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94. ウィッチ

 地上を埋めていた十万を超える元神樹化の人間たち――


 これが最大の難問だった。


 生ける屍の呼称が最も適切な彼らは、意思無く、十に分けた地下シェルターのそれぞれの区画に収容されている。

 彼らはシェルターの壁や天井から伸びる蔦によって生きるためのエネルギーを送り込まれ、何もせずにひたすら眠っている。


 モルグとしか言い様がないそこを、ウリオを伴って直接視察にきてみたのだが、


「彼らの意思を戻す術は、私も知らん」


 ウリオが言うには、彼らのこの状態は過去に何例かすでに確認されているという。


 クランに所属する者は皆、自分の意思で神樹化をコントロールできるが、何人かは制御できずに発芽しきってしまったのだそうだ。その原因は不明だが、相性があるということで結論されている。

 また、自分の限界を見極められずに全身を神樹化させてしまい、戻れなくなった者も当然にいた。

 そうした連中を、ヴァティはヒト型に戻してはみたものの、ただ生命反応があるだけの存在に成り果てていた。


「我々クランの者の寿命だ。彼らは最早死んでいる。少なくともヒトとしての生は終えているということだ」


 そうした『寿命』を迎えた者たちは、土に返してきたのだと言う。


「だからって処分するには数が多すぎるんだよな」


「同じだけの数を吹き飛ばしたキサマが言うのか?」


「単純に、もったいないって話だ。正直、人間の一体二体なんてのは俺も価値を覚えないが、十万ともなるとそれらが生み出す智の力ってのは侮れない。お前らクランだって元はそうした集合知の中から生まれたエリートだろ」


 単純な数の力としての戦力ならば、赤毛狼がいる。だからそこにも飛逆は価値を見いだせない。飛逆は人間の生み出す文化だけが、人間の価値だと思っている。認知限界を超えたところに存在する各人の個性まで尊重できるほど、飛逆の器は広くない。


「話はわかったが、私に何を求める。すでに結論は伝えたはずだが」


「前に言ったように、怪物の【魂】を引き剥がして精神感応性物質に封印することまでは、技術的に確立している。お前らからもらった【能力結晶】の仕組みの解析が進めば、より完全なものになるだろうが……問題は、『意思』なんだ。このままだとおそらく、ヴァティの記憶を付随させた【魂】を封印したところで、そいつはただの木偶だ」


「つまり、私たちにこれらの人間どもを実験体にして、その『意思』を戻す術を編み出せというのだな?」


「お前にとって悪くない話だと思うが。当然、こっちから必要な技術を提供するから……それはお前の欲しいものだろ」


「いいだろう。……なんだってやるさ。ヴァティ様を取り戻すためならば」


 ウリオはそれが彼女の望みではないことから眼を背けている。


 心の奥底ではわかっているのだろう。だからこそ、決意が、あるいは自分への言い訳が必要なのだ。


 ここに連れてこられた時点で、飛逆の要求が読めていただろうに、わざわざそれを言葉にさせたことがその証拠だ。飛逆の口車に乗せられたという言い訳が欲しかったのだ。前述した理屈だってウリオは弁えていた。『寿命』だと言いつつ『その術を知らない』と言っていたのだから。そこは『そんな方法はない』と断言すべきところだったのに、彼は無意識にか、『あるに違いないのに、それを知らない』という言い方をしたのだ。


 そうした心の動きが手に取るようにわかる。


 飛逆も再確認した。


 やはりウリオは嫌いだ。




〓〓 † ◇ † 〓〓




「なんでボクってあんなにウリオに心酔されてるんだろう」


 飛逆の精神空間で、会うなりヴァティは疑問を零していた。


 彼女の心象風景が反映されるこの空間は、木々の緑に満ちている。神樹のようにメタリックなそれではなく、自然な優しい色だ。

 そんな中で大木の切り株をテーブルにしてお茶を飲んでいる。


 飛逆の姿(イメージ)を認めるなり、両肘を支えに顎を乗せて首を傾げた。


「お前がわからないのに俺がわかると思うか?」


 飛逆は、性格はそれほど彼女のことが嫌いではない。


 けれどやはり自己と会話しているという気分が、胸糞悪くさせる。兄と違ってそれほど頑丈な意識防壁で封印しているわけでもないので、割と簡単にこの仮想空間に接続できたが、あまり長居はできそうになかった。


