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第六話:ふたりのことね

 僕は、とりあえず琴音を豊岡さんの家に連れて来た。

 理由は、一人暮らしな上に琴音の知り合いであり、僕の家とも近いから。


「琴音…あんな思わせぶりな日記残してたのに…」


「目が覚めたらベンチに座ってました」


「ベンチって、マンションの下の公園の?」


「はい!」


 あぁ、またこれはあれか。

 そんな意図を込めた視線を豊岡さんに送ると、こくりと頷く。

 こうも非現実的なことに2回も巻き込まれるとは…。

 ちなみに、事情を話したら豊岡さんは信じてくれた。


 思春期アブノーマル。

 白昼さんの件。それで僕はその存在を実感した。

 本来ありえないことが起きる。

 そんな単純なものだとしても、恐ろしいものだ。


 死者さえも蘇らせてしまう。

 いや、正確に言えば違うかもしれない。

 白昼さんが僕の作った幻想の具現化だとすれば、それは甦りとは言えないだろう。

 十分に特異なことだが…。


 で、今回の件は…。


「琴音か僕に問題があるんだろうね」


「そうなんですか?」


 本来なら、昨日か今日、琴音は消失してしまっていたのだ。

 詞音の記憶が戻るのと引き換えに。


 でも、琴音は目の前に居る。

 そして、受話器の向こうの詞音も健在だった。

 つまり、ここにはある意味同一人物が二人いる。


 ドッペルゲンガー…とはまた違うだろうが、これは現実には起こりえない事だ。


 僕は、琴音と別れたくないと思ってしまった。

 仮に、その時に思春期アブノーマルが起こり、『琴音』の存在が形成されたとしたら?

 つまり、『琴音』は『詞音』が目を覚ました時に生まれたのではなく、僕が琴音を失ったショックで嘆いている時に作られたものだとすれば?

 琴音は、目が覚めたらベンチにいたと言っていた。

 それが琴音が形成された直後にあったことだとしたら、辻褄は合う。


 琴音は、日記にて時間をくださいと言っていた。

 その結果琴音が詞音から分離したのなら、夜もしくは朝方に存在が確認されただろう。

 その場合どうなる?

 公園のベンチで女の子が寝ていたのなら、大騒ぎになるだろう。

 だが、それらしい騒ぎもなかった。


 僕が家に着いたのは九時くらいだ。

 出勤時間からは少しズレている。

 あの時は、周りが見えていなかったため、琴音には気が付かなかったけど。

 だから、僕は前者の方が可能性が高いのではないかと考えている。


「原因について考えるのは後にして、どうするの?琴音ちゃん」


 どうする…か。

 確かに、琴音と詞音を合わせるわけにはいかない。

 パニックになる上に、何が起こるかわからない。


 となると、琴音を家に帰らせるのは無理となる。

 酷な話だが…。


「家には…二日後には詞音が帰ってくる」


 遠回しに、琴音は家には居られないのを伝える。

 琴音だって、分かってるはずだ。

 わざわざ、言葉にするのは返って琴音を傷つけてしまう。


「だから…、琴音には…」


 僕は、豊岡さんに視線を向ける。

 本来なら父に託すのが妥当だろうが、こんな非現実的なことを父が受け入れるはずもない。


 ともなれば…。


「あんた、私の家で琴音ちゃんを匿う気!?」


「そりゃ、それくらいしかないし…」


 隠れてたって、いつかは見つかる気がする。

 琴音、鈍臭いところあるし。


「詞音は豊岡さんのことを知らない。尚且つ琴音は豊岡さんと打ち解けてる。それに一人暮らし。ほんと、これ以上にこの状況で好立地な物件はないと思うけど?」


「家はシェアハウスを許可してないの!」


「琴音」


「はい?」


「前に魚住さんに教えて貰った方法があるでしょ?お願いする」


「はい!」


 そう、それは三週間ほど前のこと…。


 ある日、魚住さんが家に遊びに来た。

 あの時はまだ琴音はハードスケジュールではなかったため、家でマイペースに勉強をしてた頃だ。


「ねぇ、琴音ちゃん」


「ふぇ?なんですか、魚住さん?」


「今から、お願い術を教えてあげるね?先輩にも効くかもしれないよ?」


「術?忍法ですか?」


 術?何の話をしてるんだろう?

