6.旅立ち
爽やかな風が、部屋を吹き抜ける。
そこにいたのは、楓丸と千世、そして、お露の毒を受け動けないようになっていたお紗代がそこにいた。
「お紗代さん、体の調子はどうですか?」
と千世はお紗代に尋ねる。
「えぇ、腕もこうやって───肩まで上がるようになったわ!」
と肩まで腕を上げぐるぐると腕を回しながら、お紗代は元気そうな笑顔で答える。
「本当に有難うございました。助けていただいて……」
「……それで、あの。」
「お露は……どうなりましたか?」
「お露さんからは、これを渡してと」
とお露から渡された物をお紗代に渡す。
それは、簪。
簪には真珠がついていて、どこか高級感のある印象を覚える。
お紗代は驚いたように、その簪を受け取る。
「これは…………」
「私が、お露の結婚祝いで渡した簪……」
「まだ……持っていてくれたんだ……そっか……」
「ありがとう、お露さんは……何か言ってた?」
「……忘れていたら地獄から蘇って怖い話でもしてあげるって言ってましたよ」
「……そう、ですか……」
「あの子が、どんな罪を、どんな事をして来たかは私にはわかりません。ですが」
「せめて、お露さんが、あの世でも幸せで居られることを……」
「……どうしてでしょうか、私、何か大切な事を忘れていたような、そんな気がするのです。」
「大切な事?」
「お露さんは、半年も前から死んでいた、そんな気がするんです。」
「どうしてかは、分からないのです。ずっと隣にいて、話して、楽しい日々があったと覚えているのに」
「二回目の悲しい気持ちが、何故か私の心にあるのです。」
「おそらくですが……」
「妖刀は世界の在り方を変えてしまうのです。」
「……?」
「妖刀は、妖刀を持った者に都合の良いように変えてしまう。そんな力もあるのです。」
「今まであった、妖刀と呼ばれるものは、人を狂わせ、狂気を纏い、衝動を駆られる、そんな力がありました。」
「ですが、私たちが相手にしていたのはそれとは違う。」
「アマクニと呼ばれる者が、この妖刀を作り、お露さんを、在り得ない形で存在する世界になってしまったのです。」
と突拍子もない話をされ、キョトンした表情でお紗代は聞いていた。
「はは……私には何が何やら……」
「でも───」
「私は、お露さんにもう一度会えた、それだったら私はそれだけで嬉しく思います。」
「お紗代さん、一つだけ聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「えぇ、私で答えられることなら!」
と元気を取り戻したようにお紗代は応える。
「お紗代さんってどうしてあなたが襲われてしまったの?」
「それは……」
そこからお紗代は、あの夜の事を話し始める。
誰かがいなくなる怪談、血だまりが地面に残ってしまうそんな怪談。
「お紗代さんはどうして、その事を知ってたの?」
「お客さんで、嬉々として話してくれた方がいたんです。」
「それは、どんな奴だった?」
「とても、身長が高い方で、座っているだけでも私の背と同じぐらいの大きさで───武士のような佇いでしたけど、刀は持ってなくて───」
「それって────」
楓丸と千世はあの質屋の男の言葉を思い出す。
偽物の刀を渡した、背の高い男。
その男が、このアマクニの事件を知っているのなら───
アマクニに近づけるはずだ。
「それは、四日前の事じゃないか?」
「えぇ!そうです。」
「そこで話してくれたのが、この怪談でした。」
「その人の名前は?」
ふるふると残念そうにお紗代は首を振る。
「すみません。あ、でも───」
「その人が行った先は覚えてます!!」
「本当か!」
「旅行がてら、日本全土を周ろうって言っていました。だから次の行先は───」
「『薩摩』の方へ旅行をしようと───」
薩摩、日本の最南端に位置する場所か。ここからだと、余りに遠いが……
「師匠、行くしかないよ」
と千世は決意を秘めたような声で答える
「私たちは、手掛かりを掴めそうな所まで来た。」
「だから、行くしかない。」
「あぁ───そうだな。」
