73. 水着中
滝があるのは千八十五階層という、キリがいいのか悪いのかいまいち判然としない階数である。
千百階層からは少々距離がある。急いで移動すれば大した時間はかからないが、行楽だというのに全力で走っていくというのもなんだか酷くバカバカしい。残念ながら飛逆たちの頭はランナーズハイ(β-エンドルフィン中毒)とかそういうのは通り越してしまっているのだ。
というわけで、乗り物を作ることにした。
ちなみに前の乗り物であるミリスの戦車は紅巨人兵の素材にされていてヒューリァに蒸発させられているので、全く一から作らなければならなかった。
なんだか実際の行楽よりもそれまでの準備で随分手間と時間を使っている気がするが、まあ元々の目的が気分転換だ。本末転倒していない。
ただ、あまり時間をかけるのもどうかという話で、赤毛狼でそういうタイプを生み出すことにした。
実際、素材を集めている最中だというのに、それを拝借してはなんのための待機なのだか、それこそ本末転倒ということになる。
だから単純に運搬用の赤毛狼だ。自重以外を支えながら継続的に速く移動することに特化していて、通常の赤毛狼の五十倍近い密度が必要という、非常に贅沢な赤毛狼である。赤毛狼の良いところを殺しまくっているので、他に使い道がない。
しかも行程もイベントの内という趣旨に従って、乗り心地も追究されている。
具体的には風除けだ。これは赤毛狼の能力では解決できなかったので、『流体操作』の【能力結晶】に頼ることにした。
残念ながらルナコードを赤毛狼に読み込ませることは様々な問題のため、できない。赤毛狼として成立するためのコードを破壊しなければルナコードを組み込むことができないのだ。簡単に言うと【能力】が競合して反発してしまう。
けれど赤毛狼にネリコンを扱わせることはできるということが、ミリスの隠れた実験によって判明している。
革紐のようなネリコンに『流体操作』をインジェクトして、それを赤毛狼の鼻先に括り付けて手綱とすれば、完成だ。
前方の空気を操ることで騎手に風を及ぼさない。しかも大気に乗って進むため、騎手を乗せても情報伝達タイプの赤毛狼よりも速く移動できるというモンスターと成りはてた。元々モンスターだが。
まあとにかく燃費が悪い。
あと慣性制御はどうにもならなかったので、乗り心地優先で方向転換時にはスピードを落とすように設計した。だからコーナーリングは下手だ。
そんな赤毛狼の背中にタンデムして、滝(流水型プール)に向かう。
前述の問題のため、目的地までは多少ばかり時間がかかる。
飛逆はヒューリァを背中から抱いてのんびりと和んでいたのだが、飛逆より軽症のヒューリァはそうは行かないらしい。
何か話でもしないと落ち着かないという様子で、きょろきょろと視線を動かして、最後には飛逆の顔を見上げてくる。
「なんていうか、わたし、仕事がしたいって言ったはずだったのに……」
「なんでこんなことになったんだろう、って?」
そういえば結局、話をすり替えるように『気分転換』を言い出したのも飛逆だし、それを行楽にしたのも飛逆だ。そこにヒューリァの意志は実のところ入っていない。
「うん。でもよく考えたら当たり前だったかも。わたし、戦ったり、壊したり、殺したりって以外の仕事ってあんまりよく知らないし」
「その割には研究とか、できてたじゃないか」
結局飛逆が赤毛狼を手に入れることで解決したことになっているが、それまでの下積みを彼女たちがやってくれたからこそである。何が必要かを割り出すのが、結局の所一番面倒臭いことなのだから。
「あれは、修行とかと似てたし、……言うとあれだけど、余興みたいな。結局、やったことってほとんど【神旭】の扱い方を進歩させるってことだけだったし、それをミリスに教えるのも復習って感じだったから」
「なるほど、結局戦いに関することだったからってことな」
ヒューリァの今の戦い方は、そうした背景がちゃんとあったわけだ。
「よくよく思うよ。わたしはそれしかやってこなかったんだな、って。遊んだりってこと、巫女の修業時代にしなかったわけじゃなかったけど、それさえも……なんか、ごめんね」
「なにを?」
「うん、わたしはひさかと、こういう関係になるって決めて、ずっとそれを求めてきたけど、いざこうなってみて、わたしはひさかに戦いのこと以外で何かすることってできないんだなって気付いちゃったっていうか。わかってたから、本当は。だから色々、違う事を必死でやろうとしてたんだなって。それを、ごめんねって」
