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蜜蜂男爵の館 2  作者: カキヒト・シラズ


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10/13

クラブK/カストラート兵器

「ところで君は、独我論って知ってる?」

 森沢君はぼくの方を見ずにそう言いながら、スマホのタッチパネルを叩いている。

 越谷の喫茶店『珈琲塾』は、ぼくたち二人が占拠していた。日曜日なのに、他に客はいなかった。

 いつものように奥の席を陣取り、森沢君はアイスティー、ぼくはカフェオレを飲んでいた。

 大学時代の友人、森沢隆君とは、お互い社会人になってからも休日になるとよくここで会っていた。

 二人とも独身で二人とも休日にデートする彼女がいなかったからだ。

「独我論って何なの?」ぼくが言った。「哲学の用語かい?」

「つまり、君を中心に考えると、君自身は存在しているが、君以外のものは存在している保証はない、という思想だ。

 君は間違いなく存在している。なぜか。今、自分が存在しているかどうかを考えている君がいる。

 哲学者デカルトの『我思う。故に我あり(コギト・エルゴ・スム)』は君も知ってるよねえ。

 ところが目の前のコーヒーカップはどうだろう。それは本当に存在してるんだろうか。ただ存在しているように君の目に見えているだけじゃないだろうか。

 コーヒーカップだけじゃない。テーブルだって、椅子だって、この喫茶店だって、本当にここにあるかどうか疑わしいものだ。ただ君の目に存在するようにうつっている幻かもしれない。

 君から見れは、ぼくの存在だって疑わしいはずだ。ぼくが存在していることを君は証明できるかい。

 考えてみれば、君という例外を除けば、君を取り巻くこの宇宙の一切合財は存在しているかどうか、まだ証明されてないんだ。そうだろう。おそろしいと思わないか」

「それを言うなら、森沢君から見れば、確実に存在しているのは森沢君だけで、ぼくがここにいるかどうか、証明できないわけだろう」

「まあ、そういうことだ。独我論は昔の哲学だけど、現代哲学には現象学という思想がある。現象学はこてこての独我論とは違うけど、ある意味、自然科学に応用できる方法論である点がすごい。

 この他、年輩の人と独我論の議論をすると、仏教哲学の色即是空を引き合いに出す人も多いね」

 森沢君はメルロー・ポンティーという哲学者の本を最近読んだとのこと。ポンティーの唱える現象学について延々と話し始めた。

 ぼくは次第に眠くなってきた・・・・。



「目が覚めたかな」

 森沢君の声がする。

 気がつくと、薄暗い地下室だった。寝間着姿のぼくは手足を縛られた状態で椅子に座らされている。

 部屋の壁に鏡がはめ込まれ、ぼくの姿がうつていた。

 頭髪は剃毛され、金属製のヘッドギアのようなものを被っている。頭蓋の一部に穴が開けられ、脳に無数のコードが差し込まれ、ヘッドギアに接続している。

 ぼくの正面には白衣を着た森沢君が座っていて、膝にノートPCが置いてある。

「これまでの君の人生の記憶はすべてぼくが君の脳にインプットしたものだ」

 森沢君はノートPCのキーボードをすばやく叩く。

 するとカフェオレの香りが鼻孔をくすぐる。同時にマイルドだがほろ苦い味がする。

「うまいかい。君が大好きなカフェオレだよ」

 ノートPCとヘッドギアは無線で接続しているようだ。

「何か好きなものを食わせてやろうか。もっとも、脳に刺激を与えるだけで、実際には君は何も食べていないわけだが。ダイエットには最適かもしれないな」

「君は誰だ」ぼくが言った。「ここはどこだ。それに・・・・ぼくは一体、何者なんだ」

「ぼくは大脳生理学者。ここはぼくの研究室。君はぼくの実験の被験者だ」

「何だって・・・・」

「君の過去の記憶はすべて消してある」

「とにかく手足の縄をほどいてくれ。ここから出たい」

「それはできない。まだ実験が終わってないんだ」

 森沢君はノートPCのキーボードを叩き続ける。

「脳のあらゆる活動は、神経細胞のシナプス間で神経伝達物質を伝達することで行われる。ぼくの研究は脳細胞に直接、電気的刺激を与え、脳の活動を自在に制御することだ。

 ある学説によると、宇宙はそのままで存在しているのではなく、われわれ人間の脳が理解したり、認識したりするやり方で存在する。

 たとえば時間という概念を君は考えたことがあるだろうか。われわれは時間を過去、現在、未来の順で認識する。逆の順番では認識できない。

 ところが、本当に宇宙が過去、現在、未来の順に進行しているのか定かではない。

 三次元の世界はX軸、Y軸、Z軸から構成される。つまり、縦、横、高さだ。これに時間軸のT軸を加えたものが、われわれが通常、認識している世界だ。

 X軸、Y軸、Z軸は物理的に自由に移動できる。ただT軸だけはある一定の方向に一定の速度でしか動けない。しかしながら、物理的にT軸を移動することが不可能なのではなく、そんなふうにわれわれの脳が認識しているだけなのかもしれない。

