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「……二人……?まさか、エリシャ様までも?」
ロエナの声は、ごく自然を装いながらも、ほんのわずかに揺れていた。問いかけるロエナの瞳を、ルベルトは訝しむように見つめる。
「アイツは、俺を選ばなかった。ならば、いっそ他の男のものになる前に、俺の手で……それだけだ」
それは、他人事のように軽い響きだった。命を奪うことさえも、まるで余興か何かのように口にする彼の声に、ロエナの背筋を冷たいものが這い上がる。しかし、その感覚を微塵も表に出さず、彼女はゆっくりと唇を歪め、優美な微笑を浮かべた。
「……それで、計画は、いつ?」
「まだ決めていないが、まあ……手っ取り早いのは毒だな。誰にも気づかれず、静かに済ませるのが一番だ」
ルベルトの声音は低く、静謐な水底のようだった。自ら手を汚さず、痕跡も騒ぎも残さずに───それがこの男の、薄暗い保身と狡猾さ。確かに、貴方らしいやり方ね。
でもね、駄目よルベルト。
それじゃあ、つまらないじゃない。
もっと、派手に。もっと、愚かに。せっかくなら、誰も彼も巻き込んで、盛大に破滅へと転がっていけばいい。そんな浅ましい願望さえ、ロエナの胸をひそやかにくすぐる。
「殿下。ただの毒など、所詮は素人の手管。調べればすぐに痕跡が見つかりますわ」
「……何だと?」
ルベルトが苛立たしげに眉を寄せる。
ロエナは、艶やかな所作で後ろ手をそっと前へ出す。
「ですから、これを使うのはいかがでしょう」
その白い掌には、淡い檸檬色の光を帯びた、小さな果実が静かに乗せられていた。
太陽の残照を封じ込めたかのような瑞々しさ。しかし、その美しさの奥に、得体の知れぬ闇が潜んでいる。
「……リリザという、魔国でしか実らない果実です。魔族には無害ですが、人間が口にすればたちどころに死へ至る」
ロエナは、その果実を親指で撫でる。
ロエナは静かに微笑むと、その掌に乗せたリリザの果実をそっと掲げた。
薄闇の中、檸檬色の果皮が蝋燭の明かりを受けて、じっとりとした光沢を放つ。その小さな果実は、ただそこにあるだけで、この場の空気をねじ曲げるような、異様な存在感を放っていた。
「……どうでしょう、殿下。来月行われるヴィルヘルト殿下の生誕を祝うパーティー───王族も貴族も、そして魔国の王も一堂に会する、華やかな宴で、事を起こすというのは」
ロエナの声音は、あくまで柔らかく、まるで悪意など何一つ含まれていないようだった。だが、その言葉の端々には、どす黒い意図が静かに染み込んでいる。
「……しかし、そのような場で騒ぎを起こせば、すぐに目をつけられるだろう」
ルベルトは低く呟き、警戒の色を露わにした。
彼の眉間には深い皺が寄り、視線はリリザの果実からロエナの顔へと揺れる。だが、ロエナはなおも崩さぬ微笑みで、まるで何も気にしていないかのように言葉を紡いだ。
「ご心配なく。盛るのは、わたくしの杯だけです」
「……? なぜ、そんなことを……」
ルベルトの問いに、ロエナはひときわ艶やかに唇を吊り上げた。
「殿下、何も命を奪う必要などないのです。むしろ、生かしたまま堕とす方が、ずっと美しいと思いませんか?」
その声は、氷のような冷たさを孕みながらも、妙に甘い響きを持っていた。
「わたくしは、祝宴の只中───皆が見守る中で杯を掲げ、あたかも祝福を受けるかのように、リリザの果汁を含み、ゆっくりと倒れてみせます」
声は柔らかく、どこか夢見るようでありながら、その響きの底には冷たい決意があった。
「そのあとは、どうか殿下が───そう、大袈裟に、騒ぎ立ててくださいませ。事実など、どうでもよろしいのです。デタラメで構いません。人は真実よりも、それらしく聞こえる噂の方を好みますから」
彼女は小さく笑い、まるで相手の心の弱さを撫でるように、言葉を重ねる。
「たとえば───そう。〝元は次期王妃の座にあったロエナが邪魔になって、ヴィルヘルト殿下とエリシャ様のお二人が結託し、この計画を企てた〟……などと」