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それから数日が経ち、大阪を旅立つ日が目前になった頃。
夜空には煌々と照らす満月が見守られながら、楓丸は書物に筆を取り、何かを書いていた。
内容は、この大阪で起きた出来事。事後処理やここで起きた事を全て書き記さなければいけない事になっている。
俺たちは妖刀を破壊した後は、その破壊した妖刀をある元へと送らなければいけない。
そのお方は、俺も会った事はない。ただ、相当に偉い方と仲介人はそう言っていた。
薄々は想像付くが、気にすることではない。
破壊した妖刀は清められ、その刀身を溶かし、また別の鉄鋼品に変える。
新しい刀として生まれるのか、あるいは包丁か、鍋にも変えられてしまうのかもしれない。
それが、どうなるのかは、俺たちが決める事ではない。
「ふぅ……」
楓丸は筆を止め、書き記した報告書を乾かしていく。
少し時間がある。さて何をするべきか。
とそんな事を考えて居た時に、襖から声がした。
「楓丸……さん」
その声は余りに弱々しく、いつもの声とは違った。
「!……千世か。入ってもいいぞ。こっちも用事を終えた所だ」
「失礼……いたします。」
風呂上がりだったのだろう、いつも纏めていた髪は解け、腰に届きそうな程の長い髪が現れ、
髪の毛はしっとりとしている。そして風呂上がり特有の石鹸の香りがふわりと鼻を擽る。
石鹸は昔であれば貴重品として出回らない物だったが、最近の豊かな生活においては女性の一つの身分の高さを表す物となっていた。
着物もはだけており、千世の乳房が少し現れていた。
楓丸はすぐに目線を逸らし、何時ものように千世に語りかける。
「また、怖い事でもあったか」
「……未来で、私が死んだ未来があったの」
「その感覚が、溢れてくる」
千世は体を震わせ、弱々しい声で語り掛ける。
「痛みはない、でも切られてしまった感覚だけは残ってて、それで───」
「大丈夫」
と楓丸は千世の手を握る。優しく赤子の手を触れるように。
「ごめん、なさい」
と一言、千世は呟いた。
「……茶を出そう。少し待っていてくれ。いい生薬があるんだ。苦くしないように美味しく作るよ」
千世は黙って、笑顔で答える。
千世は時々、こういった風に未来に怯えた感情が湧き出し、心が負けそうになってしまう時がある。
もし、そうなったときに頼る時は、俺の名前を言うようにすると約束した。
いつもは師匠と呼ぶ彼女だが、師匠と呼ぶときは余裕がある時だけだ。
心は強くあろうとする彼女でも、ふとした瞬間に心が弱くなってしまう時はある。
俺も選来を振るっていた時もその感覚はあった。
未来を見るという事は見たくもない未来を味わう事にもなる。
だからこそ、俺が力になるしかない。
同じ感覚を味わい、苦しんでいる彼女を放っておくわけにはいかない。
俺は千世を守らなくてはいけない。
千世が選来を振るわなくてもいいように、俺がもう一度選来を使えるようになれば千世をこの戦いに巻き込まなくてもいいようになる
でも、今だけは千世と共に戦おう。妖刀でこれ以上の被害者を出すわけにはいかない。
楓丸は生薬を潰しそれを茶器に入れ、水を沸かし、二つの茶器に注いでいく。
「できた。生姜茶だ。風呂上がりで湯冷めしているかもしれん。温まって気持ちいいぞ」
千世に生姜茶を手渡し、ふぅふぅと千世は生姜湯を冷ましていく。
「一緒に飲もう。今日はまだ時間に余裕がある。」
楓丸と千世は手に持った茶器を軽くこつき、口へ運んでいく。
「今は、そうだな……他愛ない話がしたい。千世が好きな事とか、楽しい事、今まであった出会った人の話を話してくれないか?」
「俺に教えて欲しい、これからも隣にいる君の事を知りたい。」
今は、戦いの話はしない。千世が立ち直るまで、最後まで付き合う。
それが、俺が出来る精一杯の治療だ。
そこから、蝋燭の蝋が根元までになり、火もそろそろ消えかける。
「……そろそろ、寝る時間だな。明日も早いし床に就こう。」
「あの師匠……」
「今日は、一緒に……寝てもいいですか」
と千世は弱弱しく話かける。
「師匠って呼べるほど、元気になったみたいだな千世」
「……ばれちゃった?」
「ばればれに決まってる。」