 脳にある種の電気的刺激を与えることで、T軸を他の三つの軸同様に認識できれば、この宇宙がこれまでとは全く違う状態で認識できるだろうし、多くの科学上の謎が解明するかもしれない。これがぼくの研究の目的だ。

 未来を事前に知る。つまり予知能力だが、こんなものも、T軸を自在に移動できれば簡単に身に付く能力なのかもしれない」

 森沢君がおもむろにキーボードのエンターキーを叩く。

 次第にぼくの視界に変化が起きてくる。

 T軸が見えてきたのだ。いや、感覚として感じられるのだ。

 体を少し左に傾ける。すると、森沢君の体が縮んでいく。

 過去に戻っているのだ。

 森沢君はたちまり中学生ぐらいの少年になり、小学生になり、やがて幼児、胎児を経て、受精卵まで遡る・・・・。

 今度は体を少し右に傾ける。

 森沢君はもとの年齢に戻り、さらに年をとり始める。髪に白髪の混じった中年、背中が曲がった老人になり、やがて消滅する・・・・。

 そこには未来の世界があった。

 周囲は焼け野原だった。

 核戦争で人類は消滅した。

 突然変異で爬虫類が進化した知的生命体が出現し、文明を発展させ、地球を支配した。

 退化した人類は彼らの食用家畜として飼育された。

 やがて巨大隕石が地球に衝突し、地球が消滅する・・・・。

 意識が次第に薄れていく・・・・。

  

 

「目が覚めたかな」

 ぼくは欠伸をしながら上半身を起こし、大きく伸びをする。かなり長い時間、机に伏せて居眠りをしていたようだ。

「疲れているのはわかるが」上原博士が言った。「実験中、居眠りはよくない」

「すいません」ぼくが言った。

 実験は連日、徹夜だった。

 ここは軍事施設付属の秘密研究所で、ぼくは去年から上原博士の助手として働いていた。

 薄暗い地下室だった。部屋にいるのは上原博士と森沢君とぼくの三人。

 ぼくたちの目の前には手足を縛られた森沢君が椅子に座っている。頭に被ったヘッドギアから伸びた複数のコードが、頭蓋に開けられた穴から直接、脳に刺さっている。

 上原博士とぼくは白衣を着ている。

 人間の脳に電気的刺激を与えると歌を歌い出した例はよく知られているが、これを軍事兵器に応用する試みが、上原博士の研究プロジェクト『カストラート兵器』だった。

「実は今、奇妙な夢を見たんです」ぼくは言った。「ぼくが実験の被験者で、彼がぼくを実験している科学者なんです」

「罰が当たったんだよ。私たちは被験者を人間扱いしないからなあ」

 上原博士はそう言いながら、白髪が半分混ざった長い髪をなでる。銀縁眼鏡の奥の眼光が鋭い。

「そろそろ開始するか。今度は電圧を少し上げてみよう」

「はい」

 デスクトップPCのディスプレイの右端に、トランプのクラブのキングを模したアイコンがある。これが上原博士の開発した『カストラート兵器』のアプリケーション・ソフトだった。

 起動してパラメータを設定した後、スタートボタンにカーソルを合わせてクリックする。

 森沢君は突然、目を開き、口を大きく開ける。

「ワァァァァァァァー・・・・」

 甲高い金属音が森沢君の口から発せられる。ぼくは思わず耳をふさいだ。頭が割れそうだ。

 上原博士は頭を抱えて、床に転げ落ちる。

 机の上の試験管やビーカーがパリンと音をたてて割れる。

 実験は成功したかもしれないが、この破壊力は想定外だろう。

 次第に意識が遠くなる・・・・。



「目が覚めたかな」

 森沢君がストローでアイスティーをすすっている。

 アイスティーは喫茶『珈琲塾』の人気メニューで、容器にグラスではなく金魚鉢を使っている。

 特大サイズで値段も安いから人気なのだろう。

「退屈だったかい」森沢君が言う。「話し始めたらすぐ眠っちゃたからなあ」

「ごめん、ごめん。哲学は苦手なんだ」

「まあともかく、君もメルロー・ポンティーの『知覚の現象学』を一度、読んでみるといい。ちょっと難しいが、人生観が一変する本だ。現象学こそ現代人の教養だと思う」

「あんまり、興味ないなあ」

 窓から入ってくる午後の日差しが、テーブルに照りつける。

 ぼくは何の気なしにスマホを取り出し、ディスプレイに目をやる。

 すると見慣れないアイコンを見つける。

 トランプのクラブのキングを模したアイコンだ。

 クリックしてみるとパラメータの設定画面が出てくる。

 慣れた操作をするように、ぼくの指は自然に動き始める。

「今、何してるんだい?」と森沢君。

「まあ、ちょっとね」

 おもむろにスタートボタンをクリックする。

 突然、森沢君は体の動きを止め、目を丸くする。

「森沢君、どうしたの?」

 だがそれには答えず、森沢君は口を大きく開くと、甲高い声を大音響で発声する。

「ワァァァァァァァー・・・・」

 ぼくは頭を抱えてうずくまる。

 アイスティーの金魚鉢が割れる。

 次第に意識が薄れていく中で、森沢君の雄叫びだけが、いつまでも執拗に頭の中に響き渡る。


                                     (完)



 

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