心配
料理は一通り済んで締めのデザートとお茶が運ばれた。野イチゴを使ったタルトのようなケーキは、ごついバアルが作ったとは思えないほど可愛らしい。
「厨房が改修の間、長屋で使用人と食事を共にしたいと聞いたが?」
「ああ、グシオンさんからですね。本当ですよ」
春菜はケーキをほおばりながら、ほくほく顔で返事をする。しかし、サレオスは眉間に皺を寄せ、甘い物を口にしているとは思えない苦い顔をしていた。
「あんまり、良い顔はしてくれないんですね」
「まあ、そうだな」
「私の立場で使用人と食事を共にするのはよくないってことですか?でも、掃除の休憩中にはコボルト達とだっておやつを食べてるんだし――」
「それは仕事の一環だ。俺が気にしているのはそういうこととは少し違う」
「じゃあ、何を考えているか教えてください」
サレオスはカップに入ったお茶を飲むと、少し考える様に間を空けた。
「かつての魔王城は富と権力が集まり、王と貴族、男と女の欲やエゴがごった煮になった地獄のような場所だった。そこは暮らす者と働く者にとって最悪の環境だ」
確かに、サレオスが即位する前の魔王城を知る者は、みんな同じような評価をしていた。
「俺は魔王城を浄化したかった。安心して平和に暮らせる場所を作りたかった」
「いつからその思いを?」
「子供の頃からだ」
(そうか、そうなんだ――お母様のためだ。ルクレツィア様が幸せに暮らせる場所をサレオスさんは作りたかったんだ)
「今の魔王城は俺が目指す形の過程にあると言っていい。春菜を呼んだのも、召喚獣に城の仕事をさせてみてはどうかという、一つの実験的手法だった」
「私は実験動物ですか?あんまりいい気はしません」
「発想については認める。だが、お前は実験動物ではない、断じてな。召喚とは俺が望む者を異世界から呼び出す術だ」
「サレオスさんは何を望んだの?」
「掃除を仕事とする者――」
サレオスはそれ以上は喋らず、しばらくの間春菜を見つめていた。言い掛けた言葉に続きがあるのか、それとも考えを言語化出来ないのか、真意はわからない。
「サレオスさん?」
「俺はお前を守る」
「私を守る……」
「魔王城の使用人は全てグシオンが面接をして雇っている。俺に対し二心を抱く者もいないし、お前にも敬意を払って接するだろう。……だが人の心は変わる。いつお前を傷つける者が現れるとも限らない。俺が危惧するのはそういうことだ」
「私のことを心配してくれているんですね。ありがとう。そうですね、人の心は変わるかもしれない……。けど、それが悪い方向にいくとは限らないじゃないですか」
「これから魔王城はもっと人が増える。多くの人が集まればそこには集団としての意志が生まれる。そうして生まれた幾つもの意志はやがて複雑に絡み合い、個人では抗い切れぬほどの力を持つだろう」
(私がお母様と同じような危険に晒されるって心配しているの?自惚れが過ぎかな、でもさっきの言葉はそうとしか考えられない)
幼い頃の辛い体験が過剰な保護欲へと繋がっているとしたら。そう思うとサレオスの考えを頭から否定することはためらわれた。
(魔王に即位して、城からほとんど全ての人を追放したのはお母様のことも背景にあるはず。グシオンさんが面接をして、魔王城に入れる人を慎重に管理してるのも頷ける)
「仲良くするなとは言わない。俺もこの魔王城を見えない魔物が跋扈するような魔界にするつもりはない。だが用心する必要はある。そのためには距離感を保つことも必要だ」
暗に使用人と食事を共にするのは止めるよう言っている。
「私、今だって毎日厨房でバアルさんと話しながら食事を取ってるんだよ?」
「奴はオーク、魔人のしがらみの外にいる。それに、お前に食事を提供することは仕事の一環だ」
(……でも、そんなのおかしいよ。魔人だって獣人だって、このお城で働く人はみんなサレオスさんのこと――魔王様のことを尊敬している。そんな人たちのことを心の底では信じられないなんて悲し過ぎるよ)
母の死がどれだけサレオスにとって大きな出来事だったかを改めて感じる。
春菜は魔王城のことが好きだ。居心地はいいし、みんな笑顔で仕事をしている。色々な人種が互いを尊重し合い、大きな諍いが起きることもない。それはひとえにサレオスのカリスマ性と偏見を持たない考え、そしてグシオンの努力の成果に違いなかった。
(私も、掃除をするだけじゃなくて、この魔王城のためになることがしたい。だって――)
春菜はサレオスを真っ直ぐ見つめ、自分の頬を強く二度叩いてから大きな息を吐き出す。
「?、一体なにを――」
「サレオスさんの言いたいことは何となくわかるし、心配してもらえるのも凄く嬉しい。でも私だって負けないくらいあなたのこと大切に思ってる。だからこれだけは言うことを聞かない」
「俺の言いたいこと……。もしかして、ダンタリアンにでも聞いたのか?」
「さて、何のことでしょう。でも私、言いましたよね『あなたのためなら何だってする』って。だから、私は長屋でみんなと食事を取ります。サレオスさんの心配が杞憂だって、みんなあなたのことが大好きだって知って欲しいから!」
