23.彼らが臨むは地に伏し屍龍1
毎回言っていますが、遅くなって大変申し訳ないです。
それでも読んでくれる皆さんに、改めて感謝を。
俺が朽葉と浅緋を迎えに行くと、作業場にはナギがいた。
椅子に座り朝日を眺める彼女の腕には、眷属達が大切に抱かれている。
扉が開いた音に気付いた彼女が、窓から目を離す。
「先輩、おはようございます」
「……うん。おはよう。……ずっとうちの子達を見ててくれたのか。悪い」
「大丈夫ですよ。私の方も現実で少しありまして。……こっちに居たい気分でしたから」
ナギが透き通った笑顔を浮かべる。
「……そか。ありがとな」
言いたい事がいくつも浮かんだが、言えたのは結局それだけだった。
俺が朽葉達を受け取ろうと彼女に近寄ると、藍色を帯びた黒い瞳が俺を真剣に見上げる。
「先輩。大丈夫ですか?」
「ん?」
「疲れた顔してますよ」
「……そう、かな?」
思わず頬に触れる。
こういった裏作業的な物は、ギルド『神域』に居た頃以来なので、無意識の内に気を張っていたのかもしれない。
「先輩。少しお話しませんか?」
「んー。でも――」
まだやれる事があるかもしれない。
そう思って誘いを断ろうとすると、ナギが揺れる瞳で俺を見上げる。
「くーちゃん達が起きるまでの間でいいですから。……駄目ですか?」
「……そんな事ないよ」
彼女の発言が、俺を慮ってのものだと俺でも分かる。
本当、敵わないなあ。と苦笑しながら俺はナギの向かいに座る。
「じゃあ。ちょっとだけ」
「はい。ちょっとだけ、ですねっ」
ナギが桜色の唇を綻ばせる。
それを見ただけで、満更でもない気分になる自分は、案外単純なのかもしれない。
◆
俺達に宛がわれた談話室。
簡易戦闘マップを挟んで、オカリナがマリーから指導を受けている。
「え、えっと。こう、ですか?」
「そうしたら盾役に回復が届かなくなりますよ」
「あ、そうですね。……じゃあ、こうですか?」
「そうですね。どうしても漏れる場合は、優先的に入れるメンバーを決めておくといいですよ。盾役最優先で、次点で攻撃役が一般的でしょう。しかし最終的にはオカリナさんの判断です」
「は、はい……ッ!」
マリーの指導は、明らかにこれまでよりも上を求めている。
これまでの初心者だからという遠慮は無くなり、しかしその分、互いの距離が縮まって見える景色。
他の所でも、同様の話し合いがなされている。
「いやー。バタバタしてるねっ」
「……貴方のせいでしょうが」
魔女がテーブルの向こうから鋭い視線を向けてくる。
俺はその視線から逃げるように、腐龍のデータに視線を落とす。
魔女が調べた行動パターンに、それに対するチームと個別の両方の対処を書き加える。
魔女は俺から目を離すと、周囲を見る。
「……こんな調子で倒せるのかしら?」
「んー。大丈夫じゃないかな?」
「根拠は?」
俺はデータの確認をしながら口を開く。
「……このチームの皆は、良くも悪くも協力的だったからね。自分の意見が有っても、相手の行動を優先して遠慮する所があった。でも今は自分が思う最善を話し合ってる。いい傾向だと思うよ?」
「そうである事を願うわ……。それにしても、深夜と比べて、貴方は余裕があるように見えるわ?」
「んー。さあ?」
適当にはぐらかす。
要因は今朝の休憩だけでなく、オカリナの様子の変化もある。
アリシアと何を話したか知らないが、あの様子ならもう危惧する事も無い。
(そもそも腐龍討伐は説得失敗時の保険の一つだったからなー)
そこまで考えて、もう一つの保険を思い出す。
そして魔女に言わなければならない事も。
「魔女さん魔女さん」
「……何かしら?」
「ほら、例の本あったじゃないですか。報酬として渡すって言ってた」
「ええ。……何か嫌な予感がするわ」
「落としました」
魔女がピタリと動きを止める。