師匠と呼べるまで、回復してくれたようだ。楓丸は少しほっとした。
「でも、一緒に寝たいのはほんと、まだちょっとだけ寂しいし……」
「はぁ……布団持ってこい、一緒の布団は駄目だ、俺はガキと一緒に寝る趣味はないんだ。」
「ふふっ、は~い」
と意気揚々と足早に千世の寝床から布団を持ってきて、さささっと布団を敷いていく。
蝋燭の火を消し、月明かりだけが部屋を照らしている空間になる。
二人は布団に入り、床に就く。
「師匠、今日はありがと」
と千世は明るく話しかけてくる。
「お風呂に入ってた時にふと思い出しちゃったんだ。それで不安になっちゃって……」
「……すまない。俺が選来を扱えるようになれば、そんな事を考えなくてもいいようになるはず───だから」
「そんな事言わないで……」
「私、師匠の力になりたいの、だから……」
「ずっと隣に……」
その後の言葉はない。楓丸は千世の様子を伺う。
「……千世?」
耳を澄ますと、すぅ……すぅ……と寝息を立て千世は眠りに就いていた。
「…………俺も寝るか。おやすみ千世。」
楓丸はただ一つの事だけを思っていた。
今だけは、千世に幸せな夢を見せていてくれ。
ただそれだけを祈りながら、楓丸は目を瞑る。
これから先に続く、別れの未来から目を背けるように
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大阪の天気は快晴であった。セミの鳴き声が共鳴し、耳鳴りがする程の音響く緑豊かな街道を進む。
大阪から抜け、目指すは薩摩。船を求め二人は播磨へと足を運ぶ。
千世は足早に師匠を追い抜きながら、反物で包んだ選来を持ちながら進んでいく。
「お紗代さんにお別れの言葉は言わなくて良かったの?師匠」
「言わなくてもいい、これ以上俺たちに巻き込まない方が良いんだ。」
「ん~……でも、なんかまた会いそうな気がするんだよね」
「それはどうしてだ?選来が見せてくれたのか?」
「違うよ」
千世は振り向き、口元に人差し指を差しながら
「女の勘」
と千世は自信ありげな表情で答えた。
「……随分と頼りにならない未来だな。」
「女の勘っていうのは、一番頼りになるって母上も言ってたから間違いないよ!」
「……そうか」
「なら、信じようか。またいつか会える日を────」
と、その時、風が吹いた。
「───千世」
「はい」
と千世と楓丸は足を止め、辺りの様子を伺う。
「誰か私たちを見てる。……二人かな?いやでも、もっと多い?」
二人の気配、だが、それとは別の物が周囲を囲っている。
楓丸は一歩前に踏み出し、大きく息を吸い、
「……『瑣細』、黙ってないで早く出てこい!」
と辺りに響き渡るような声で楓丸は叫んだ。
「いやぁ~流石は「元」選来の使い手ですな~結構気配とか隠してたはずなんやけどなぁ?」
と木影に隠れていた人影が一つ現れる。
瑣細と呼ばれた男の細く鋭い瞳が光る。
幕府の偉い人……?みたいな事を千世は思っていたが、纏っている雰囲気は常人のそれではない。
敵意はない、だけど、好意を持っているわけではなさそうだ。
「そろそろ、来ると思っていた。でも、他の気配はなんだ?」
「まま、それは後で♪ 先に妖刀の回収をと思ってなぁ」
「……この人、一体何者?」
と千世は訝し気な言葉を楓丸に呟くが、
「おお、この子が今の選来の使い手ですな~?」
とずいっと、いつの間にか千世の隣にまで近づいていた。
「初めまして、千世さん。わいは、徳川幕府直属陰陽奉行所妖理司代───」
「瑣細ささいと申します。これから長い事付き合いになりますが、どうかよしなに」
礼儀正しく、頭を下げ千世に挨拶をする。
だが、決して目は逸らしてはいなかった。それだけ私たちの事を警戒しているんだ。
「そんで、」
と瑣細は楓丸の方へと足を運び、楓丸の服を強引に掴み上げる。
「楓はん、あんたはいつになったら────」
「千世はんと、妖刀天国之選来……いつになったら……渡してくれるんだ……なぁ……楓はん?」
と、瑣細は楓丸に問いただす。
確かな敵意と共に、世界が静寂に満ちたような、そんな一瞬だった。
序章 天国之瞋蛇尊 終幕