「結果論で言えば、君の行動はすべて正しかった。まあ、そういうことを言ってるんじゃないってのはわかってるけどな。救われているし、救われたと俺は思ってるのに、謝られると何気にきついんだが」
「ひさかは、なんでもできるから、きっと選べるのが多すぎて、回り道しちゃうだけなんだよ。本当は、たぶんわたしが何もしないほうが……ひさかの言うとおりのことだけしてたほうが、結果もいいほうに行ったんじゃないかな」
「何か、落ち込んでるのか?」
ヒューリァがこんな愚痴を言うところを、そういえば初めて見る。
「ひさかは、引き延ばしたいんだよね」
「うん? まあ、うん」
目的語が不明瞭だったが、間違いなく『今』のことだろう。誤魔化す必要がないので肯定する。
「わたしは、ひさかとはきっと違った意味で、引き延ばしたい……決着が……終わりがこないでほしいって、思ってる」
結局、ヒューリァは戦いたいのだ。敵がいなくなる未来を恐れている。
破壊衝動があるのではなく、ましてや殺人中毒というわけでもない。
ただ、それしか知らないから。
「この流れで聞くのはあれなんだが。もしかして、お弁当の話じゃないよな?」
もしやお弁当が上手く作れず、そのせいで自分に戦い以外のことができないと思い込んで落ち込んでいるとか、そういう話ではなかろうかと、不意に思ってしまって念のため確認する。
したらヒューリァはガッっと飛逆の首筋に噛み付いてきた。
吸血はいつものことだが、不満を表すためにガジガジとわざと痛みを与えるように半端なところで歯を止めて、傷口を広げてくる。
まあ少々血なまぐさいが、飛逆たちの間では軽いスキンシップである。拗ねた女性が爪を立てて皮膚を抓ってくるようなものだ。なんであれほど的確に痛みを与えるように抓られるのか、大変に謎だが、ヒューリァにそんなことをされた覚えはない。きっと記憶の混線だ。
一頻り戯れた後、ヒューリァは何事も無かったかのように前に向き直った。そして疲れたように脱力する。
心地よい体重を受け止めた飛逆は、彼女が本当に落ち込んでいることが、どこか可笑しみを持って感じられた。
「俺はなんでもできるわけじゃないとか、できないことを具体的に述べるとか。どうすれば上手くできるようになるのか、できない原因は何か……そういったことを君に言うのは実際簡単なんだけどな」
「……」
「例によってお為ごかしにしか聞こえないだろうことをあえて言えば、そうやって悩んでくれること自体が俺は嬉しいよ」
こんなことを言って、ヒューリァの気が晴れるわけもないのだが。
ヒューリァはそれ以上言葉を募ることはなく、どこかふて腐れたような雰囲気を出しながら到着までずっと前を向いていた。
そんなわけで、滝である。
広さとしてはそこそこの貯水湖といった感じ。門のような区切りを抜けると、いきなり床が抜けたような段差になっていて、その底には当然、水が大量に溜まっている。水自体は透明なのだが、細かい気泡のせいで、底は見通せない。
肝心の滝の様子はといえば、二段構えだ。
段差の上から見ても結構な高さの位置の壁に幅十メートルくらいの口が開いていて、そこから勢いよく水が噴き出している。更に、その高さの半分くらいに大理石のような幅広の台があって、そこに一度その水が衝突し、二段構えの滝になっている。その台には三つの滝口があるのだが、当然のようにそれぞれに虹がかかって、人工的な雰囲気ながらどこか神秘的なそれさえ醸していた。
「うわぁ」
とヒューリァは声を上げるが、それは感嘆よりも若干、呆れの色が濃い。
水垢離とかナチュラルに言い出すヒューリァのこと。
もっと山奥にあるような滝をイメージしていたのだろう。
「これ、ある意味トラップだよね」
「うん?」
「視界を狭める門を抜けるとすぐ横には、音もすごい、あんな目立つ滝があって、うっかり気を取られたら段差を踏み外して真っ逆さまっていう」
「ああ、なるほど……そういう趣旨で作られてるのか」
飛逆も初見はうっかり呆然としてしまったが、踏み外したりはしなかったクチなので、そういう視点を持てなかった。だが言われてみれば納得である。噴水などがあったりするから、こういう歓楽地のような仕様があっても不思議ではないと思っていたが、噴水とこの滝とではあまりにも規模が違いすぎる。塔の中にはトラップも結構な数があるわけで、その一種として考えれば、割と筋が通るような気がしないでもない。いずれにせよ規模が大きすぎるという嫌いはあるのだが。
