第28話 乾いた絵の具
「センパイは私と交換日記をすべきなんですよ」
「はい?」
部活終わり、帰り支度をしていると都築が唐突にそんなことを言ってきた。なんで、そんな古風なことを言い出したんだろう。
俺が真意を測りかねていると、都築が抱きついてきた。いつも思うが、なんで避けれないんだろうか。
「だって、ずるいです」
「だから、何が?」
上目遣いで訴えてくる都築に、俺は眉根を寄せて答える。そんな俺の態度が不満だったのか、さらにくっついてきた。できれば、離して欲しい。
ほら都築、そこで部長がすっごい冷たい眼でこっちを見てるから。先生は微笑ましく笑ってないで助けてください。帰るまでは部活だから、せめて美術室内では真面目な君でいてほしい。
「だって、由衣さんとはメッセージのやりとりしてるのに!」
由衣さん?
都築が聞き慣れない名前を言ってきたから、一瞬思考が止まった。すぐに近藤さんの顔が思い浮かぶ。
「……おまえ、そんな話したの?」
確か、近藤さんは都築とまともに話したことが無いと言っていた。メッセージのやりとり、ということはスマホの中身を見せた、もしくはそれについて話したってことだ。
けっこう、プライベートに踏み込んだんだな、都築。
「それは、センパイとは相談事だって言ってましたけど。それでも羨ましいんです」
都築は唇をとがらせていた。
そんな都築を見て、何か胸に暖かいものを感じた。そっか、都築が。俺以外には明らかに人見知りモード発動している、あの都築が。
嬉しくなって、ちょっと心の鍵が緩んだ。
「おまえが本当にやりたいってんなら、いいけど」
都築の顔がぱぁっと明るくなる。
「ホントですか!」
「ああ、でも」
そもそも、そういう送ったり送られたりするの慣れてないんだよな。日記だって、小学生のときに書いた宿題も、毎日同じこと書いているって先生に疑惑の目を向けられたもんな。
失礼な。ちゃんと毎日書いてたのに。
「俺が書くと業務連絡みたいになるけど、いいのか」
「はい、知ってます!」
「……なんで、知ってるの?」
満面の笑みで返す都築に、苦笑いが漏れた。
夜。
俺は自分の机の前で腕を組む。目の前には広げられたスケッチブック。その隣には、濡れていない筆。パレットの上で乾いた絵の具が俺を非難しているように見えた。
何のためにここに出したんだよ、と。
――幸くんが必要なとき、向こうから呼んでくれるよ。
鈴さんの言葉が急によみがえってきた。そうだよな、呼んでないのに、こっちから呼び出して放置すりゃ、それは怒るよなぁ。
やっぱり、単純に青じゃ無いんだろうな。赤は、うん、今じゃ無い。呼ばれてない。
目の前にあるのは、下書きだけすんだ海の絵だ。この時期になると、描きたくなる衝動に襲われる。
でも、一度も完成させたことがない。結局、鉛筆だけで細部まで描き込んで終わってしまう。
今日の都築を見ていて思ったことがあった。都築は、苦手なりに前に進もうとしている。おまえはどうなんだ、と。
だから、描きかけて止めていたこの絵を今年こそ仕上げようと思ったんだが。
完全に筆が止まってしまった。
「なんで、この絵だけ」
この絵を完成させよう。その思いが強ければ強いほど、胸の奥がざわつく。指先が冷たくなって、筆を握る気力が無くなってしまう。
思い出すのは中二の夏。
俺が記憶を無くしていた頃だから、覚えていることはほとんどない。それでも、あの時感じた熱情みたいなものはしっかり覚えている。
俺は、少しでも残っている記憶を描き出したくて一心不乱に色鉛筆を動かした。思い出せる断片を、形にしていった。
桜舞う入学式、火花散る線香花火、風に舞う紅葉、不思議な顔で笑う雪だるま。
そして、この海の絵だ。でも、この海だけは色が塗れなかった。自分の中に、この海の色がなかった。今でもモノクロームの水平線だけが広がっている。
描きたい、その衝動は今も残っている。それなのに、進めない。せっかく、都築が背を押してくれたのに。
「つぅ」
急に頭痛がして、俺は頭を抱えた。ああ、これ以上は無理するなってことか。他の絵と一緒で、描けたら思い出せそうな気がするんだけど、最近叱られたばかりだからな。
ここまでにしよう。
俺は椅子から立ち上がって、伸びをした。結構長時間座っていたらから、変な音が鳴った。運動不足だ。また静谷に怒られる。
時計を見ると、けっこう遅い時間になっていた。
「そもそも何で俺はこうも描きたいんだろう」
思い出す。
それは、あの曖昧な中二の夏。唯一はっきりと思い出せる静谷の笑顔だった。あいつのことも、ろくに覚えていなかった俺に静谷は普段通り接してくれた。
それが、申し訳なくて。あいつが覚えてるか確認してくる思い出を取り戻したくて。首を横に振ると、一瞬だけ見せる悲しそうな表情を見たくなくて。
だから、必死に取り戻そうと絵を描いたんだ。ぼんやりとした記憶から、削り出して形にするために。
……それでも、あの海の絵だけは描けないんだよな。心がざわついた。筆先は止まったままで、時間だけあれから三年も過ぎてしまった。
それでも、都築が頑張ったんだから。俺も頑張りたいんだ。なんで、動けないんだろう。
コツコツ。
「ん?」
窓を叩く音。どこか懐かしい響き。止まった瞬間を動かす合図のように胸に響いた。
カーテンを開けた。
「あっ」
思わず声が出た。そこには、笑顔で手を振る静谷がいた。
俺は窓を開けた。
「よっ」
静谷が軽く右手を挙げる。俺はつられて手を挙げた。
「夜更かししてると、朝起きられないぞっ」
静谷はケラケラと笑っている。俺はその光景に懐かしさを覚えた。
そういえば、小学生の頃くらいはよくこんなことしてたっけ。中学くらいから生活リズムがズレたから、こういう機会は減ってしまった。
「明日は休みだから昼過ぎまで寝る」
夜風は多少蒸し暑さを感じる。それでも、昼に比べれば涼しく感じられた。
「よし、窓の鍵開けといて。あたしがここから起こしにいくから」
そんなことしなくても、家の合鍵持ってるだろうに。
「おまえ、それ一回落ちてから止めてるだろ」
「んぐっ」
静谷は言葉に詰まっている。顔を真っ赤にさせていた。幸い怪我はなかったが、二階から下まで落ちたこいつを見て肝を冷やしたものだ。
静谷もトラウマにはしっかりなったようで、それからはちゃんと玄関から来るようになった。
「でも、こうやって話すの久しぶり」
静谷は、嬉しそうに笑っている。さっき俺が感じていたことと同じ内容を、こいつはハッキリと口に出す。
月明かりに照らされた笑顔は、いつもより輝いて見えた。
「テストのときとか、よく窓叩いてこないか?おまえ」
俺はちょっと恥ずかしくなってごまかした。
「そういうのじゃなくてさ~」
静谷は口をとがらせる。明らかに不満そうだ。いや、分かるぞ。分かるからこそ、恥ずかしいんだって。
おまえも分かれ。
それからしばらく俺達は話し込んだ。夜空にかかる月に見守られながら。




