スペードQ/エスパーコップ ふたたび
アパート『島木荘』は、駅から路地を少し歩いたところにあった。
新宿署刑事部捜査一課の警部、田沼伸介は、昨日からいわゆるローラー作戦をやっていた。アパートの全室を訪問して、事件の聞き込み捜査を行うのだ。
二階建ての安アパートで、昨日は別の刑事が主に二階の部屋を回った。今日は自分が一階の部屋を回る予定だった。
「失礼します。警察です」
ドアベルを鳴らすと、学生風の若い男が出てきた。
田沼は男に警察手帳を男に見せ、特捜本部の連絡先が書いた名刺を渡すと、男に運転免許証を提示させ、男の身元を確認した。
男は水原俊夫、二十二歳。仕事は近所のコンビニのアルバイトと答えた。
「最近まで」田沼が言った。「このアパートの二階に三枝里香という人が住んでいましたが、彼女をご存じでしょうか」
「いいえ」水原は不審そうに答えた。
田沼は水原にスマホを見せた。ディスプレイには、ジェイペグの女の顔写真がうつっている。
「この女ですが、どこかで見ませんでした?」
「ああ、この人なら知ってます。名前は知りませんが、夕方になるとバイト先のコンビニによく来てました。女性雑誌をよく立ち読みして、帰りがけに板チョコをよく買ってました。最近、見かけなくなったと思ったら、引っ越したんですか?」
「ええ。他に何か彼女について知っていることはありませんか」
「いいえ」
「そうですか。捜査にご協力ありがとうございます。何かお気づきでしたら、どんな小さいことでも結構です。われわれまでご連絡ください」
男がドアを閉めると、田沼は隣の部屋のドアベルを押した。
「失礼します。警察です」
三枝里香――彼女はもともと田沼の仕事上のパートナーだった。
迷宮入りになりかけた難解な事件を解決するために、警察では五年前から、秘密裡に民間から超能力を持った人間を集め、捜査協力を要請していた。
第三種特殊能力捜査員――通称、エスパーコップ。それが彼らの名称だった。
現在、十数名ほど登録者がいる。里香はその中で最高のエスパーコップだった。
ところがあるとき里香が失踪した。
それと同時期に都内では十件の連続バラバラ殺人事件が発生した。
犯行に使われた刃物の切り口から、同一犯の犯行と断定し、警察では特捜本部が設置された。
被害者は老若男女、職業も様々で、彼らに関係性はなく、無差別殺人と思われた。
ところが鑑識では事件現場の一つから一本の女性の髪の毛が発見された。DNA鑑定の結果、警察に登録してある里香のデータと一致したのだ。
特捜本部では里香を最有力容疑者として捜査を進めることにし、田沼は急遽、特捜本部に参画した。
田沼は里香の居所を調べた。
もともと世田谷のマンションに住んでいたが、まるで警察の捜査から逃れるように、都内近郊の安アパートを中心に住所を転々としているようなのだ。
ローラー作戦を一通り終えると、田沼は駅に向かって路地を歩き出した。
今日も収穫はなさそうだ。
田沼は深く吐息をついた。
不意に鳴り出したスマホを耳に当てる。
「気をつけて」女の声だった。「つけられてるわ」
「君は誰だ」
「忘れたの。三枝里香よ」
「待て。今どこにいる」
スマホの電話は切れていた。
何の気なしに後ろを振り向くと、水原が立っていた。
手にジャックナイフを握っている。目はうつろだった。狂犬病のように口をだらんと開け、よだれが垂れている。何かに憑かれたようだった。
「クォォー」
水原は奇声を発して田沼に襲いかかった。柔道三段の田沼は一本背負いの要領で水原を投げ飛ばした。
起き上がりざまに水原を殴って再び地面に倒した後、腹這いに寝かせ、両手を背中に回して手錠をはめる。
交番は駅前にあった。
田沼は水原を起こし、腕を取って交番まで引きずって行った。
交番では警官に事情を説明し、水原の身柄を所轄の警察署に引き取ってもらった。
交番を出て駅の階段を上る途中、またスマホが鳴った。
里香からだった。
「怪我はなかったの」
「どこにいるんだ」
「そんなことより、バラバラ殺人事件の真相が知りたくない?」
「何?」
「犯人グループは悪魔教の信者たちね。黒ミサの儀式に生贄が必要なの。そこで無差別に無辜の人たちを殺したのよ。
さっきあなたが逮捕した男も悪魔教の信者よ。ただし一番下っ端ね。
あなたが聞き込み捜査を終えた後、彼は覚醒剤を注射してあなたを追いかけたの。わたしのことを捜査してる刑事が来たら、殺すようボスから命令されてたんだわ。覚醒剤を注射したのは、こうすれば勇気が出て、気弱な自分でも人殺しができる、という彼なりのおまじないというわけ」
「どうやってそんなことがわかったんだ」
「もちろん透視能力を使ったわ。悪魔教のリーダーたちはわたしが真相を暴くことを知って、わたしの命を狙い始めた。だからわたしは住所を変えて、姿をくらましてるの。
悪魔教の信者には社会的エリートもたくさんいるわ。政治家や警察の上層部にもいる。わたしの髪が殺人現場に落ちていたなんて、大嘘よ。あれはそうした悪魔教に汚染された警察の上層部が、鑑識に命令して工作させたの。
悪魔教はもともと欧米のエリート階層に普及していたわ。それが最近では日本のエリート階層にも浸透してきているようよ」
「とにかく、今どこにいるんだ」
「逆探知使っても無駄よ。今、わたしは電話機を使わないで電話してるんだから」
駅の階段を上り、改札口の方へ向かう。
すると向こうからサングラスをかけた女が足早にこちらに近づいてくる。
肩まで届く長い髪。カーキのロングスカート。ローヒールの青い靴。白いブラウスの上に青いカーディガンを羽織っている。
おしゃれと言うより、少し色気のない地味な恰好だ。
女は田沼の前まで来て向き合うと、おもむろにサングラスをはずす。
三枝里香だった。
「わたしは今、テレパシーを使って電話してるの。こういう芸があるって知らなかった?」
里香は無言のまま微笑んでいる。腹話術のように声だけがスマホから聞こえてくる。
「ふざけるな。署まで同行してもらうぞ」
「バカ言わないで」
「おれは本気だ」
田沼は腰のホルスターから拳銃を取り出し、銃口を里香の顔面に向ける。
「あなたは撃てないわ。わたしはテレパシーであなたの心を覗くことができる。だから強がっても無駄」
田沼はしばらく里香を睨みつけていたが、やがて諦めて拳銃をホルスターにしまった。
「早くおれの目の前からうせろ。今度会ったときは、容赦なく逮捕する。いや、撃ち殺すかもしれん」
「ありがとう」
スマホではなく、里香は初めて口から声を発した。
おりからの風が里香の髪をなびかせる。田沼はふと昔つきあっていた彼女がどことなく里香に似ていることに気づく。
これまで里香を美人だと思ったことはなかったが、こんな地味な服でなく、今風のファッションに身を包めば、案外、いい女なのかもしれない。
「あなただって」里香の口が言った。「そのダサいネクタイのセンスがなんとかなれば、いい男よ」
「バ、バカな」
今度はスマホから声が聞こえた。
「テレパシーであなたの考えていることが読めるって言ったでしょう。このへんでテレポートするわ。さようなら」
里香の姿が煙のように消える。
それを目撃した数人の通行人たちが、仰天して田沼の周囲に集まってくる。
スマホの電話は切れていた。
田沼は大きく吐息をつくと、駅構内の喫煙室に入り、煙草を一服した。
(完)




