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鐘の音が聞こえたら(1)

 北東の風がリシューの街に吹き渡る。九時半。それぞれに運命の時間を迎えた。


 グレイ侯爵は南西に展開していた本陣を北東に移動させて、海へと続く大通り近くまで数騎の馬でやってきた。


「閣下、ご無事でしたか!」

「前置きは良い。中央広場はどうなっている?」

「はッ、中央広場は膠着状態でございます。進軍致しますか?」

「いや、それこそ相手の思惑にのるようなものだ。引き続き大公家を包囲していた一団が戻るのを待機せよ。」


 このまま進軍させれば、中央広場で衝突が起こり、エリザベスに公国軍を動かす口実を与えてしまう。


「一旦、体勢を立て直す。西側に退却できるように退路の確保をせよ。」


 中央広場に公国旗。それをエリザベスが立てたことで、この進軍の理由が変わってしまった。


(ルイ三世とマーガレット妃の彫像の前で、エラルド公国の独立宣言とは、な……。)


 エリザベスが公国旗を首都、しかも武力衝突の最前線の中央広場に立てたことで、『グニシアから攫われた王女を助け出しに来た』という筋書きは崩れてしまった。


「我らは王女を『助け出しに来た』のだ。その彼女が帰国を拒絶し、エラルド公国側につくとなれば、一旦、引き下がるより他がなかろう。」


 グレイ侯爵はくやしげに歯噛みをした。


 ◇


「うわ、高い・・・・・・ッ。」


 一方、救済院に取り付けられている鐘楼に上ったエリザベスはその高さに息を飲んでいた。


「妃殿下、大丈夫です?」

「……大丈夫ではないわね。胃の腑が喉元にせり上ってくるわ。」


 囲いも何も無いところ。


 今たっているのは鐘楼のてっぺん近く。木登りが好きなサムが上ったら喜んだかもしれないものの、なにかと見晴らしのよすぎる、手に汗握るような場所だった。


「……中央広場が指先サイズだわ。」

「船の高さは平気そうでいらしたようですが、鐘楼はだめなようですね。」

「そうみたい、風に煽られたら、落ちてしまいそうで怖いわ。」


 片手に公国の旗を持ちつつも、もう片手はしっかりと柱を握る。


「早く終わらせましょう。」


 エリザベスは顔をひきつらせながらも、ジョーンズ少尉に頷いた。


「じゃあ、思いきりいきますよ。だいぶうるさいと思いますが、びっくりして落ちないでくださいね。」

「わかったわ。」


 鐘を鳴らすための手網を引くには力がいる。ジョーンズ少尉が思いきり手網を引いた。


 カラァァァァンン、カラァァァァンン――。


 割れんばかりの鐘の音が街へと鳴り響く。


(私はここにいる。逃げも隠れもしないわ……。)


 この震えは怯えのものではない。


 そう心の内で叱咤しながら、手にしていた旗を広げて、辺りに見えるように大きく振る。


 一回、二回、三回――。


 風に煽られて翻るエラルド公国の旗。さほど大きくない旗だが、中央広場にた立てたものと同じように、エラルド国民の士気の鼓舞になるだろう。


 追われるようにして出国したグニシアへの決別とも言えるこの行動は、永遠に袂を分かつような行動だろう。


(でも、もう認められなくて構わない。)


 父親のいない子と指さされたとして、何を恥じることがあろう。


 幾度となく旗を振っていると、ジョーンズ少尉に「妃殿下、そろそろよろしいのではないでしょうか?」と声を掛けられる。


 エリザベスは手にしていた旗をジョーンズ少尉に渡すと、手筈通りに場所を代わってもらって、代わりに旗を目立つ位置に取り付けてもらった。


「ええ、丘の上の軍本部からも、船の上からも、それに中央広場からも、この公国旗が見えましょう。」


 ジョーンズ少尉はニカッと歯を見せて笑うと、スルスルとハシゴを降りてきた。




 今更、酷く足が震える。エリザベスはへっぴり腰になりながらも、梯子をおりた。


「ふぅ……。」


 石造りの階段に降り立って、ようやく生きた心地になる。一方、ジョーンズ少尉はスルスルと梯子を降りてくると、顔色を悪くしているエリザベスの様子に「下の階に降りられそうですか?」と尋ねてきた。


「……ええ、大丈夫。むしろ、一刻も早く下の階に降りたいくらいよ。」


 エリザベスがそうぼやくと、ジョーンズ少尉はククッと笑った。


「それにしても、高所が怖いのに、この救済院の鐘楼に、公国の旗を立てて大公家の権威を見せつけるとは思い切ったことをなさいますね。」


 貴賎を問わず、信教の違いを問わず、救けが必要な人に門を開く救済院。それはマーガレット妃が、この救済院を創建した時からの教えであり、歴代の大公妃によって守られてきた教えだ。


 エリザベスは肩を少し竦めるとジョーンズ少尉に「だからよ」と答えた。


「……この地は『大公妃の慈愛のみで、運営されるところ』でしょう?」


 どんなに高いところが怖くとも。この地に旗を立てるのは「大公妃」でなくてはならない。


「この地はそれだけ『意味』のあるところだわ。」


 レイ侯爵はカトリーヌ前大公妃殿下の名前を傘に好き勝手をしていたようだが、代替わりをした今、ここはエリザベス自身が庇護すべき場所だ。


「ですが、これで一層、気を付けなくてはいけませんね。味方だけでなく、敵にも妃殿下の位置は伝わったでしょうから。」


 しかも、多勢に無勢。


 今、このメンバーしかいない状態で踏み込まれたら、捕らえられてしまう可能性も高い。


 エリザベスは頷いて、階段を下りた。


「お帰りなさいませ。」


 ハロルドに出迎えられて鐘楼を出る。


 ゴシック様式の尖頭アーチとリブヴォールトの連なる外回廊を進み、大広間へと向かうと高い天井に変わり、中にはシークやサム達が片付けたのだろう一団と、反対側に怯えた表情で蹲っている女性たちや幼い子供たちがいた。