 ちょっと興味ある。

 僕は、昼食の皿洗いをしながら、その会話に耳を傾けた。


「まずは、少し服をはだけさせて…」


「はだけさせ…」


「いやダメ!魚住さん、琴音に変なこと吹き込まないでよ!」


 堪らなく、僕は声を上げた!

 いや、なんで!?

 なんで僕にも効くと思ったの?


 あと、純粋に琴音にそんなこと教えないで欲しい!


「琴音ちゃんには早すぎたかな?」


「むむむ…忍法には修行が必要なんですね、ニンニン!」


「じゃ、もっと簡単なものを教えてあげるね?」


「変なのは辞めてね?」


「分かってるって」と、笑いながら言う魚住さんは、どこか信用ならない空気を醸し出していた。

 彼女を信用出来ない彼氏もどうかとは思うが…。


 今度は僕に聞こえないように小声で会話しているようだ。

 すると、琴音がパタパタと歩いてきた。

『変なのだったら、許さない』と、魚住さんに視線を送る。

 魚住さんは、『分かってる』とでも言うかのようにウインクした。


 すると、琴音は何故か体を少し前かがみにし、僕を見上げた。

 俗に言う…。


 上目遣いだ。


 や、やるな、魚住さん。

 健全でありながら、がっちりと男心を掴んできている。


「お兄ちゃん、可愛いですか?」


 人差し指を唇の下あたりに置き、わざとらしいほどに可愛い仕草をしてくる。


「うん、可愛い」


「わーい!」


 僕に可愛いと言われて、琴音は心底嬉しそうに背筋を伸ばして腕をぴんと上にあげた。

 僕は、別にお世辞を言った訳では無い。

 ただ、思ったことを言っただけだ。


 その後、魚住さんもやったのだが、まぁ案の定どっちが可愛いかと聞かれたため、『どっちも可愛い』と返した。

 二人は満足そうにしていた。




 とまぁそんなことがあり、琴音は魚住さんに上目遣いをレクチャーされているのだ。

 兄である僕でさえ揺らいだのだから、効果はあるだろう。


 すると、何故か琴音はふらっと豊岡さんの方に倒れ込んだ。

 それを、慌てるようにして豊岡さんが抱える。


「ど、どうしたの!?」


「豊岡さん…」


「な、なに?」


 あ、これは…。

 そういう事か。

 これは偶然を装った琴音の策略!

 今、豊岡さんは琴音が近くにいる興奮よりも琴音が倒れてきたことに対する心配の方が上!

 それを…!一気にひっくり返す!


「豊岡さん…こんな鈍臭い琴音だからダメなんですか…?」


「ーー!」


 決まった!


 上目遣いからのあざとい仕草からのドジっ子アピール!

 これにより…。

 豊岡さんが倒れかけた。


「…はぁ…はぁ…私の完敗ね、琴音ちゃん…」


「だ、大丈夫ですか?」


「大丈夫…」


 真っ赤な顔をした豊岡さんは、琴音から見れば熱が出てるように見えたのだろうか?