まあ、推定ウン万階層もあれば、一つや二つはこうした意味不明の場所があってもおかしくはない。塔の存在自体がおかしいから気にしても仕方がないというのが正解だ。
「で、泳ぐんだよね?」
「底の深さは確かめてないけど、まあ万が一浅くてもちょっと痛いくらいなもんだし、飛び込みで行こう」
「うん。そういうことじゃなくて、水着っていうの、着替える?」
「着替えるぞ、そりゃ」
すでに飛逆は膝丈の水着を着て、後は上着を脱げば良いだけだったりするが、ヒューリァは彼女の普段着のままである。
「……なんでだろう。脱ぐのはともかく、着るところって、見られるの恥ずかしいんだけど」
「普通は逆じゃないかと、一応ツッコミ入れておこうか」
なんとなくわからないでもない感覚だが。
露出度の高い服を着るくらいだったら裸のほうがマシだ、みたいな。
そんなこと言う奴に出会ったことはないが、言われてみれば一理ある、かも? と思わせる説得力がある。そんな感覚だ。違うか。
とにかく、恥じらう彼女の着替えというのも、正直に言えば見てみたい。
しかし見てしまったら彼女が恥じらう気持ち自体を無くしてしまうかもしれない。慣れてしまうかもしれないからだ。
中々難しいところだった。飛逆にとって今最も恐るるべきは倦怠期の到来である。
というか我が事ながら思考が大分ヘンタイだった。
さすがにはっきり自覚してしまってはヘンタイ実行もできず、先に自分だけ飛び込んでおき、後から着替えたヒューリァがやってくるということにした。
というわけで、飛び込む。
着水すると、想像以上に深かった。これなら頭から落ちても大事ないだろう。
前に毒を喰らって暴走し、ひたすらに床をマグマにして沈降したときにも思ったが、やはりこの塔の床は随分と厚い。最低でも一キロメートルはないと説明が付かない。
それはともかく、中々浮上しない。どうやら気泡が多すぎて浮力が大分少なくなっているようだ。
視界も悪いので、右腕で急激に熱を出して軽い水中水蒸気爆発を起こして反動と爆圧で一気に水上に飛び出してみる。
すると、なんか、いた。
ヒューリァではない。
鮫だ。
淡水なのに鮫なのかよ、というツッコミがまず湧いてきた。だがザンベジシャークのように、淡水の川を昇ってくるような種類もそういえばいたな、と思い出してあながち変でもないと思い直す。いやまあ、ノコギリザメっぽいフォルムなので、やっぱり変なのだが。一番変なのはそんなナリしてトビウオみたいな胸ビレで風を切っているところかもしれないが、まあ、クリーチャーだし。
そんなフォルムのクリーチャーと、水上空中で鉢合わせしてしまった。どうやら水中にいる飛逆に躍りかかろうとしていたところを飛逆が飛び出してきたらしい。
そういえばさしもの赤毛狼も元々が血液であり、水に薄まってしまうため、元々の煙狼と同じく大量の水は苦手なのだった。つまりはクリーチャーが掃討されていない。その可能性をうっかり考慮に入れ忘れていた。
この滝の構造がトラップというのはどうやら正鵠を射ている。水中は気泡で見通せず、音もすごくて、水分子の衝突によって生じる微弱なプラズマ消臭効果でデオドラントも完璧。クリーチャーの存在をまるで悟らせない。底が深くて、足を滑らせて落ちても死なないが、そこに襲いかかってくるクリーチャーからは逃れられないという寸法だ。
色々得心するが、そんなことより避けるべきだった。
けれどさすがに上から被せるように躍りかかってきているクリーチャーの鼻先に、まったくの無警戒で爆発の勢い任せに飛び出してきたわけで、頭ではわかっていても、とても避けきれるものではない。
反応が間に合ったのは左腕だけだ。右腕は爆圧を受けてやや反応が遅れている。
ギザギザの角が顔面に突き立つ寸前に、それをどうにか受け止める。
「いって」
飛逆の謎の防御力を貫くほどではないが、鋭く、重く、割と痛い。しかも受け止められたと見るやすぐさまそのブレードのような胸ビレをハサミを閉じるようにして攻撃してくるではないか。
まあ気にせず膝蹴りで胸ビレを折りつつ体を入れ替えて、掴んだ角を振り回して胴体から水面に叩き付ける。衝撃で角が折れたが――
「水の密度が小さすぎたか」
定まらない空中から気泡の多い水面に叩き付けたくらいでは、どうやらトドメにならなかったようだ。
そこに、ヒューリァが降ってきた。
彼女には珍しいただの蹴り――要するに落ちてきただけなのだが――が、ノコギリザメ風クリーチャーの腹に突き刺さる。ヒューリァ自身、蹴りを叩き込むつもりがなかったのか、少し痛そうだ。鮫肌に素足はきつかったというのもおそらくあった。