 混ざってしまう。それが気持ち悪い。


「まあねー。というかしてやられたよ。殺してなかったんだね。やっぱりキミは、残酷に優しい。それをここから見たとき、ボクがどれだけ笑ったか」


「単なる保険だ」


「ボクが言っているのは、その後のこと。でもまあ、あんまり時間ないみたいだからそれはいいか。用件は?」


 舌打ちして返す。


「見ていたならわかるだろ。ウリオとの思い出話を寄越せ」


「だから、なんでなのかなーって。ボクはウリオにそんな執着されるほど思い出深い出来事ってないんだよね。だから説得力のある思い出話っていうのがすぐには出てこなくてね。もうちょっと待ってくれないかな」


 再び舌打ちが出た。


 そんなわけがない。別に思い出話に限らず、ヴァティとウリオしか知らないことなどいくらでもあるだろう。


 単にヴァティは自分を生き返らせようというウリオを挫きつつ、飛逆がクランを生かすように仕向けるにはどうすればいいかを検討しているのだ。


「……ところで、もう一体はどうした?」


「ん? ……ああ、ボクに憑いている【魂】のことか」


「同じ所に突っ込んだはずだが」


「いるよ。ここに」


 ヴァティは自分を指差しながら言う。当然、そこにはヴァティしかいない。


「……自己イメージがないタイプなのか」


「まあ、ね。『彼』は産まれることもできなかったから、自分の姿を知らないんだ」


 意味深な言い様に、少しだけ飛逆は考えた。


「二卵性双生児、か。お前は母胎の中で兄弟を喰ったんだな」


「さすがだね。正解だよ。というか、わかるもんなんだね」


 わからないはずもない。そんなところまで――肉親を喰らったというところまで似ているとは、信じたくないところもあったが。

 だからこそ、そうなのだろうとあっさり腑に落ちてしまった。


「ボクの物語を話している時間はないよね。なんだか聞いてもらいたい気もするんだけど」


「遠慮しとく」


 聞けば、きっとまた相似点を見つけてしまうだろう。


「それより、契約の話だ。俺はどこまでやっていい? どこからがダメだ?」


「ああ、それね」


 頷きながら、なぜかヴァティはクスクスと笑った。


「どこまでやってもいいよ」

「なに?」

「大分気をつけてくれているみたいだけど、ボクは彼らが生きてくれればそれでいいんだ。どんなものも不変ではいられない。逆に、変化がなければそれは死んでいることと同じだ」


「だからって俺が好き勝手に組織構造を弄れば、お前のクランとしては形骸しか残らないぞ」


「いいんだ。形骸で。というかボクは、キミのそうした判断基準を信用している。

 というのもね。クランのみんなは、不老で、明確な寿命が存在していない。そのせいもあって『死』に対してちょっと鈍感なんだ。あのウリオでさえね。ボクを蘇らせるなんてキミの戯言――ではないにしても、そうとしか聞こえないことを、条件付きとは言えあっさり信じたことでもそれがわかると思う。『生命』が修復可能なものなんだって認識が、無自覚に根付いちゃってるんだね。まあ明らかにボクのせいだけど。

 適度なストレスがないと発展性が失われることは、キミならわかるよね。

 繰り返すけど、ボクはみんなに生きてもらいたい。緩やかに死んでいくよりは、キミのやり方が結局、みんなを生かすことに繋がる……そう信じてみたくなった」


 買い被られる理由がわからない、が。

 聞かない方がいいと直感した。どんな理由であっても自分は納得できないだろう。


「ボクが遺したものが、ボクの届かないところに行き着けるかも知れない……。強いてキミに求めるものを言うなら、そういうことだよ」


「お前は……よくよく種蒔きが好きなんだな」


「キミも他人事じゃないだろ? 今やボクらが複心同体であるってことじゃなくて」


「何が言いたい――」


 反射的に反駁しようとしたその時に、


 ぐにゃり、と心象風景が歪み、罅が入る。


「――暴れてるね、赤竜さん」


 処理落ちしたパソコンモニターみたいにラグったノイズが走り、全体的に薄くなったイメージのヴァティが言う。


「随分と冷静みたいだが、よくあるのか?」


「そんなわけないじゃん」


 己のイメージで出来ているお茶入りカップを口に傾けるという、どう見ても余裕綽々の体で、のたまう。


「お前の存在が【紅く古きもの】を圧迫しているからってわけじゃないのか?」


 違うと知りつつ確認してしまう。


「しっかり棲み分けてるつもりだけどなー?」

「……つまり基底現実のほうで何かあったわけだ」


 この空間はいわゆる深層意識に当たる領域であり、ここに潜ってくるためには現実の感覚を置き去りにしなければならない。だからこそ、この空間に訪れるのに最も安全な――安全だと飛逆が信じる場所で行ったのだが。


