第32話 運命の交差点
「あっ」
しまった。また語りすぎた。
熱中して我を忘れていた俺は、いったん間を開けるためにカップに口をつけた。ホットで頼んだそれは、すでにぬるくなっている。
「そういえば」
「うん?」
ずっと聞き手に徹していた静谷が小さく首を傾げた。その手にあるカフェオレは残り少ない。
「俺が好きそうな映像だってことは分かったんだけど、そもそも静谷は何でこの映画観たかったんだ?」
静谷は確かに人を楽しませる天才である。しかし、それは同時に自分も楽しんでこそだ。
まぁ、先ほどまで俺の暴走を観察することを楽しんでいた、と言われればそれまでなんだけど。
そんな俺の何気ない疑問。
「そうだなぁ」
静谷は思いのほか、考えるのに時間を使っている。理由を作っている間ではなく、単純に口に出すのをためらっているかのような。
どちらかというと、言いづらそうにしている。言いづらい理由? 観たあとに?
俺が推測しようとしても答えが出てこない。その間の、たっぷりの時間をかけて静谷は口を開いた。
「原作を知ってたんだ」
「原作?」
原作付きなんて、珍しい話ではない。何をそんなに言いづらかったんだろうか。
俺は思わず、背筋を伸ばした。
「うん、だから観たかったんだ」
静谷はここで話が終わってもいい感じで言い切って、残りのカフェオレを飲みきった。少し間が空いて、このまま話が流れそうになる。
「そんなによかったのか、原作」
ただ、俺はここで話が終わるのがおしいと思い、会話をつないだ。
「ちょっと興味あるな。読んでみたい」
静谷はちょっとだけ「むっ」と頬を膨らませる。どうも、俺の思ったとおり、話を打ち切る気だったらしい。
観念した様子で静谷は話を続けてくれた。
「ううん、そんなによくなかった。あたしはオススメしない」
静谷が首を横に振ったので、気持ちが前のめりになっている俺は椅子から滑り落ちそうになる。
だったら、何で。俺の目がそう語っていたのか、静谷はストローを指先でもてあそびながら口を開いた。
「今回の主人公、あの沖田が演技も絶賛してた声の出せない子ね」
絶賛……、してたな、俺。心情を言葉に出せない分、表情の演技が大変良かった。それこそ、件の映像監督の表現と相乗効果を生んでいて。
……また語りたくなってきた。今は黙ろう。
俺が何も言わずに相づちを打つと、静谷は一回息を吐いた。
「原作だと、あの子。途中で身を引くんだよね」
「そうなのか?」
「そうそう。そういうの何て言うか、知ってる?」
静谷は人差し指を立てて自分に注目を集める。知らないので首を横に振ると、胸を張って得意げに言った。
「『負けヒロイン』って言うんだって」
「ひっどい名称だな、それ」
俺が顔をしかめると、静谷は小さな声で笑った。
「それで、その『勝ちヒロイン』ってのは誰なんだ?」
俺の言葉を聞いて、静谷は口をおさえて笑っている。大きな声を出しそうになってこらえているようだ。腹まで抱えだした。
うん、静谷の反応を見るに『勝ちヒロイン』って言葉は無いんだな。了解。
「えっとね」
ひとしきり笑ったあとに、涙を拭いながら静谷は顔をあげる。
「途中で病気から復帰する年上の同級生」
静谷に言われても、一瞬誰のことをいっているか分からなかった。いたか、そんなの。
「……え、その子って脇役だよな」
ようやく思い出したのは、確かに何かありげなシーンだった。しかし、そこまで重要なものとは思えなかった。
それは自分も約束を守れなかったと、主人公に後悔をさせないよう促すものだ。一瞬だけ病室と手紙が映り、そのアイテムが何か関係あるであろうことを示していた。
でも、そのあと、特に言及されなかったんだよな。もしかして、その記憶が原作でいうところの『あの夏の記憶』とやらだったのだろうか。
その本来の『勝ちヒロイン』は中盤に登場して中盤に静かにフェードアウトしていった気がする。
全体で見れば、もっと出番の多い人もいた。脇役、という印象に間違いは無いだろう。
「ファンサービスってやつなのかな。それをするぐらいなら、原作通りに作ればいいのに」
静谷が肩をすくめる。先ほどまで褒め称えていた俺には何も言うことはない。そもそも原作を知らないから、言う権利もない。
作家性の強い人に原作付きを任せると、時々こういうことが起こるんだよな。俺は肯定派だけど、それを毛嫌いする人がいるのも知っている。
でも、静谷は別に原作ファンじゃないんだよな。ますます何で観に来たのか分からない。
それからしばらく俺は静谷の話を聞いていた。原作と映画の違いについて。あまり考えたことのない観点で、単純に興味深かった。
そんな感じで、俺が話を聞いていると、静谷はふとその目を伏せた。
「……運命が変わったら、どうなるのか。ちょっと興味があったんだ」
その声は小さく、消え入りそうだった。伏せた視線は、ずっと下を向けたままでさまよっている。その態度が、何かを探しているようで。
まるで迷子のようだ、と思った。
胸の奥がざわつく。言葉を探しても出てこない。沈黙が、痛い。
しかし、次の瞬間。
「実はさ、沖田には最初、断られると思ったんだよね。だから、映画の内容言えなかった」
顔をあげた静谷の表情は花が咲いたように晴れやかだった。俺は少し気圧されながら、静谷に対して首を傾げる。
「なんでさ」
俺の疑問に、静谷はいつものように笑っている。
「だって、沖田って昔、恋愛漫画のポスターをにらみ付けてたしね」
……なんだ、その奇行は。自分のものとは思えない行動に、心底嫌な気分になる。
眉根を寄せる俺を見て、静谷は楽しそうだった。
でも、その笑顔を見て分かった。映画館で映画を選んだとき、一瞬だけ見せた沈んだ顔。ポスターを眺めていた俺に「何見てたの?」と、わざわざ話題にしてきたこと。
あれは、俺が断らないか不安だったんだな。
俺の奇行は、まぁ、意味が分からんから置いておいて。何を気にしているんだろう、と思う。
俺が、静谷の誘いを断ることなんてないのに。
「ん?」
ずきっと、胸が痛んだ気がした。一瞬で通り過ぎたそれは、俺に考える余地を与えなかった。
「大丈夫になったんだろうな、とは思ったんだけどね」
満面の笑みで語り続ける静谷で感じた安堵。俺の胸の痛みと、静谷の迷子のような目への疑問を、その安堵が記憶の底へと一緒に沈めてしまった。