泡になってクリーチャーは消滅する。飛逆の手の中に残っていた角も同様に消えた。
企図したわけではないが、コンビプレーによってそのクリーチャーは苦もなく倒されたわけなのだが。
まあその一体だけというわけもなく。
鮫の背ビレが周囲を囲んでいた。渦を作って飛逆たちを逃がさないようにしているらしい。渦の中心が飛逆たちを飲み込み、水中に引きずり込まれる。
面倒くさくなった飛逆はヒューリァを引き寄せて、自分の内唇を噛み切ってからキスした。
突然のことにヒューリァは泡を食ったように慌てるが、血の味を感じて飛逆の意図を察したらしい。
ヒューリァの喉がコクリと動いたのを確認するなり、飛逆は左手首をカット。
赤毛狼を召喚したのではなく、単に血を振りまいただけだ。
ただし、その血は強力な毒であり――
すぐにプカァ、と鮫軍団は腹を見せて浮いていき、その後に水泡と消える。
ヒューリァには解毒薬を飲ませているので影響はない。
突発的な戦闘状況は終了した。
一応ドロップ品を捕まえて回収してから、再び右腕で小規模水蒸気爆発を起こして浮上する。
「【紅く古きもの】だけだったら意外と厄介だったかもな」
水の中だと至近で水蒸気爆発が起きまくって、敵は倒せても自分たちも無事では済まなかったかもしれない。水蒸気爆発の熱はともかく、衝撃はモロに喰らってしまうからだ。
採集者でも『流体操作』を使えば、それほど苦戦はしないだろうが。
定期的にアポトーシス発現直前の赤毛狼をこの滝に飛び込ませることで解決することにしたが、さしあたって今が割と面倒だった。
というのも浮力が足りないので、結構なバタ足をしていないと水上に顔を出せない。一番のトラップはこれだった。
なんか必死っぽくて遊びっぽくない。
大きな浮き輪かボートでも作ればゆったり浮くくらいはできそうだが、それを作るためにはさすがに一度昇らないと行けないわけで、
「……ヒューリァ、可愛いよ、その水着。落ちてきたときの一瞬しか見れなかったけど」
「……なんか、ダイナシ……」
一応昇る前に、お披露目に対して感想を忘れずに言うが、どうやっても台無しなのだった。
直観像記憶力でしっかり目に焼き付けておいたが、まあそういうことじゃないよね、みたいな。
〓〓 † ◇ † 〓〓
「ところでミリスと何か、あった?」
撥水性の膜を作って浮き輪やボートを作っている横からヒューリァが、割と唐突に聞いてきた。
「あったと言えばあったけど、どうしてそう思ったんだ?」
聞き返してから、完成した浮き輪とボートに空気を吹き込む。
肺活量がいかにあろうと一度で満タンとは行かない。結構巨大に作ったので、さすがに途中で面倒臭くなってしまった。肺の中で圧縮空気を作れば一発だろうが、いくら頑丈な膜でもそんな圧力を一度に封入すれば破裂してしまうかもしれないので、ふいごを作ろうかと思って、それくらいだったら『流体操作』を使えば早いということに気が付いて、待機中のモンスター赤毛狼に任せた。
改めてヒューリァに向き合う。
「ん、と。……ミリスが直接、この水着、持ってきたから」
「なるほど」
と納得しながら、改めて水着を着ているヒューリァを鑑賞する。
赤が強いピンク色の水着で、ミリスは奇を衒わなかったらしく、生地には柄も特にない上下の色が揃ったビキニだ。ただしアシンメトリーになるように左右で布紐の幅が違って、それに右半身側にだけ半透明のフリルがあしらわれている。殆ど共通点もないのに、どことなく西部劇をモチーフにしたアニメ的創作に出てきそうな、ショートパンツのカウガールを連想させた。
個人的には、精悍な感じを損なわず、それでいてセクシーで大変可愛らしい。まあヒューリァが着たならなんだって(以下略)。
「本人は、仕立ての調整とわたし自身に選んでもらうためって言ってたけど」
「あ、ヒューリァが自分で選んだのか」
それはいい。やっぱり彼女自身が選んだというのはポイント高い。似合っているし、仮に似合っていなかったとしてもその残念なセンスが(以下略)。
「ぅ……なんか、食い付くところ違う。誤魔化そうとしてる?」
「そんなつもりはないが。単にヒューリァの水着にテンション上がってるだけだ」
視線を感じて身じろぎするところも(以下略)。
「いつもと変わらない顔して言うし……大体、こんなの厚い下着じゃない」
ピラっと下のフリルを摘んで持ち上げながら眉根を寄せる。
