第六十一幕 『選択の代償』
第六十一幕『選択の代償』
「定吉は、私の祖父の代から仕えていた。父にも、私にも—— 献身的に尽くしてくれた。 その人が、偽りの死を利用され、祖父を殺す引き金にされた…… それが、政の選択なのか?」
元康の声は静かだった。 だが、その言葉の奥には、怒りとも悲しみともつかぬ感情が潜んでいた。
義元は元康の目を見つめる。 その瞳には、揺らぎも焦りもなかった。
「選択とは、誰かが動き、誰かが止まることだ。 その結果が、今の三河だ。」
沈黙が落ちる。 信長は、資料の束から一枚の文書を抜き出した。
「もう一つ、証拠がある。 織田と繋がっていたのは——松平信定だった。」
元康がわずかに眉を動かす。
「信定は、織田の力を借りて勢力拡大を図ろうとした。 織田の縁者と密かに婚姻関係を結び、三河の中枢に影を引き込もうとした。 だが、そんなことは——義元、お前も百も承知だったはずだ。」
義元はワイングラスを持ち上げ、淡く笑みを浮かべる。
「知っていたとも。 だが、信定は使える駒だった。 清康が消えた後、三河を一時的に安定させるには、彼の手腕も必要だった。」
信長は言葉を継ぐ。
「だがその信定も、広忠によって失脚させられた。 広忠は駿河文教党の全面支援を受けて知事選に勝ち、信定を排除した。 そして、三河の政は再び松平家の手に戻った。」
元康は頷く。
「父は、政を立て直そうとしていた。 病に倒れるまでは、独自の路線を進み始めていた。 それが、誰かの不興を買ったのかもしれないが…… 父は、病で亡くなった。医師もそう言っていた。」
信長は、机の上に一枚の報告書をそっと置いた。
「……広忠の死因について、当初は駿河の医療機関によって“急性の内臓疾患”と診断されていた。 義元の影響下にある、設備の整った大病院だ。表向きには、最善の医療を尽くしたという印象を与える場でもあった。 だが、俺はその症状に違和感を覚えた。 彼は、ある時を境に少しずつ体調を崩し始めていた。 急激な悪化ではなく、静かに、確実に——体が蝕まれていった。」
元康は目を伏せる。
「……父は、疲れを訴えていた。 だが、政務を休むほどではなかった。 それが、ある日突然……」
信長は頷きながら言葉を継ぐ。
「診断は“自然死”とされ、毒物検査は行われなかった。 だが、俺は納得できなかった。 そこで、埋葬された彼の遺骨を政府系の検査機関に鑑定依頼した。」
少し間を置いて、信長は窓の外に目をやる。
「彼の菩提寺である大樹寺は三河にある。 尾張の人間が、三河でそんな勝手なことをできるはずがない……」
義元がグラスを止めた。
「……まさか、水野?」
信長はゆっくりと頷いた。
「そのまさかだ。 正確には——その妹で、広忠さんの元妻。 於大の方の協力があった。」
義元は目を細め、グラスの中の赤を見つめた。 その沈黙が、何よりも多くを語っていた。
今回は、守山事件の裏にあった人々の選択と、その代償が少しずつ姿を見せる回になりました。
定吉の真実、正豊の孤独、そして広忠の死に残された違和感——どれも一つの判断が連鎖して生まれた影でした。
信長・義元・元康の三人が向き合うことで、物語はさらに深い核心へと踏み込んでいきます。
次回も、静かな緊張の続きにお付き合いいただけたら嬉しいです。




