33
昼餉の余韻がまだほのかに漂う午後。室内には爽やかな陽射しがカーテン越しに差し込み、磨き上げられたテーブルの上で白いクロスが柔らかく光を反射している。ロエナは窓際のソファに腰掛け、手にしたカップから立ち上る香り高い紅茶をゆっくりと味わっていた。窓の外では庭の花々が揺れ、春の微風が時折、室内の空気に甘やかな花の香りを運んでくる。
静かな午後のひととき。ロエナは紅茶を一口含み、柔らかな吐息をつく。その穏やかな時間を破るように、控えめな足音が聞こえ、やがてテラスの扉の前で止まった。ノックの音がして扉がそっと押し開かれ、陽の差すドアの向こうに二つの影が映る。
ウォロとルクルーシュだ。
「あら、今日は二人なのね」
ロエナが微笑みを湛えて声をかけると、ウォロが肩をすくめる。
「驚きもしなくなったな……」
「こう何度も来られるとね」
ウォロの少し呆れたような声に、ロエナはふっと微笑んだ。二人の雰囲気はどこか和やかで、しかしルクルーシュの表情だけは、どこか張り詰めている。彼はゆっくりと歩み寄り、言葉を選ぶように口を開いた。
「ロエナ、昨日の件なんだが……どうも、心配でな」
低く抑えた声には、ほんのわずかな揺れと真剣な思いが込められていた。言葉を選ぶように、ルクルーシュは懐から小さな箱を取り出した。丁寧に磨かれた黒檀のジュエリーボックス。その蓋がそっと開かれると、中には深紅の輝きを放つ一つのブローチが静かに納められている。
それは、ルクルーシュの瞳と同じ、吸い込まれるような濃い紅。光を受けるたびに、まるで小さな炎が揺らめくかのように、ルビーは鮮やかな輝きを放った。
「……まあ、綺麗ね。これをわたくしに?」
そっと問いかけると、ルクルーシュはロエナの視線を受け止めきれず、視線を床へと落とし、やや早口に答える。
「あ、あぁ……その、御守り代わりにでも……き、今日、できれば付けておいてほしい」
普段は冷静な彼の不器用な優しさが、拙い言葉の端々ににじむ。その隣でウォロが呆れ顔で兄を睨んでいるのを、ロエナは視界の端で感じたが、敢えてそちらには視線を向けず、柔らかな微笑みをルクルーシュへ向けた。
「ありがとう、ルクルーシュ。嬉しいわ。せっかくだから、今日一日、大切に身につけさせていただくわね」
ルビーのブローチをそっと胸元に当ててみせると、ルクルーシュは安心したような、それでいて複雑な思いを抱えているような表情で、小さく頷いた。その仕草に、ロエナの胸はほんのり温かくなる。
「せっかく来てくださったのですもの。お茶を用意するから、少しだけ待っていて」
静かにそう告げると、ロエナは優雅な所作で立ち上がり、スカートの裾を整えて部屋を後にした。
ロエナが去った後、重い扉が静かに閉まると、部屋には深い静寂が降りた。壁に掛けられた古時計の針の音が、さざ波のように空気を震わせる───そのかすかな響きすら、二人の間には自分の鼓動を暴かれるかのように大きく感じられた。
「……兄さん」
低く投げられた声音が、沈黙を裂く。
「念のため確認なんだけどさ。ロエナと兄さんって恋人同士……じゃ、ないよね?まだ」
「そ、そうだが……っ」
その返事は、自信なげに空を泳ぐ視線とともに発せられた。王の威厳を纏い、魔国の頂点に立つはずの男───その肩は僅かに竦み、漆黒の外套の裾が落ち着きなく揺れている。鋭い魔族の角も、今ばかりは影を潜めたかのように、どこか頼りなく見えた。
ウォロは兄の様子をひとしきり観察してから、言い淀むように言葉を叩きつけた。
「なのに〝記録石〟を渡したわけ? あれって、会話を録音する魔法石でしょ。普通の贈り物じゃない。下手すれば───いや、端的に言えば、兄さんの行動はストーカーと一緒だよ」
「なッ……ち、違う……俺はただ……ロエナが心配で……」
震える声で抗弁しながらも、ルクルーシュの頬には熱が、胸裏には後ろめたさが滲む。
「兄さんが今まで恋愛に疎かったのは知ってる。でもね、恋愛ってのは想いを押しつけるばかりじゃ駄目なんだよ。ロエナにこのことが知られたら……きっと、嫌われちゃうね」
「きっ、嫌われッ……!?」
ルクルーシュの声が震え、言葉の端々に明らかな動揺がにじむ。その狼狽を聞き取ったウォロは、呆れと憐れみの入り混じった吐息を漏らす。
「……それが嫌なら、ロエナが戻ってきた時に、自分の口でちゃんと説明しなよ」
「わ、わかっている……」
重苦しい沈黙が、部屋に沈殿する。壁にかかった古い時計の針だけが静かに時を刻み、ふたりの呼吸音がやけに大きく聞こえた。
───その全てを、ロエナは逃さなかった。
扉の向こう、濃い影に紛れるようにして、ロエナは身じろぎもせず耳を澄ましていた。木の扉一枚を挟んだだけで、密やかな会話が不気味なほどはっきりと、ロエナの鼓膜に染み込んでくる。
(やはり……ただの贈り物じゃなかったようね)
指先に伝わるブローチの冷ややかな感触。ロエナの口元に、ゆっくりと歪な微笑が浮かぶ。表情は、どこか人間離れした不穏な美しさすら宿していた。
(この石がある限り、私の不用意な言葉一つで全てが暴かれる。けれど───)
暗闇の中で、ロエナの瞳だけが僅かにきらめく。その奥には、底知れぬ企みと愉悦が渦巻いていた。
(ルベルトがどんな証言をするか……それ次第で、このブローチは使えるわね)
ロエナの胸の奥底で、静かに、しかし確実に、何かが蠢き始めていた。表面上は冷静を装いながらも、その内側には得体の知れぬ黒い企みが、毒蛇のようにゆっくりと身をもたげていた。
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