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取引は慎重に、駆け引きは大胆に(3)

 その頃、ウィンザー伯爵家の跡取り息子のフィリップは、氷華の離宮の一室に通されて、そわそわとしていた。


(本当にギルの奴がここにいるんだろうか。)


 ギルバート=ブラッドレイ=エルガー。


 同じ学び舎に通った同級生の中で、エルガー公爵家の次男は異質な存在だった。

 ボイル公爵家のアルバートと同じか、それ以上の切れ者なのに、常に一歩引いた姿勢をとる彼は「人間、裏の顔があるもの」と思って常日頃過ごしているフィリップにとっても、その本性が読めない男だ。

 何もしなくても将来が約束されている男。

 いつだって自分の一歩先を歩く男。

 特に鼻持ちならない理由は、何故か父から気に入られていて、「イザベラの婿がねには絶対に彼だ」と言わせしめている点だった。


 二つ歳下の妹、イザベラとは特別仲が良いというわけでもない。

 むしろ、自分がボイル公爵家にいることが多いこともあって、兄妹間は疎遠だった。


(イザベラも大人しくしていれば良いものを。)


 主催でお茶会を開き、恥をかかされたなど、自業自得というもの。

 しかも、どこかの男爵令嬢にマウントを取ろうとして、失敗したなど恥の上塗りでしかない。

 正直、自分がギルバートに文句を言うだなんて、お門違いだとも分かっている。

 父も同じ気持ちだったのか、「これがきっかけで、エルガー公爵家に敵対関係に陥らなければ良いが」と大事な政治道具を失ったことばかり、文句を言っていたし、普段の自分もきっと同じ反応をしただろう。


 ただ、そうは言ってもイザベラの部屋に残されていた、艶やかな髪の残骸と「修道院に参ります」と、一言、残された置き手紙は痛ましく思えたし、ギルバートについて書かれた新聞と、憎々しげに黒く塗りつぶされた「エリザベス」の名を見ると腹に据えかねていたのも伝わってきた。

 その分、母はイザベラに「可哀想に」と同情的だったが、外聞を気にしたのか、修道院に迎えに行くようなことはしなかった。

 だからこそ、僅かに残っていた兄心が動いたのかもしれない。


(・・・・・・ギルの奴なら、もっと上手く立ち回れたはずだ。)


 ギルバートはどこだかの男爵家の令嬢に入れ上げているらしく、イザベラの不手際を指摘し、ウィンザー伯爵家を蔑ろにした()()()

 フィリップがそのことを「らしい」と判断するのは、それがイザベラの一視点からの判断で、客観的なものではないからだ。

 イザベラの様子がおかしくなり始めた頃を、残された新聞の日付前後の出来事を確認すれば、その少し前にイザベラがエリザベス嬢をお茶会に呼んでいたことが判明した。

 そこで、特に仲の良かった二、三人に、それとなくその日の出来事を訊ねれば、全員、口を揃えて「あの日のお茶会は惨憺たるものだった」と証言したのだ。


「ギルバート様も、あんなろくなドレスも持たない男爵家の女に入れあげるだなんて。」


 話によれば妹は、どうやらエリザベス嬢に「お茶会の準備も出来ぬ者」とバカにされ、それだけでなくギルバートまでそっちの女の肩を持ったらしい。


「その女というのは・・・・・・?」

「何でもグレイ侯爵の第三夫人に内定していた娘だって聞いていますわ。二回りも上の男に嫁ぐのが嫌で、ギルバート様に色目を使ったって噂でしたの。」


 そんな女が言い寄ってきても、あのギルバートが揺るがなければ、可哀想なイザベラはこんな事はしなかっただろう。


 自分はいい兄ではなかった。それは自覚している。けれど、それが真実なら、一発ぐらいギルバートを殴るか、エリザベスとかいう女に謝罪させねば、伯爵家としての沽券に関わるように思われた。


(・・・・・・とはいえ、早まっただろうか。)


 それもこの氷華の離宮に通される前の話であり、王室の管理する離宮の一室で待っている合間は一人なのもあって、フィリップは恐れ多い事をしてしまったような心地になって後悔し始めていた。