 頭を抱えたくなった。戻ってみるまでもなく原因を察してしまったためだ。


 幸いにして【紅く古きもの】の暴走はすぐに収まった。


「収まった、けど……残り時間が更に縮まっちゃったね」


 ヴァティのイメージの復元力がこの場にいる飛逆にまで及んでしまう。そうなれば、彼女との同化が進む。この空間もあくまで飛逆を主体としているために飛逆の自己同一性が失われることはないが、彼女を『消化』するのは、言語化できないレベルで嫌だった。


 ヴァティはラグったままで言う。

「出直してもらってもいいけど、やっぱりキミとしても来たくはないよね」


「当たり前だ」


 というかこれ以降は特別な封印を施して、彼女が飛逆の記憶を参照するといったこともできなくなるようにするつもりだ。そうなればこうも容易くここに訪れることは出来ない。今回、この変性意識に入ったのはその目的が本命だ。


 ヴァティとウリオだけに通じる暗号を聞き出そうというのは、実はついでである。


 ウリオはすでに証拠がなくても信じる方向を向いている。こちらの解呪法研究の成果を渡したためだ。彼は、仮に飛逆の中にヴァティの記憶がなくとも、彼女の【魂】が存在することは確信している。記憶はあるに越したことはないが、なくとも彼の『ヴァティの復活』という目的は変わらないというわけだ。


「だよねぇ。じゃあまあ手早く。下らないことなんだけどねー。ウリオは最初のころボクのこと男の子だと思ってた、っていうので」


 本当に下らなかった。


 せめてそれがどんなきっかけでその誤解が解消されたのかなどを言えばいいものを、と思いつつも面倒臭くなった飛逆は挨拶もなく、この空間を離脱した。



「その誤解が解けたのが、彼が側近になってからなんだけど――ってもういないし」





〓〓 † ◇ † 〓〓





 そうして意識を浮上させてみたら、案の定、目の前にはヒューリァがいた。

 正確には彼女のキレイな鎖骨のラインが目の前にあった。


 鎖骨のラインで飛逆が美しいと思うのは、首の付け根が描くくぼみ具合――ではなく、腕の付け根のくぼみだ。


 ここのくぼみが浅く、張りすぎていてはいけない。かといって筋肉質にメリハリがありすぎても、痩せぎすを連想させてあまりよろしくない。なだらかな凹凸のラインが、美しいと飛逆は思う。


 かなり鍛えているはずのヒューリァがそのラインを持っているのはある種の奇跡だ。


 あるいはそれは、飛逆が自分の体験から想像するほどには鍛えていないということの証拠なのかも知れない。


 というのも、彼女は自分を巫女だと名乗った。

 宿り木とも。

 元々巫女というものは、神降ろしを行う者のことを言う。


 此方と彼方を繋ぐ者。彼岸に居る者を此岸に引き寄せる者。


 その多くは自身を依り代にして神を降ろす。


 つまりはシャーマンのことなのだが、これが巫女と称される場合なぜだかその心身は美しく清らかでなければならないとされることも多い。これはおそらく女性が子供という異体(自分以外の個体)を宿す身体の仕組みを持っていることからのメタファーだ。


 男性が感じる女性の美しさの基準には、子供を産み育てるために適切であるかどうかということが関わってくることは周知の事実である(と飛逆は思っている)。出産経験の有無などもそこには含まれている。


 あくまでも基準であるために負方向に逆転した(倒錯した)性癖も存在するが、スタートラインはそこだ。女性も、男性の対称性(シンメトリー)を以てその基準にしている。対称性は健康度を量る基準であり、対称性が優れていればいるほど健康であるとされている。つまりはその男性の子供を宿したときのイメージが、性的対象かどうかを分ける基準となるのだ。


 依って、処女性と女性的な美しさがあるということは、異体を宿しやすいというイメージがヒトの本能的な部分に根付いている。


 優秀な巫女とは、コケティッシュでなければならないのだ(恐山のイタコに老婆のイメージが強いことの説明にはならないが、あれは人生経験豊富故のコールドリーディングの一種であろうから例として適切ではない)。