「シーク、サム。お片付けは終わった?」

「こっちはあらかた片付きました。お嬢こそ、用事は片付きましたか?」

「ええ、お陰様で。」


 シークやサムに手酷くやられたのだろう、意識を失っている者たちが多く、辛うじて意識を保っている者も猿轡をされている状態だ。


 その中でも一番年長の男を、サムは親指で指し示すと「多分、このおっさんがここの施設長みたいだ」と話した。


「ふご、ふごッ?!」

「んー? 急になんだよ?」


 顔を赤くして猿轡をされたまま言い募る男の様子に、ジョーンズ少尉が「ああ、先日、孤児院でお会いした方ですね」と微笑む。


 エリザベスもその言葉に「ああ、あの時の」と冷たく応じた。


「何だ、お嬢、顔見知りだったのか?」

「顔見知りというほどでもないわ。ねえ、院長先生?」


 サムに合図して猿轡を外すと、途端に「あの時の侍女が何故!?」と問い質してくる。


「あら、地味なドレスは選んだけれど、私は侍女ではなくってよ?」

「何を言って・・・・・・。」

「何を言っていると言いたいのは私の方だわ。この施設は身寄りのない人だったり、貧しくて病院にも行けないような人のために作られた施設。それを私物化した罪は重いわ。」


 そういうとエリザベスは「神妙に縛に就きなさい」と冷ややかに続けた。


「お、お前は一体・・・・・・ッ。」


 と、ジョーンズ少尉は周りにも聞こえるように「無礼者ッ!」と大声で院長を一喝した。


「この方をどなたと心得える。この方はこのエラルド公国の新しき大公妃殿下だ!」

「・・・・・・新しき大公妃殿下?」

「そうだ。お前たちの所業は既に殿下も把握なさっているし、その背後にグニシアとノーランドが控えていたことも割れている。」


 ジョーンズ少尉が忌々しげに「売国奴どもめ」と罵ると、院長もいよいよ逃れられないと思ったのか、青ざめて「わ、私は脅されていただけだ」と訴え出した。


「脅されていた?」

「そ、そうだ。レイ侯爵閣下に脅されていたんだ! 補助金を出して欲しくば、言う通りにしろと。さもなくば、救済院や孤児院など赤字経営だから、取り潰してしまうと言われて、仕方なく・・・・・・。」


 しかし、エリザベスはその言い分に耳を傾けることはなかった。


「そう言われたとして、誰かの人生を切り売りしていいはずがないわ。」


 それから、怯えた様子で肩を寄せあっている女性や子供たちの前に座ると「もう大丈夫よ、頑張ったわね」と声を掛けた。


「お嬢、こいつら、どうします?」

「その辺はJJに聞いて。ここもそこまで安全では無いし、彼女たちを安全な場所に移したいわ。」

「んー、だとしたら、そいつらはここに縛ったまま転がしておいてもいいかもしれませんけど、お嬢さん方はシェルターに案内するのがいいかもしれませんね。裏門に誘導すれば、ヴィットーリオに援軍を頼んでおきましたから、合流する公国軍に助けて貰えるでしょう。」


 それには黙って話を聞いていたハロルドも納得した様子で、「裏門へは私が誘導致しましょう」と丁寧な所作で話した。


「ありがとう、お言葉に甘えるわ。では、JJとサムは捕縛した者たちの対処をお願い、ハロルドとシークは保護した者たちの避難誘導をしてちょうだい。」


 その言葉に各々が言葉少なに返事をし、それぞれに動き出す。


 ここまでは順調。

 これが終われば、丘の上の本部に退却するだけだ。


 と、シークが急に動き、回廊の方を覗く。


「シーク、どうかしたか?」


 サムが訊ねれば、シークは訝しげに廊下を眺めた。


「いや、何者かの視線を感じたんだが・・・・・・。」

「まだ残っている奴でもいたか?」

「分からない。でも、用心するに越したことはない。」


 耳打ちするようにしてサムに話せば、サムは「注意する」と返事をした。


「サム、ちょっといいか?」


 ジョーンズ少尉の声に不審な気配についての話は打ち切りになる。


「捕縛をした者たちまで、保護する余裕はないが、このまま転がしておいて、敵方に逃がされても面白くないな。」


 うるさく喚いていた院長は、再び口に猿轡を嵌め直したことで少し静かになったが、他の奴らもさっさと片付けねばならない。


 エリザベスは話し込み始めた男性陣を眺めながら、少し離れたところで保護された女性たちに声をかけることにした。


「大丈夫? 怪我はしなかった?」


 自分に出来ることはあまりない。


「お陰様で、擦り傷程度ですみました。ありがとうございます。」


 自分と同じ頃合か、もう少し幼いだろうか。

 笑顔に乏しく、強ばった表情で答える姿が痛ましい。


「お嬢、こいつら、とりあえず隣の物置きに押し込んでくるけど、ここから離れるなよ?」


 不意にサムに声をかけられて、「彼らは大丈夫よ」と話すと、サムに向かって「分かったわ」と答えた。


「あ、でも、JJ。ついでにサムにも『無礼者』って言ってやって。こう見えても大公妃なんだから。」

「はいはい、どうせ俺は無礼者ですよ。」


 エリザベスがふふっと笑いながら話せば、周りの女性たちもつられ始めたのか、くすくすと笑いが起こり、場が和んだ。

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