その一言は、刃のように静かで、しかし確実に相手の胸に突き刺さる響きを持っていた。
「その瞬間、祝宴の場は凍りつき、貴族たちは顔を見合わせ、誰もが疑う理由を探し始める。真実かどうかなど、もはや誰も気にしません。ただ、〝王太子と聖女が裏で手を組み、邪魔者を消そうとした〟という筋書きが、一人歩きを始めるのです」
ロエナの瞳には、仄暗い光が宿っていた。それは憎しみでも怒りでもなく、もっと静かで、もっと粘ついた愉悦の色。
「人の噂というものは、一度火がつけば、誰にも止められませんわ。殿下が声を荒げ、涙の一つも見せてくだされば尚更です」
ロエナの囁きは、甘く絡みつく蜘蛛の糸のようだった。言葉がひとつひとつ、ルベルトの心に絡みつき、抜け出せぬ檻を形作る。
「……更に、魔国の果実が用いられたと知れれば、国民たちの疑心は増し、せっかく築いた両国の同盟も───あっという間に瓦解しましょう。己が王座に座れた要因である魔国の後ろ盾。その同盟を、彼は手の中からこぼれ落とす……それはとても、滑稽ではありませんか?」
ロエナの瞳は冷ややかに細められ、声の端には微かな愉悦がにじんでいた。
彼女の言葉は、もはや単なる提案などではない。
それは、破滅へと誘う悪魔の契約───耳元にそっと囁きかけ、気づかぬうちに相手の自由を奪っていく、甘美な呪縛だった。
「……っは」
ルベルトは喉の奥で短く笑った。
その笑いは皮肉と愉悦、そして一抹の警戒がない交ぜになったもの。彼の瞳はまるで蛇のように細く光り、ロエナの顔をじっと見据える。
「面白いことを考えるものだな」
ルベルトの言葉に、ロエナはにこりと微笑み掌に乗せていたリリザの果実をルベルトの手のひらにそっと置いた。
「こちらの果実は、殿下にお預けします。どうか、わたくしの杯にたっぷりと果汁を注いでください」
ロエナの声は甘く、だがその奥底に含まれた闇が、部屋の空気を冷たく染め上げていく。
「これは……わたくしたちの為ですもの」
「ああ、約束しよう」
ルベルトもまた、嘲笑の混じった笑みを浮かべて答えた。二人のやり取りはどこまでも静かで優雅───だが、その表層の下には、互いを利用し尽くす冷たい計算と猜疑、そして破滅への願望が渦巻いている。
「感謝いたします。それでは、また……」
ロエナは優雅に一礼し、すっと部屋を出た。
その足取りには一片の迷いもなく、彼女の纏う香りが空間に残り続けた。
重々しく扉が閉まる。
静寂が落ちた部屋に残されたのは、ルベルトと───彼の掌の上に転がるリリザの果実だけだった。
じっと、その果実を見つめる。滑らかな皮の表面に光が滲み、まるでそれ自体が毒の意志を持つかのように不気味な光を放っていた。
(……生き汚い女だ)
ルベルトの唇が歪む。
どこまでも諦めが悪く、どんな状況でも自分の生を賭けて爪を研ぎ、時に誰よりも冷酷に、己の望みを掴み取ろうとする。
悪事を企てるその手並みは、もはや芸術的ですらある。浅ましいが、その執念には驚嘆すべきものがあると、皮肉にも感心すら覚えた。
鼻で笑いながら、ルベルトは静かに目を細めた。
───仮に、計画が失敗したところで痛くも痒くもない。提案したのはロエナなのだ。
もし何かが起きれば、全てを彼女の所為にすればいい。王妃の座を追われ、嫉妬に狂い、己の立場を守るためならどんな手でも使う───そんな浅ましい女の物語を語れば、誰もが納得するだろう。
ルベルトは、手の中の果実をそっと転がした。
滑らかな果皮の感触が、妙に生々しい。まるでこの実そのものが罪の証であり、破滅の種であるかのようだ。
いや、破滅するのは構わない。だが、その前に、十分に利用できるだけ利用してやる。
ロエナがどれほど策を巡らせようとも、最後に笑うのは自分だ。
そんな確信が、ルベルトの心の奥底から湧き上がっていた。
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