 従ってヒューリァは、舞踏などの体術を修め、それを使いこなすだけの修練を積んできてはいるものの、女性的な美しさが損なわれるような身体の鍛え方はしていないという可能性があるわけだ。


 そもそも人間の身体なんていくら鍛えても高が知れている。物理的に限界があるためだ。筋肉の性質や構造、配列によっては超人的な膂力を発揮できるが、それは鍛えてどうにかなるものではないし、リミットカットした飛逆がそうであったように、そうした膂力を支えられる構造を人間の身体は持っていない。


 彼女の出身は【神旭】なんていう魔術が存在し、怪物の実在が認められている世界だ。身体能力は、それらを効果的に使いこなせる必要最低限あればいいという思想が常識であったと考えられる。


 だからヒューリァが可愛いのも納得である。


 なぜ飛逆がこんな自分の性癖について思いを馳せているのかといえば、そういえば彼女は巫女だったな、とこの状況で思い出したからだ。


 変成意識とは禅に於ける悟りの状態に近いことを言う。

 一種のトランス状態だ。

 そしてシャーマンと言えばトランスである。


 中世ヨーロッパにおける魔女狩り対象となった魔女信仰とは、元はアニミズムを形態とする土着宗教だ。その信仰における魔女(ウィッチ)の役割とは、やはり巫女のそれであり、その儀式は薬物(催眠誘導性芳香剤)により誘導された軽度のトランス状態にて行われる。アフリカなどでも同様の形態による儀式が確認されている。


 神憑り(トランス)とは全世界共通で似たようなメカニズムであり、それはきっと異世界であっても変わらないのだろう。


 つまり巫女であるヒューリァには、飛逆が変性意識に入っていて、それがどのような状態なのかを理解できる素養があっても不思議ではない。


 滅多なことでは醒めない。そういう状態だったことが、彼女にはわかっていた。


「腕のときには、気にしなかったのに、どういうわけだ? ヒューリァ……」


 彼女は飛逆の角に触れていた。


「気にしてないわけ、ない……」


 ぎりっ、と音がなりそうなほど角を強く握られる。飛逆が意識的に角を強化しなければ、粉砕されていただろう。


「いつもいつも……見る度! 切り落としてやりたいって思ってた……っ!」


 意識的に視界に入れないようにしていることには、気付いていた。実際飛逆もそれを考慮して基本的に長袖で大部分を隠していた。


 目を反らしていたのは、飛逆も同じだった。彼女の憎悪から。


「仕方ない、って、ひさかも拒んでるからって、言い聞かせてたのに……。なんで受け容れちゃうの……?」


「相変わらず……なんでわかるんだ」


 唐突に脱力し、飛逆の胸に顔を埋めるヒューリァの頭を左手で撫でながら、嘆息する。

 飛逆の心境の変化――【紅く古きもの】への対処が、ヒューリァがその憎悪を抑えきれなくなった原因だったようだ。


 隠せず、飛逆の顔を見ればどうしても眼に付く角という形態を取ってしまったことも原因だろうが。

 初めて角を見せたときの反応は腕のときと似たような程度だったため、やはり彼女はそれに気付いてしまったことが原因だろう。


「殺してやりたいのに……なんでひさかと同じなの……?」


 そろそろ、誤魔化すのもいい加減にして、向き合わなければならないのだろう。

 彼女の憎悪に。


「……だから自分に再び移そうとしたんだな」


 先ほどがそうであったように、ただ角に衝撃を与えたくらいでは、【紅く古きもの】は暴走しない。以前ならばいざ知らず、現在の【紅く古きもの】は非常に安定であるからだ。

 彼女は【神旭】で直接【紅く古きもの】に干渉し、自分に再び移そうとしていたのだ。拒む彼女に触れられたことで、彼は暴走した。


「上手く行ったとしたら、その後どうするつもりだったんだ……」


 聞くまでもない。

 彼を道連れに彼女は自滅するつもりだった。


 もちろん、そんなことはできない。

 彼女もわかっていた。発作的で、後のことなど考えていなかったというのが正味の正解だろう。仮に実現できていたら、そうしようとしていただろうという予想に過ぎない。


 非合理だ。不合理でもある。


 だから飛逆には理解できない。どちらか一つだけならば、あるいは『理解するだけ』ならできたかもしれないけれど。


 だから、聞きたくない。


「何があったんだ」


 けれど聞くしかなかった。


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