そしておもむろに呪文を唱える。
「《深遠、礫、衝撃――》」
「払う気はありますから、暗黒魔法は止めてください死んでしまいます」
全力で頭を下げる。
魔女さんは展開していた黒の魔法陣を溜息と共に霧散させる。
「報酬に関しては、少し手心を加えようと思っていたけれど、止めようかしら?」
「手心? どうして?」
「……個人的に思う所があって、かしらね」
魔女に頼んだのは、各チームへの遅延行動、それとオカリナとギールの背景という情報面だった。
彼女に限ってそんな事はないと思いつつ、俺は可能性を口にする。
「もしかしてオカちゃんの境遇に同情したの?」
「……同情、ではないわ。……ただ、あの子の行く末に、私の知りたかった答えがある気がする、……とでも言えばいいのかしらね」
魔女はマップと睨めっこするオカリナを眺め、静かに首を左右に振る。
「んー。……これ以上は聞かない方がいい?」
「……そうね。私も上手く説明出来る自信が無いから、そうして貰えると助かるわ」
「ん。はい、これ」
俺は閑話休題の意味も込めて、彼女に完成したデータを渡す。
文章を目で追っていた彼女が、後半になるにつれて戸惑っていく。
「貴方、この、……書いてある事は本当なの?」
「んー。今朝ざっと見てきたけど、あの状況からして、その可能性があるってだけだよ。腐龍のHPが半分を下回った例が無いからねー」
他のメンバーにも情報を渡す為に、俺は席を立つ。
俺を訝しげに見上げる魔女に気付き、俺は口の端を吊り上げる。
「あくまで保険だよ。保険」
◆
ドラゴンゾンビ。
強靭な肉体と膨大な魔力を有すドラゴン。その屍骸に黒の魔力が宿り、動き出したモノ。
その性質上、生前の高度な思考は存在せず、ただ近付く者を破壊する単純な動きをする。
生き返ったというよりは、ただの動く死体である場合が殆どである。者というよりも物と言った方が正しい。
しかし、その崩れかけた体に記憶が残っているのか、生前の行動をトレースする個も存在する。
ドラゴンでいえば、ブレスや飛翔などが例として挙げられる。
そして、時には生前よりも厄介な存在となるモノもいる――。
俺達は今まさにそれに挑戦しようとしている。
中央部。殆ど唯一となった未開の地。
その全てが黒紫の瘴気で囲まれ進入不可となっている。
その中央部の内の森林エリア。その入り口前に鎮座し、腐龍は静かに伏している。
俺達はその巨躯の前、ボス前のセーフゾーンで息を潜めて寄り添っている。
ここがシステム的に安全なのは頭で理解しているが、実際に脅威を前にして、俺達は少し気圧されていた。
「……大きいわねえ……」
ユーナが手で庇を作って小高い丘ほどあるドラゴンを見上げる。
彼女が皆の気持ちを代弁していた。
「――さて」
ソラの言葉に俺達は彼に注目する。
九人全ての視線を受けても、彼に動じた様子は無い。
「色々とバタバタしたけど、何とかここまで来れたね。相手は強敵だけど、俺は皆となら勝てると思ってる」
彼は気負いを感じない普段通りの笑顔で俺達と目を合わせる。
その瞳からは、嘘を付いている様子は感じられない。
「不安はあるけどさ。俺が失敗しても皆がフォローしてくれるって信じてるし、皆が失敗しても俺がフォローするしさ」
こちらの不安を拭い去る笑顔で彼は言い切る。
「だから、勝てるよ」
所謂カリスマというものだろうか。
誰よりも先頭に立って、その背中で仲間を勇気付けるタイプ。
これまでソラはそうやってチームを引っ張ってくれた。
「またあんたの根拠のない自信が始まった……」
「そう言うなってユーナ。俺はソラのそういう所好きだぜっ!」
ユーナが頭を抱え、ジャンがソラの肩に手を回す。
そのどちらの表情も先ほどより解れている。
「そっか。じゃあその根拠はリクにでもお願いしようかな? 言い出したのはリクだからね」
「……まあ、その通りだけどさ」