 ギルバートを出せとあんなに騒ぎ立てて、これでここにギルバートもエリザベスとやらも居なかったら、それこそ我が家は恥の上塗りになる。


(だが、あの黒髪の女は、確かにギルバートとエリザベスはここにいると断言していた・・・・・・。)


 ここに自分だけ通される事になったと知った女は「絶対にここで待っているから、あの二人がいたらウィンザー伯爵家の邸に住まわせろ」などと世迷言を言っていた。

 普段の冷静な自分なら、こんな馬鹿なことはしないのに、黒髪の女に「今を逃したら、イザベラが報われない」と言われて、その気になって、気がつけば非常識なやり方で氷菓の離宮の門番と掛け合っていた。


(エルガー公爵家ならまだしも、ここは王家の管轄下だ。ギルバートがいるとは、とても思えない。)


 さっきまでは「ギルバートを殴れるならいい」と思って騒ぎ立てていたのだが、この煌びやかな氷華の離宮の白と銀を基調とした客室に押し込められていると、怒りで膨れていた気持ちがみるみる萎縮してしまう。

 だから、扉の開く音がした時にはドキリとしたし、続けて白ずくめの厳かな姿の女性が現れると、息を飲んで言葉をなくした。


「お待たせしました。」


 白のローブに白のドレス、そして、零れる髪はストロベリーブロンドで、まるで雪の中に訪れた春のよう。


「お初にお目にかかります、エリザベス=ベアトリス=スペンサーにございます。」


 そう言って、鈴の転がるような声で、優雅に淑女の礼をする。


 エリザベス=ベアトリス=スペンサー。


 フィリップはすっかり目と心を奪われてしまっていた。


 ◇


 エリザベスは着慣れない白いドレスを捌きながら、「お初にお目にかかります、エリザベス=ベアトリス=スペンサーにございます」と頭を下げた。

 目元がイザベラ嬢に似たフィリップは、私を見ると驚いた表情になり、それからややあってこちらを値踏みするような顔になる。


 この表情は知っている。

 これはグレイ侯爵と同じで、私の価値がどれくらいあるか、値踏みする時の目だ。


「あなたが、エルガー公爵の令息を誑かしたと噂になっているエリザベス嬢か。」

「どんな噂かは存じませんが、『エリザベス』ではございますわ。」

「イザベラ主催のお茶会で、非礼を働いたらしいな。」

「非礼にございますか?」


 エリザベスが「何の事だが分からない」と言わんばかり首を傾げてみせると、フィリップは明らかに苛立ちを露わにする。


 ああ、可愛い子ぶるのはダメか――。


 よく言えば『フェミニスト』、悪く言えば『女好き』だと巷で言われているフィリップだから、見てくれに騙されてくれればいいと思ったものの、可愛い系は琴線に触れないらしい。


 けれど、最初の驚いた顔。あれを見た感じからすると、この『聖女様路線』が全く外れているわけでもないのでは、と思い直す。

 エリザベスは小首を傾げたまま「いくつかトラブルはございましたが、伯爵家の方に非礼を働くなど、恐れ多い事」と返せば、フィリップは値踏みをする眼差しのまま「トラブル?」と訊ねる。


「はい、()()()()一つの席が足りなくて、その事をギルバート様が気になさったご様子でしたが、イザベラ様はすぐにご手配くださいましたわ。」

「席が足りなかった?」

「ええ、それでギルバート様が庭を散策するように促して、イザベラ様に準備の間、お茶会の時間をずらしてはどうかとお話になられたのです。」


 それからその日着ていたドレスの話やら、領地の資金繰りの話にまで、お茶会で話さねばならなかった事などをフィリップの質疑応答に合わせて答えていく。

 ただ、イザベラが修道院に入ったこともあり、これ以上、傷に塩を塗り込んでも可哀想だと感じて、最後に取り巻きの一人がギルバートにまで当てこするような発言があったことは伏せておいた。


