、なんかわかんないけど、ごめんなさい」

「いや、謝るようなことじゃないんだ。ただ、こんなところでカルチャーギャップを感じることになるとは思ってなかったんでな。自分の見込みの甘さにちょっと凹まされてただけだ」


 不味いのが来るかもとは思っていたが、斜め上を行かれてしまった。


 自前のチョップスティックスを、唐辛子が混ざった食物油の海の底に沈め、カップラーメンのチャーシュー並みにぺらぺらの肉片を掬い上げる。


 そして食ってみた。

 生肉だった。


「うん……マグマ喰ったような、って表現にしようかと思ったけど、さすがに違うな」


 実際にマグマ喰った男は呟く。ただ、味を感じないところは同じかもしれない。辛味は味覚ではなく痛覚刺激でしかないため、攻撃と認識して謎の防御力がブロックしてしまっているようだ。あるはずの唐辛子自体や肉の味も感じない。風味だけが口から鼻腔を抜けていく。カプサイシンによって副交感神経系がブロックされていくのをブロックするという感覚が後から付いて来た。


 有り体に言えば食い物を食っている気が全くしなかった。


「えっと、食べなくてもいいよ? 何か違うんでしょ?」

「ヒューリァこそ、食べないのか?」


 正直言って旨い物ではないので、疑問系に疑問系で返す。


「あ、うん……よく見たら、すごいね。すごく、なんか、ちゃんとしてる……わたしのと、よく見たら全然違う」


 ミリスのごり押しによって肉以外の彩り(緑黄色野菜のスライス)も添えてあるのは、どうやら正解だったらしい。

 けれどヒューリァも草は食べるものではないと認識しているのか、箸(使えるらしい)を器用に使って草を除け、肉を裂く。


「うわ、柔らかい……なにこれ」口に入れる。「うわ、舌先で融けるし、見た目と違って脂っぽくないし、しつこくない」

「さすがに冷えた油は美味しくないからな。融点が低いの以外はなるべく取り除いてある」


 体温を目安にして選り分けた。一番苦労したところである。

 具体的には選り分けた脂を、サシを入れるようにしてごくごく細い注射器で注入したり(水の数倍以上の圧力が必要なのでこれには本気で細かい調整に苦労した)、コラーゲンの膜で作った小さな粒の中に封入したものを焼いたハンバーグチーズの中に入れたり、色々と工夫したのである。調味料なんかも似たような手法で味や食感に変化を与えている。


「なんか、お弁当って、こういうものってこと?」

「うんまあ……ここまでやるのは滅多にいないと思うが」


 我が事ながら、ちょっと凝りすぎた。いつでも温めることができる飛逆たちだから、あえて冷めても美味しいお弁当というものを目指したのである。


 たまに感嘆の呻きを漏らしながらもヒューリァはパクパクと食べていく。


 苦労した物を美味しそうに食べてもらえるのはやっぱり嬉しいので、飛逆もこっそりと香辛料漬けのお弁当をさっさと片付けていく。さすがにお為ごかしは言えないが、ヒューリァの苦労した物なのだ。しっかりいただいた。


 いつの間にか箸を止めたヒューリァがなぜだかじっとこちらを見詰めている。


「どうした?」

「ん……」


 逡巡した様子を見せた後、自分の分のお弁当箱をこちらに寄せてきた。


「食いきれないか?」

「そうじゃないけど」


 まあわかっている。遠慮しているのだ。


「君のために作った物だから、全部食べてもらえた方が俺としては嬉しい」

「そういう、もの?」

 と飛逆の方のお弁当箱を見下ろして、申し訳なさそうな、微妙な顔になった。大量の香辛料以外は食べ終えられていることの理由を察したのだろう。


「今度一緒に料理でも研究するか?」

「うん……」

 落ち込んでしまっている。頷いただけというような気のない返事だった。


 何を考えているのかはわかる。ここに来る途中で言っていたことだ。

 飛逆も考える。


 確かに客観的に見て、飛逆はできることの範囲が広い。多芸と言ってもいいだろう。

 対してヒューリァは、なるほど、日常生活で役に立つことは、できないわけではないまでも、上手にはできないようだ。

 素直な感想を言えば、そんなものは知識量と場数の問題であり、やってればその内上手くできるようになる。だから悩むほどのことではないし、悩む暇があれば実践を繰り返すほうがよほど建設的だ。なんだかんだで『学ぶ方法』を知っているヒューリァならば、それは間違いない。得難いのは知識や場数よりも、その『学ぶ方法』なのだから。


