骨折
裏庭の長屋にある診察室。政庁から呼ばれた初老の医者が春菜を診察していた。
「折れてますね」
「え?」
春菜は横に立つサレオスの顔色を伺う。
「どうしよう折れてるって?」
「……」
サレオスは何も言わず、目をつぶって頭を左右に振った。
「指の骨折です。お若いから固定しておけば1ケ月で治るでしょう」
「そんなに掛かりますか?」
「ですな。もっとも私の魔で治療を施せば1週間で完治しますが、如何なさいます?」
「それはもう、ぜひお願いします」
春菜は二つ返事で治療を頼む。しかし、傍らに控えていたサレオスは春菜の肩に手を乗せ、眉間に皺を寄せる。
「覚悟をしておけ、痛いぞ」
「そ、そんなに?」
サレオスは黙って首を縦に振る。
「そ、そんなに痛いなら、麻酔とかないんですかね?」
「ああ、ご用意してありますよ」
医者は鞄の中からいかにもといった形の、茶色い小瓶を取り出して机に乗せる。
「なんだ、よかった。用意してるなら最初からそう言ってくださいよ」
「止めておけ、三日は寝込むぞ」
春菜はギクリと体を硬直させる。
「そんなに強い薬なんですか、それ、もしかして飲み薬?」
「如何にも。仰る通りです」
「注射で投与するわけじゃ?」
「はて、ちゅーしゃとは聞いたことはございませんが。王家では代々そのような物を?」
医者が尋ねるとサレオスは首を振って否定した。
(注射器ないのかー!じゃあ、医療レベルは江戸時代くらい?麻酔は麻薬と同じってきいたことあるから、それを飲むってことになるのか。うーん、どうする。痛みに耐えるか三日寝込むか)
「麻酔薬を服用されるのでしたら、おむつを履いください」
うんうん悩んでいた春菜は、医者の台詞に耳を疑う。
「な、なんでおむつが必要なんですか?」
「意識が無い状態で治療を施すわけですからな。垂れ流してベットが汚れては困るでしょう」
そういうことかとうな垂れる春菜。サレオスの反応を横目で伺ってしまう。
「俺は構わんぞ」
「なんですかその優しい言い方、私は構いますす!大体、意識ないとき誰が
私のおむつを取り替えるんですか」
「グシオンだな」
「……ありえない」
麻酔なしでの治療が決定した。
「ではそちらに横になってください。治療を始めます」
「は、はい」
一体どんな治療が施されるのか。不安を覚えながら診察台に横たわる。傍らに立った医者が意識を集中させると手が真っ黒に染まり、辺りに冷蔵庫のコンプレッサーのような低周波音が発生する。
「では、いきますぞ。今から私の魔で折れた骨を縫い合わせて繋げます。なあに、痛いのは一瞬で済みます。ご安心ください」
「や、やや、ちょっとまって下さい!」
今の言葉で何を安心すればいいのか。痛みだけでも不安なのに、さらに体に魔を受けるのは初めての経験だ。春菜は怖くなって咄嗟にサレオスの姿を探す。
「サ、サレオスさん!」
「どうした、半べそかいて。いつものお前らしく……なくはないのか。いつもどおりか」
「い、いいから!今は何を言われてもいいから……だから、手を握って、お願い」
春菜が涙目で懇願すると、サレオスは口を真一文字に結んで険しい顔を作り、後ろを向いてしまう。
「??サレオスさん」
「ンンッ」
サレオスが咳払いしてから振り向くと、いつもの顔に戻っていた。
「分かったよ、これでいいのか」
「う、うん。ありがとう」
恥も外聞も無く、小児科に連れて来られた子供の様にサレオスの手を取る。すると不思議な安心感が込み上げる。
「ではいきますぞ」
医者が患部に触れると、黒く染まった腕からゆっくり春菜の手に色が移動していく。腕に痒みが生まれ、チリチリと日に焼けるような痛みに変わっていく。そして腕が完全に黒色に染まると――
「いっきゃー!」
バチリという音が脳内で響き、視界が真っ白になる。春菜は神経を焼かれる痛みに頓狂な声を上げて気絶した。
春菜が目を覚ました時、視界に入ったのは見慣れたいつもの天蓋だった。
「ここ、私の部屋……」
自室である白の間。体に掛けられた布団を退けようと腕を動かした時、右手に激痛が走る。