「エリントン卿が怒って席を立った、と聞いたが?」

「ギルバート様は確かに途中で『王太子殿下を待たせているから』と仰せでしたが、他の方にはそのように見えたのでしょうか?」

「合わせたようにあなたもお帰りなったとも聞いている。」

「同じ方に帰るからと、馬車に乗せて頂いただけですわ。」


 あまりに淡々と、かつ、理路整然と話を返されて、フィリップもバツが悪くなってきたのか、「非礼を働いたのはこちらのようですね」と居住まいを正す。

 エリザベスはフィリップの怒りが少し収まり、態度を軟化させた事に内心でホッとした。


「いいえ、あの日、私は初めて呼んで頂いたのです。数え間違いもございましょう? あれは()()()であり、それもすでに過ぎたこと。あの日、イザベラ様は主宰者として、末席に過ぎない私に真摯に謝ってくださってましたわ。」


 そして、ここぞとばかりに沈みがちに「またお会い出来るのを楽しみにしていましたのに、このような目に遭っている私より先に世を儚んでしまわれるとは」と話す。

 フィリップはイザベラのことを不憫に思う兄心と、エリザベスの憂い顔に魅了される男心で揺れているように見えた。


 ああ、あと、もう一歩――。


 エリザベスは止めと言わんばかりに上目遣いに見つめると「フィリップ様も、ご両親もさぞお力落としにございましょう?」と囁く。


「私も修道院に行ってしまおうかと思い悩んでいたところ、乳母に泣かれてしまいましたわ。」

「あなたが修道院に?」

「ええ、この婚約が政治の道具にされる前に。」

「レディ、それは男爵家ゆかりのあなたが王室管理下の離宮(こんなところ)にいらっしゃる事のご理由で?」

「ええ、そうですわ。」


 核心を突くような質問に、再び緊張を強いられる。


「今回の件、王室のどなたかが絡んでいらっしゃる、そう捉えても差し支えないでしょうか?」


 今、ここにいる時点で「否定する」ことは出来ない。エリザベスはこくりと頷いた。


「全ては国王陛下のご配慮なのです。」


 グレイ侯爵の事がなければ、恐らく自分は中立派のコックス子爵のノアと結婚していただろう事は多くの者が知るところだ。

 けれど、グレイ侯爵との婚約話が持ち上がった事で、そのバランスが崩れてしまった。


「スペンサー家の前男爵のエドガー様と言えば、先の戦争の立役者ですね。」

「ええ。そんな祖父は我が家が王家の火種になる事だけは厭うて参りました。けれど、新しいスペンサー男爵、つまり伯父はその均衡を破ってしまったのです。」


 金策に走る中で、グレイ侯爵と懇意になり、従弟の学費や後見を願い出て、中立の立場を欠いていく。


「ウィンザー伯爵家のフィリップ様なら、祖父のように影響力のある者が、いずれかの派閥に組み込まれれば、その後、大きく世が乱れる事をご存知でしょう?」


 ウィンザー伯爵も、言わば同じように「調整」を取ってきた家系。しかも、跡取り息子とあらばエリザベスの立場は理解してくれるのではないか、と思う。


「それではあなたはエリントン卿との婚約は色恋ではなく、政略的な婚約だとおっしゃるのですか?」


 ええ、そう、これは政略的な婚約。それに間違いはない。

 間違いはないのだが、言葉に詰まる。それでも何とか頷くと、「二回りも年の離れたグレイ侯爵家に問答無用で嫁がされそうになっていましたから、それを国王陛下が不憫に思ってくださったのですわ」と捕捉した。


「・・・・・・仮に祖父が英傑と謳われるような人物でなかったなら、はたまた、伯父がグレイ侯爵との縁談を持ってこなかったなら、あるいは違う運命だったのかもしれませんね。」


 そうだ、この婚約はギルバートには「王命」に過ぎない。だから、その大前提が壊れれば終わってしまうかもしれない薄氷の上の関係。

 その事実に気が付くと、急に心は不安にうち震える。


(ああ、どうか、納得してちょうだい・・・・・・。)