「俺の言い付けが聞けないと、そう言うことだな?」
「そんな目をしたって無駄です。私ビビリだけど、いざとなると腹が据わるんですから。これは私の我が儘ってわかってる。でも、きっとサレオスさんのためになるって信じてる」
サレオスは今まで決して春菜に向けることのなかった冷たい目で睨み付けた。春菜はその目を見返して笑って見せる。対照的な二人の視線がぶつかり合い、沈黙の時間が流れる。
「食事はこれで終わりだ」
先に動いたのはサレオスだった。カップに残ったお茶を飲み干し、ダイニングを出て行く。
(あれは認めてくれたって感じじゃないよな)
春菜は後ろ姿を黙って見送ると、テーブルに視線を落して大きく息を吐き出す。
(久々にやりあっちゃったな……。でも、そうするのが一番いいと思ったんだ。誰も私を傷つける人はいないんだって、みんなを信じられるんだって知って欲しい)
ふいに、二つの手が湯気の上がるお茶と新しいケーキが差し出した。顔を上げると、バアルとフールルが笑顔で並んでいる。
「悪いな、話が聞こえちまった。詳しいことはわからんが、嬢ちゃんの魔王様に対する気持ちだけは伝わってると思うぜ」
「そうさ。魔王様のことを思ってするんだろう?それが本当のことなら、今は理解されなくてもいずれわかってもらえる時が来るさ」
「……ありがとう」
こんなに自分のことを思ってくれる人がいる。なら自分の考えは正しくはなくとも、間違ってはいないはずだ。春菜は二人の優しさに胸が詰まり鼻を啜った。目からは涙が溢れ、白いクロスに小さな染みを作る。
「でもケーキは止めておくね、どんなに頑張っても見た目で嫌われたくないもんね」
春菜はナプキンで涙を拭いながら笑った。
魔王城の前に、行魔へ向かう一行が一列に並んでいた。
列のやや前方、4頭立ての豪奢な馬車にサレオスが乗り、別の馬車にはヴィネアや政庁の官僚が乗り込んでいる。前後は護衛の騎馬が固め、後ろにはバアルを始めとして調理人、理髪師、医者、給仕、馬丁といった日常の世話をする使用人が付き従う。
見送りに出た春菜は壮大な列に息を飲む。
「なにこれ凄い!全部で100人ぐらいはいる?大名行列ってこんな感じだったのかな」
魔王専用馬車に近づくと、サレオスが窓から顔を覗かせる。
「見送りにはこないのかと思っていたぞ」
「そんなわけないじゃないですか、昨日約束しましたよ」
サレオスがニコリともせずに皮肉めいた台詞を吐くと、春菜は負けじと笑顔で反撃する。
「考えを変えるつもりはないのか」
「ありません。分かってもらえると信じてますから」
「頑固な奴だな……ならお前は好きにしろ」
「そう言ってもらえると助かります。サレオスさんはいつだって私に無理強いはしませんものね」
「やれやれ、今後は方針を変えなければいけないな」
「脅しには屈しませんから」
サレオスが眉を寄せる。今までは憎まれ口を利きつつも、どこかお互いそれを楽しむような節があった。しかし、今日に限っては空気が少し硬い。
「さっき言っていた『大名行列』とはなんだ、ハルナの国の風習か?」
「そうです。お殿様が家来を従え行進するんです」
「異世界でも無駄な風習というのはあるもんだな。この行魔だって当初の予定の半分程度に抑えさせたが、金が掛かって仕方がない。権威を表すハッタリの意味もあるから、これ以上は小さく出来ないそうだ」
「誰の考えです?」
「ヴィネアだ」
「なるほど。なんか納得です。派手好きなあの人らしいですね」
「ちょっと!聞こえたわよ!これでも先王の時に比べれば4分の1の規模よ!第一、魔王がしみったれた一団連れて国を回る訳にはいかないのよ。格好がつかないでしょうが!」
後ろの馬車に乗ったヴィネアが身を乗り出し抗議の声を上げた。
「だそうだ。早くこんな見世物を必要としないように、国を変えていかなければな」
サレオスが溜息をつくと、隊列の確認をして回っていたグシオンが馬車までやって来る。
「出発の準備が整いました」
「そうか留守中は頼んだぞ」
「道中の無事をお祈りします。魔王城のことは私にお任せください」
グシオンは丁寧にお辞儀をすると、隊列の先頭へ向け歩いて行った。サレオスはその後ろ姿を見てから、春菜に視線を送る。
「俺が留守の間、あまり奴を困らせるなよ」
「むっ、失敬な。グシオンさんを困らせたことなんて私ありませんよ」
「だといいがなあ……」
先頭から大きな声が響き、やがて馬車はゆっくりと進み始める。春菜は一方後ろへ下がり、窓から見えるサレオスの横顔を見送る。
(十日も会えないのか……もっと色々話したかったのに。花が咲いたことも言えばよかった)
今までだって同じ城内に住みながら会えない日は何度もあった。それでも、ほんの数十メートル隔てた場所と、自力では会えない地に離れることでは寂しさがまるで違う。
少しずつ遠ざかる場所を眺めながら、春菜は心臓を掴まれるような苦しさを感じ――
「サレオスさーん、行ってらっしゃーい!」
気が付けば、ありったけの声で呼んでいた。窓から片手がすっと伸び、見送りに答える様に小さく手が振られた。