「ミリスが持ってきたのはもっとシンプルなのがあったんじゃないか? その中からあえてそれを選んだんだから、ちょっとは違いもわかってるし、気に入ってるんだろ?」
「……」
図星だったのか、黙って俯いてしまう。
「まあ、何があったかって話だったか」
意図せずイジってしまったので、取りなすように本筋に戻す。ヒューリァが羞恥で悔しそうにするところも(略)なのだが、なんだってやりすぎはよくない。
「まあ、簡単に言えば、俺にその気はないってことを改めて言ったって感じだ」
「それでなんで、あのコ、すっきりした感じになるの?」
「さあ? というかすっきりした感じだったのか」
飛逆が指弾するようにミリスの気持ちをどう受け止めているのかということを話したとき、彼女は絶句するように沈黙し、しばらくの後に開き直ったように明るい調子で話題を変えていた。
ケーキがもちもちして新食感だとか、それと味はいいけれどフレーバーにもう少し工夫があったほうがいいとか、そんなどうでもいい話題だ。
飛逆からすると自棄になったようにしか見えなかったのだが。それがすっきりした感じというか、清々しそうに見えたということなのだろうか。
「諦めたのかね」
何か違和感があるが。
「諦めるかな」
ヒューリァも違和感があるらしい。
「どうもそう思いにくいけど、俺は当事者だし、なんとも言い難い。それより、というかヒューリァはミリスが諦めないって思ってたんだな」
「変な言い方になるけど……例えば脅し透かしで諦めるようなら、わたしは、わざわざそんなことしない」
本当に変な言い方だった。
ならどうしてお仕置きしたりしたのかという話だ。
いやまあ、なんとなく言いたいことはわかるのだが。
脅しで諦めるようなら所詮はその程度であり、放っておいても問題にならないと言いたいのだろう。
「翻すに、ヒューリァはミリスを脅威と認めているってことになるんだが……」
「だってそうじゃない? あのコ、なんだかんだでひさかに庇ってもらってるし、ひさかと二人っきりになれるような理由を作るの上手く行ってるし」
「は?」
前者はともかく、後者は寝耳に水だった。
「え? ちょっと待ってくれ。つまりミリスは、君を本当に怖がってるんじゃなくて、そう見せかけてるだけだって言うのか? 理由付けて俺と君を引き離して、俺だけがアイツの前に行くようにって?」
「ん、と。まあわたしを怖がっているっていうのは、たぶん見せかけじゃないんだけど……たぶん、あのコがひさかに言うほどじゃないし、あのコと二人っきりってのに不自然を感じなかったでしょ? ひさか、言われるまで」
「ああうん。だから驚いてるんだが……。てことは、もしかしてアイツ、俺に指弾されて喜んでたのか? すっきりした感じっていうのも、それで?」
「かなぁ、って。その、好きなヒトに、わかってもらえたとか、自分のこと真剣に考えてくれてるって実感したらやっぱり、悔しいのもあるけど、嬉しいし」
そういう受け取り方があるのだと、これまた目から鱗だった。
というのも、後半に関してはつい先刻に、ヒューリァが悩んでくれていることが嬉しいみたいなことを自分自身で言ったことだったからだ。
非常に納得したのである。
ただ、それにしたって、
「アイツマジでマゾだな」
「その言葉はわかんないけど、わたしがどうして、って言うの、わかるでしょ?」
「わかる。処置無しって奴だ」
真実がどうであれ、ヒューリァをしてそう思わせた時点でミリスの勝ちだった。
なぜならわかったところで飛逆は態度くらいしか変えられない。
今更ミリスを排斥、あるいは排除するのは飛逆の性格からすると無理だ。
ミリスに生活能力はないものの、ある程度の技術力と、他にはない知識があり、飛逆も相談することが多く、それを完全に絶つのは躊躇われるという理由もある。
精神的、実利的の両面の理由から、飛逆はミリスをヒューリァから庇わなくてはならない。
処置無しだ。
飛逆のように基本的に実利がなければ工作しないタイプと、ヒューリァのようにはっきり決着が見えなければ落ち着かないタイプでは、ミリスの思考回路を読み切れない。理屈を後付けすることはできても、いまいち理解できないのだ。動機に共感できないから。
「まあ、とにかく、気をつける」
「うん。……うん」
具体的に何にどう気をつければいいのかわからないながら、ヒューリァを安心させるように言ったが、ヒューリァは頷いたものの、ちょっぴり不安そうに飛逆の横にぴったりくっついた。
なにはともあれ、浮き輪などは完成した。
ようやく、プールである。