 結構心配してるみたい。

 でも、普通はいきなり熱になんてならない。

 つまりただ興奮しただけと考えるのが無難だろう。


「…って訳で、琴音のことをよろしくね」


「えぇ、任せて。食費くらいなら賄えるわよ」


「お兄ちゃんも来てくださいね?」


「うん。だって、僕は琴音の兄だから」


 琴音はそれを聞いて、心底安心したように笑った。




 僕が詞音病室に戻ると、頬が膨れた詞音が待ち構えていた。

 さながら、餌を口に蓄えたリスだ。


「遅いよー!」


「ごめん、ちょっと財布が見つからなくて」


「で、ご飯は?」


「あー、まだだった」


 琴音の件ですっかり忘れてた。

 詞音は、「しっかりしなよー」と、これまた頬を膨れさせて言った。


「それより、お兄ちゃん。なんで目が充血してるの?」


「欠伸だよ。寝足りなくてさ」


「早く寝なよ、健康第一!」


 人差し指を立てて、詞音は僕を叱った。

 こうやって接していると、なんだか昨日も会ったみたいだな。

 でも、違う。

 昨日まで会っていたのは詞音じゃなくて琴音。


 そう考えると、なんだか複雑な気分になった。

 まぁ、琴音もいるんだけどさ。


「じゃ、行ってくるよ」


「あ、待って!」


 詞音が僕を呼び止める。

 そして、点滴スタンドを持って、「あたしも行く」と言った。


「大丈夫なの?動いて」


「問題ないってさ」


 それならいいけれど…。


 僕らは売店にやってきた。


 おにぎり二個と天然水。

 どうせなら家で食べればよかったが、それどころではなかった。


「お兄ちゃん」


「何?」


 病室に戻る道中、詞音が話しかけてきた。


「あのさ、あたしが寝てる間、何かあった?」


 寝てる間…。

 琴音が、頑張っていた時間。

 琴音と、過ごした時間。


 詞音が、知らない時間。


「琴音が、頑張ってたよ」


「そっか。通りで」


「何かあったの?」


「なんでもないー」


 詞音は嬉しそうに笑った。

 きっと、それは嘘だろう。

 なんでもないのにあんなに笑うはずがない。


 詞音の病室まで戻ってきた。

 その時、僕のお腹がギュルルとなった。


「お兄ちゃん、早く食べなよ」


「うん。いただきます」


 空腹を満たす、掌二個分の幸福。

 鮭とおかか。どちらも美味しい。


 どちらを先に食べるべきだ?僕は。




 病院から帰り、琴音の部屋を片付けていると、琴音が僕の家にやってきた。

 どうやら、荷物をある程度持って行きたいらしい。

 僕は段ボールに琴音の荷物を詰め込み、手渡した。


「あとこれも」


「これは…」


 わざと、琴音に分かるように声に出して段ボールに入れた。

 琴音の付けた日記。


「お兄ちゃんにあげました」


「だったら、琴音に返すのも自由だよね」


「お兄ちゃんは屁理屈です」


 琴音は唇を尖らせて、僕を見つめた。

 僕はそんな琴音を後目に、テキパキと段ボールの蓋をガムテープで固定して、琴音に渡した。


「あと、これは僕から返しておくよ」


 須磨さんから貰った恋愛小説。

 一週間後に家に来てもらって、返すことになっている。

 その時には、もう琴音はここにはいられない。


「お兄ちゃん、それは詞音さんに渡してあげた方がいいです。詞音さん、好きなんですよね?」


「…あぁ、琴音がそれでいいなら」


 となれば、詞音に渡してから須磨さん返すか。


 琴音の荷物を全部詰め込むと、結構重かった。

 なので、僕が豊岡さんの家まで荷物を運ぶことにした。

 琴音は、どうやら走り込みしかしてなかったようで、腕の力はあまり付いてないようだ。

 荷物が持ち上がらなかったのだ。

 僕も、ギリギリ持てるくらいだけど。


「明石は?」


「明石には、ここに居てもらいます。ここの方が、落ち着くと思うので」


 割り切ったような言い方。

 だが、その横顔はどこか寂しそうだった。


「琴音ちゃん、これからよろしくね」


「はい!よろしくです、豊岡さん!」


 豊岡さんの家に帰ってきて、琴音の荷物を置く。

 二階に空き部屋があって助かった。


 模様替えは…、本人に任せるか。


「お兄ちゃん」


「何?」


「詞音さんのこと、よろしくお願いします」


「うん」


 僕は、力強く頷いた。

 それから、琴音は部屋の模様替えに精を出していた。

 僕は、リビングで豊岡さんと机越しに向き合う。

 勉強会でも、お茶会でもない。

 琴音をどうするか、その会議だ。