「っく!」
痛みが寝ぼけていた意識を一気に覚醒させる。右手を押さえてベットで体を縮込ませる。しばらくそうして痛みが引くのを待ってから、ゆっくりと体を起こして体の状態を確認する。
「私、お医者さんに怪我を診てもらって、それから」
右手には包帯が巻かれているが、ギブスはされていない。
「そっか、治療が終わってるんだ。よかった、じゃあ後一週間もすれば完治するんだ。凄いな魔法って」
あの痛みはとても耐えられるものではなかったけれど、全治一か月の骨折が治るなら感謝しなければいけない。
「でも私長屋の診察室に居たはずだよね?意識無くしちゃったんだ……まさか!」
春菜は咄嗟に自分のレギンスの中を確認する。
「よかったおむつは履かされていない。まてよ、今部屋着だけど、気絶した私がどうして!誰が?うわー、気になるよー!」
片手で頭を抱えて唸っていると、扉をノックする音が響く。
「誰だろ。私の部屋に訪問者なんて珍しい……どうぞー、開いてますよー」
「入るぞ」
「サレオスさん!」
春菜は咄嗟に毛布を手繰り寄せて体を覆う。
「痛っ!」
「おい、無茶をするな。治療を施したばかりだ、まだ完治はしていない」
サレオスは呆れた顔で、ベットにうずくまる春菜の側へ近づく。
「私、いつここに運ばれたんです?」
「昨日の夜だ。まだ、一晩しか経っていない」
「そっか。¥、まだそれしか経ってないんだ。まだ傷が痛むわけだ」
「今お前の手は魔によって強引に修復がされている。痛みは今日中に治まるそうだ。無理せず二、三日は休め。広間の掃除なんていつだって構いやしない」
「なんか、あの子達に申し訳ないな」
「コボルトか?奴らに迷惑を掛けたくないらな、もうあんな阿呆な真似はよせ」
「それは約束できません。また誰かがあんなことを言えば、何度だってぶん殴ってやります」
自分でも怪我は馬鹿だとは思うけど、同時にこの痛みが少し誇らしくもあった。
「断言するな。お前はやっぱり阿呆だな」
そう言っておきながら、サレオスの顔は少し笑っている。
「ムウッ。どうせ私はアホですよ」
「明日は車を用意してやるから、街に行ってこい」
「街?どうしたんです突然」
「護衛や車の都合もあるからな、思い立ったら行けるってわけじゃない。いい機会だろ」
「うーん、街ですか……あ、私行きたい所があったんです」
「ほお、どこだ?」
「眼鏡屋です」
「眼鏡?お前は目が悪かったのか?」
「いえ、そういうことではなくて、ちょっと調べたいことがあって」
「休みの日にまで仕事か。熱心なのはいいが、もう少しそれらしい所があるだろう。手を怪我しただけだで、歩き回るのに支障があるわけじゃないんだ」
「いやあ、そう言われても思いつかないから……って、そうだ!私どうやってここまで移動したんです?気を失ってたんですよね?」
「決まっている。俺が運んだ」
「サレオスさんが?ど、どうやって?」
「こうやった」
「なっ!」
サレオスが取ったのはお姫様抱っこのポーズだった。
(イケメンの魔王にお姫様抱っこされてベットまで!なんて羨ましい!じゃなくて、恥ずかしい!意識があったら鼻血出してたな)
それでも意識が無いのが残念極まりない。
「ん?待てよ?じゃあ、今私が部屋着に着替えてるのって……まさかサレオスさんが!」
「安心しろ。それはグシオンにやらせた」
「あー、それなら確かに大丈夫……じゃない!」
「まあ、本人は嫌そうにしてたがな」
「だったら他にもいるでしょ!コボルトの女の子とか、おっぱいの大きいエキドナさんとか!」
「やれやれ。人に世話を焼かれておいて文句をいうな。あいつだってやりたくてやったわけじゃない」
「それ、全然フォローになってませんよ?」
仕方がないとはいえ、流石にこれは恥ずかしい。春菜は頭まで布団を被り込む。
「まったく、照れたり恥ずかしがったりと忙しい奴だなお前は。俺は仕事があるからもう行くぞ。明日は朝食を取ったら厩舎に行け、車と護衛を手配しておく」
「うう、わかりました。行ってらっしゃい……」
サレオスは部屋を出て行った。