 まあ、問題があるとすれば、試行を繰り返すというその必要があるかどうかということだ。


 少なくとも料理に関してはぶっちゃけできなくてもいい。そもそも自分たちは、普段から食事を摂る習慣さえも失せている怪物なのだから。


 そして確かなことは、飛逆にとってヒューリァは、その理由を言語化できないほどに『必要』な存在であるということ。


 そんな飛逆にとってヒューリァがそういうことをできる必要は、ない。


 やりたいというのを止めはしないけれど、積極的にできるようにしてあげたいとも思わない。それどころか、こうやって落ち込むところも可愛いとか寝惚けたことを思う始末だ。


 ヒューリァが食べ終えた辺りで、ケーキを赤毛狼に持ってこさせる。


「す、すご……っ!」


「あ、わかるんだ」

 てっきりケーキもわからないと思っていた飛逆はちょっと拍子抜けした。


「え? うん。こんなすごいのは初めて見たけど、穀物のパテをなんかで膨らませたのと、何かのお乳から採ったのを泡立てたのでしょ?」


 ヒューリァが目をキラキラさせている。

 たかがケーキでこんな反応が見られるとは思っていなかった。


「昔一回だけ食べたことあって……もう……すごかったから……なんとか自分で作ろうって思って調べて……いつか、って思ってたのに……すごいよ、ひさか」


 思った以上に喜んでもらえている。それがミリスの提案によるものでなければもう少し素直に飛逆も喜べたのだが、わざわざ水を差すこともないので黙って切り分けて、差し出す。


 震える手でヒューリァは匙を入れ、口に運び、ぽかん、とだらしなく口を開けっ放しにした。


 気のせいか、目尻に涙が浮いている――と、ぽろり、ぽろりとその雫を溢すではないか。


 確かにヒューリァを喜ばせるために用意したものだったが、劇的とさえ言えるこの反応に意表を衝かれて、してやったりと思えない飛逆である。


「なにこれ~……すごい、すごいよ~……甘いし、甘いだけじゃなくてちゃんと味するし~」


 急ぎすぎず、けれど決して遅くないペースでヒューリァはケーキを口に運ぶ。

 その感動っぷりにちょっと気圧されながらも、飛逆は魔法瓶(自作)からレモンティーをカップに注ぎ、差し出す。


 一皿食べ終えたヒューリァは、まだグスグスと言いながらそれを飲んで、ほうっと息を吐き、無言で空っぽの皿を飛逆に差し出してくる。


 目が嘆願していた。おかわりだ。

 飛逆は無言でホールごと差し出す。


 甘い物が嫌いではない飛逆だが、あえて食べたいとは思わない。だからヒューリァが最初は遠慮しているのを杞憂だと言ったら、今度は静かに、けれど速やかにホールの残りは片付けられてしまった。


 飴の一欠片も残らず、生クリームさえ舐めたかのように(食べ終える瞬間を何故か飛逆は見逃している)、すっかりキレイになってしまっていた。


 ヒューリァは歓びの方向に感極まるとむしろ静かになるんだな、とか新しい側面を発見した気分になったが、なんかあんまり嬉しくないのはなんでだろう?


 本気で謎だった。


 不思議がっていると、ヒューリァが意を決したように、


「ひさか、どうかお師匠になってください。お料理」


 三つ指突いてお辞儀していた。


 その茶道的な作法で頼み込むのは、彼女の元の世界ではどの程度の重さがあるのだろう。そこも疑問だ。


 というかこんな側面は知らなくてもよかったなぁと率直に思う飛逆だが、とりあえず、頷いて返すことしかできなかった。


 変な師弟関係が出来上がった瞬間だった。

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