「正直、琴音は遅かれ早かれ消滅してしまうと思う」


「同じ人間が二人も存在することは出来ないものね。詞音ちゃんが琴音ちゃんの存在を認識した時…どうなるか」


 ドッペルゲンガー。もう一人の自分。

 僕は、その存在が頭を過ぎった。

 それを厄災の前触れとする説もあれば、会うと死んでしまうという説もある。


「それに、琴音の方が消える可能性が高い」


「…うん、そうね。詞音ちゃんの記憶が戻って、琴音ちゃんの人格は無くなったはず。それに、体は詞音ちゃんのものになったはずなのに自身の体を手に入れて実体化した…」


 なら、思春期アブノーマルが解消されて、消えるのは肉体を手に入れた琴音の方だ。

 ただ、消失が先延ばしになっただけなんだ、琴音の。


 いずれ、消える運命。

 それを琴音は分かっていて、あんなふうに振舞っている。

 なんでもないように、笑顔で、僕達に話しかけてくる。


 …そう思った瞬間、やるせない気持ちが頭を支配した。

 でも、琴音がそんなことを感づいたら、余計に気を使わせてしまう。

 だから、僕も今まで通りに演じることにした。


 僕は一日後、また豊岡さんの家を訪れた。

 そして、衣装ケースを隣の部屋から琴音の部屋に持っていく。

 本人曰く、『力仕事は男子の仕事でしょ!』とのこと。

 まぁ、別にいいけど。でもこんなに軽いなら自分で持っていってほしい。

 すると、琴音がドタドタと足音を立てて降りてきた。


「お兄ちゃん、豊岡さん、来てください!」


「どうかした?」


「いいから、来てください!」


 首を傾げながらも、妙にハイテンションな琴音の後をついて行くことにした。

 行先は…琴音の新しい部屋か?


「この衣装ケースの中に、たっくさん、たーんまり服があるのです!さながらかぐや姫のお爺さんの気分です!」


 目を疑った。

 狐に化かされている気分だ。

 そんなはずがない。

 琴音が持っているのはプレゼントで渡した服とパジャマ、それと浴衣くらいだ。


 なのに…それなのに、何故その衣装ケースに服が詰められている?


 それは、さっき豊岡さんがくれたもの。

 僕が運んだから、よく覚えてる。

 中身がないのも、確認済みだった。


「わ、私からのプレゼントよ!」


「本当ですか?ありがとうございます!」


 琴音は笑顔を振りまいているが、僕は見逃さなかった。

 明らかに、豊岡さんが一瞬だけ不安の色を見せた。

 困惑しているのだ、この服の存在に。

 琴音を混乱させないように演技してるんだろう。


「今の気持ちを日記に書いておきます!」


「じゃ、じゃあ僕らは用事があるから出ていくね」


「はい!」


 またもや、リビングに戻る。

 昨日よりもさらに重い雰囲気。

 そんな中、沈黙を割ったのは僕の声だ。


「あれ、豊岡さんが入れたの?」


「違うわ。だって、奏多と一緒にずっと居たじゃない。それに、あれが元々何も入ってないのはあんたが一番わかってるでしょ?」


「うん…」


 一瞬目を離した隙にあの量を入れるなんて無理だ。

 頭が混乱してきた…。


「存在を作り出す…?」


「何よ、それ」


「からくりが少し見えたかも」


 現実味を逸脱しているが、思春期アブノーマルなんてそんなものだろう。

 そこで、僕なりに仮設を立てた。


「琴音は、存在を作り出してる。現に、大量の服を作り出した」


「でも、本人も無意識だったわよ?」


「そうだよね…」


 やはり、根拠が乏しすぎる。

 仮説を立てるには、あまりにも無知。


「でも、それは有り得るかも。琴音ちゃんもこうして存在してるんだし…」


 琴音は自分自身の存在を作り出したってことか…。

 でも、今までの琴音からは考えられないな。

 服が欲しいなんて。


 それこそ、「あまーいものが食べたいです!」とか、「お兄ちゃんと一緒の学校に行けるようになりたいです」とか願うだろう。

 後者の場合学力の向上か、反映されるとしたら。


 分からない…。

 全く、全くわからない。

 理由も、根拠も、何もかも。




 随分と長い間、眠ってたみたい。

 もう一人のあたしが、頑張ってくれてたんだろうな。

 頭の中に、覚えてもなかった難しい公式、漢字が浮かんでくる。


 もう一人のあたしに、会ってみたい。

 会って、お礼がしたい。

 ありがとうって、言いたい。


 でも、それは叶わない。

 だって、その子はあたしの中で眠ってるから。

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