 ここでフィリップが納得して引いてくれるなら、それでいい。そしたら、イザベラ嬢の事は私情によるものではないからと、泣き落としでもなんでもして説得しよう。

 しかし、フィリップは「ならば、問題ありませんね」と意外な提案をしてきた。


「エリザベス嬢、宜しければ私と取引なさいませんか?」

「取引ですか?」

「ええ、私は街中で聖女と名乗る女に会って、ここまで来ましたが、あの女と取引をするなら、あなたと取引をした方が良さそうだ。あなたはあの女が言うような良識に欠けた女性にはおよそ見えない。」


 フィリップは聖女だと名乗る女に街で会い、半信半疑ながら、それしか縋れる情報がなく、一縷の望みを掛けてここまで来たのだと言う。

 聖女と言う割には目がぎらついてて、欲に溺れているようにも思えた女は、しかし、自分やイザベラ、それからギルバートとエリザベスのことをよく知っているようで、かなり事細かく状況を口にしていた。


「それによれば、あなたはエリントン卿を誑かし、国家転覆を狙っているという話でした。」

「まあ、悪し様に言われる事には慣れておりますが、また随分と物騒なことをおっしゃる方もいらっしゃるのですね。フィリップ様もその話を鵜呑みに?」

「まさか。ですが、あの女を連れて、ここで騒げば中に入れてもらい、あいつに会えるのではないかと思ったまで。それだけです。あなたやあいつが居なかったら恥の上塗りにはなりますが、あの女に騙されたと言えば、万が一の時の免罪符にはなりましょう?」


 そう言ってフィリップが不敵な笑みを浮かべると、エリザベスは緊張した面持ちになる。


 彼を「とことん女に弱い」と判断したのは、見誤りだったようだ。彼は仮にも伯爵家の跡取り息子で、女癖の噂はともかく、ボイル公爵家の跡取り息子の右腕までしている彼を甘く見ていたのかもしれない。


「それで、どんな取引をお望みなの?」


 エリザベスが訊ねれば、フィリップは「我が家の『イザベラ』になりませんか?」と言い出す。


「イザベラ嬢になる?」

「ええ、正式には父の養女にならないか、というご提案ですが。うちは大事な一人娘を修道院に取られてしまいましたからね。あなたにも悪い話では無いですよ?」


 にこやかに笑うフィリップは、男女の駆け引きの顔ではなくなっている。

 イザベラを失ったウィンザー伯爵家は、エルガー公爵家との良好な関係を保てなくなってしまった。しかし、それはウィンザー伯爵家の本意では無いのだ、と話す。


「君だって心配なはずだ。今はご健在とはいえ、もしもの事があれば、君は後ろ盾を失ってしまう。国王陛下の申し出もエドガー様がご存命だからこそ。」

「それで、ウィンザー伯爵家に入れと?」

「ええ、あなたにも悪い話ではないでしょう? 我が家に入れば、ボイル公爵家、エルガー公爵家の両方から嫁ぎ先を選べますよ。真の意味の中立だ。」

「そして、この話を受け入れねば、イザベラ様のことでギルバート様を訴える。そう脅迫なさるのね?」


 すると、フィリップは「面白い」と言わんばかりの顔になり「脅迫とは人聞きが悪いですね」と笑う。

 自分から政治的に考えて欲しいと、話をそちらに持ち込んだものの、フィリップと自分では交渉をしている場数が違う。

 手持ちのカードを全部切った自分とは違い、フィリップはこちらが折れざるを得ないように話を仕向けてきた。


「何かご不満がございますか? エリントン卿とは政略的なご関係なのでしょう? ならば、その相手が僕であっても、さほど問題は無いはずです。ああ、でも、もし初めて会った私が信用ならないというなら、ここで誓文を書いても構わないですよ。私は『あなたの意思を尊重し、中立を保つ』とでも致しましょうか? このフィリップ、ウィンザー伯爵家の家名に掛けて、お約束を守りましょう。」


 エリザベスは動揺を隠せなくなり、目を泳がせるとドレスの裾を握り締めた。

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