こう言われたら断れない。
俺はソラの期待の眼差しを受け、渋々口を開く。
「……俺達が今回戦うのは、アースドラゴンゾンビ。種族は不死。属性は大地。推定HPは――」
「あ、リク。時間が無いから、そういうのは無しで」
「……状態異常を複数掛けてくる厄介なエリアボスではあるし、タフでもある。厳しい戦いになるのは間違いない。もしかしたら負けるかもしれない」
俺は大丈夫だ。と笑顔で言えるような人間ではない。
「でもさ。それは今回に限った話じゃないよ。どんな戦闘も約束された勝利なんてものは無い。負けの可能性は何時だって存在する」
俺は一拍置く。
「だからさ。出来る事を一つ一つやっていくしかないと思うんだ。そうすれば案外なんとかなるよ。……多分ね」
これが俺の精いっぱい。
不安を煽る様な台詞を言ったので、皆の士気に悪い影響を与えたかもしれない。
周囲を確認する前に、ユーナがまたしても呆れながら言う。
「あんたねえ……。励ましたいのかそうじゃないのか、どっちなのよ」
「んー。ほら、俺って正直者だしね」
「お兄さん。寝惚けるには早いのですよ」
「リク。寝言が許されるのは、寝てるからなんだぜ」
散々な言われ様である。
ソラが笑いながら俺の肩に手を置く。
「ま、リクらしくていいんじゃない? こう、肩の力が抜ける感じで」
「それ褒めてないよね……?」
「あっはっはっ! それじゃあ、このまま行っちゃおーッ!!」
ソラが俺の肩を叩いて離れ、腐龍に向かって歩き出す。
チームの皆も足取り軽やかにそれに続く。
何となく出遅れた俺が皆を眺めていると、大男が俺の隣に並ぶ。
「ラー様。……どうしたの?」
「…………」
寡黙なチームメイトは、俺に何かを差し出す。
チェスの駒の様なそれは、朽葉と浅緋の木彫り像だった。
「えっと……」
精巧な出来のそれと、ランドルフの顔を交互に見る。
ランドルフは何も言わず、差し出した体勢でいる。
俺がおずおずと二つの彫刻を受け取ると、彼は小さく頷いて踵を返す。
俺はその背中を呆然と眺める。
二匹は定位置から移動して、彫刻に集まる。
朽葉は興味津々に匂いを嗅ぎ、浅緋は一通り検分して満足げに鳴く。
「……もしかして励ましてくれた、のかな?」
器用な彼の不器用な気遣い。
俺はそれを大切にインベントリへと仕舞い、皆を追いかけた。
◆
地に伏す地龍の亡骸に近付くと、進行不可の紫の濃霧が俺達と腐龍をまとめて囲む。
思わず足を止める俺達の前で、腐龍が緩慢な速度で頭をもたげる。
巨躯は相変わらず伏したまま、首だけで俺達を見下ろす。
強者の態度にソラが困ったように頭を掻く。
「……凄いな。不敗の貫禄は伊達じゃないね」
「腐敗だけに?」
「32点ですかね」
リューネがソラを無表情で見つめ、アリシアが無情に採点する。
こんな時にも無駄口を叩く仲間に俺は口を尖らせる。
「待て待てっ。俺の時より4点も高い事に不満があるんだが?」
「今はそんな事どうでもいいでしょ! 来るわよ構えなさいッ!」
ユーナの注意と共に、腐龍が腕を振り下ろす。
俺達は蜘蛛の子を散らすように散開する。
腐龍は顎を不自然なくらい大きく顎門を開けると、涎の様に口から紫の息を落としていく。
息は地面に触れると拡散し、俺達に追い縋る。
「――起きろ。風の精霊剣」
ソラが名を呼ぶと、呼応するように緑の剣が風を纏う。
彼は龍の息吹の正面に悠然と構える。
「――風を解き放て。《西方の旋風》」
景色が歪む程の風が、剣に集束する。
彼がそのまま剣を叩き付けると、剣先から幾つもの旋風が生まれる。
緑の輝きを帯びた風は息吹と衝突し、それを押し返しながら余波で腐龍の体を切り裂いていく。
パーティを襲った息吹を文字通り吹き飛ばしたソラ。
聖剣を肩に担ぎ直した彼が、弾んだ声でこちらに振り向く。
「さて。戦闘を始めよっか?」




