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言葉

ただ立ち続けているだけだと時間が経つのが本当に遅い。しかも、雛壇でそれなりに注目を浴びなければいけないから気を抜くことも出来ない。


(流石に長い……。おしっこ行きたくなってきちゃったよ。別にそれぐらい構わないかな)


よく見ればちらほらと大広間を抜け出す者の姿が見られる。


「やっと最後まで来たわね。ノコノコと一人でこんな所に出ててきて、そのプライドの高さが仇になるともしらず、後の顔が見ものねえ」


一旦離席しようかと考え始めた頃、ヴィネアが含みのある独り言で終わりが近いことを教えてくれた。春菜はようやく見世物扱いから解放されると安堵する。


「モラクス公爵」


グシオンに呼ばれて前に出たのは、サレオスとは親子ほど歳が離れた初老の男性だ。大きな宝石が付いた指輪を幾つもはめ、サレオスに負けぬほどの派手な赤いマントをずるずると引きずりながら歩いている。


モラクスは親族を連れずに一人で雛壇に上がり、他の貴族達が挨拶していた位置よりもさらに玉座に近づこうと歩を進め――


「止まりなさい」


グシオンの声に制止させれらた。モラクスは不満そうに顔を顰め、その場で僅かに膝を曲げる。


「ご健勝、喜び申し上げる。イスラのため、このモラクスも力を貸しましょう」


モラクスの頭の位置は、玉座に座るサレオスよりも高い。どちらが上の立場かわからないような、極短い簡素な挨拶を対等な目線で口にした。


(……なんか、ちょっと態度が)


「相変わらず偉そうなジジイね。先王の弟ってだけで自分まで王様気取り。無能なくせにプライドだけは人一倍高いから嫌になるわ」


「サレオスさんの叔父さんですか。甥っ子に頭を下げるのが嫌なんですかね」


「アレは王位に就くのは自分こそ相応しいって思ってるの。討伐軍への参加要請にも応じず、今までどっちつかずの態度で日和見決め込んでたの。馬鹿な奴よ。ここまできてあんな態度を取るなんて」


サレオスは挨拶を受けても一言も発さず、相手を凍りつかせるのではないかと思えるくらい冷たい目でモラクスを見据えていた。そのまま無言の時が流れ、不穏な空気に大広間がざわつきだす。


(あんな怖い顔を見るの初めて)


魔王城でのサレオスは、春菜に対して意地悪な顔は見せるけれど、どこか楽しそうだった。しかし、今玉座にあるのは魔王と言う呼称に相応しい、目の前の存在を塵ほどにも思わない尊大な男の姿だった。


「くっ」


眼光に射竦められたのか、モラクスは不満そうな声を漏らし床に膝を着く。それでもサレオスは許さない。


「頭が高い」


ようやく身を低くしたモラクスに対し、なお頭を下げろと命じる。モラクスは顔を赤く染め、しばらく間を置いて頭を下げた。


「頭が高い」


間髪を置かずに同じ言葉が放たれた。それ以上頭を下げるには平伏するしかない。その言葉に大広間の空気が凍りつく。


「ぐ、ぐぐぐぐっ……」


受け入れがたい要求に、モラクスは肩を震わせていた。そして――


「ぬあああ!頭に乗るなよ若造が!簒奪者がよくもこの私にそんな口を利けたものだ!」


我慢の限度を超え、顔を真っ赤にして立ち上がり玉座を指差す。


「その椅子は半魔の若造が腰かけていい場所ではない!」

怒り心頭のモラクスがサレオスの王位を糾弾する。これは最早王に対する反乱と言ってよかった。


「控えよ」


それでもサレオスは顔色一つ変えず、つまらなさそうに掃き捨てた。


「ぬぐぐぐ、ワシをそのような目で見るか!」


その態度が余計気に障ったのか、モラクスは唇を噛みしめて血を滲ませる。しばらく玉座のサレオスを睨んでいたかと思うと、不意に嗜虐的な笑みを浮かべた。


「その顔、出自の卑しさが出ておるではないか。貴様の母親は元々は奴隷の掃除人。どんなふうに股を開いて王を誘惑したかワシは聞いておるぞ」


(酷い……なんて言い方を!)


春菜はルクレツィアのドレスを握りしめる。


「淫売が王の上で腰を振り、妃の地位を得るために産んだ膿のような餓鬼が、何を勘違いしたか王族のように振る舞いおって。貴様に気高い王家を名乗るなど許されると思うてか!売女の子は男娼にでもなって客を取っておれ!」


モラクスは言葉の限りサレオスとルクレツィアを罵った。


その悪態をグシオンが許しておくはずがなかった。すでにその両腕には巨大な幾何学模様が展開されていた。


「チッ!あのジジイ想定以上ね、死亡確定だわ!グシオンが完全に切れてる。あんな魔を展開されたら城だって無事じゃ済まないじゃない」


グシオンの手から、激情が魔となって行使されようとしている。


「ワタシはグシオンを止めに行く!アンタは念のためサレオスを止めに……って?えぇ!ちょっとアンタ!」


ヴィネアが指示を出そうとした時。すでに春菜はその場を駆けだしていた。


譲られたドレス、住まわせてもらった部屋、残された者が語った在りし日の姿。過去の人であるルクレツィアは、春菜の中では侵すことの出来ない存在として確立していた。


あんな言葉を決して許しておけるものか。悔しさで滲んだ涙がこぼれ落ちる。


「このクズ野郎!」


春菜は飛び掛かかるように顔面を殴りつけた。モラクスはその場に尻餅を付き、鼻血を出しながら唖然と春菜を見上げる。


「お前にルクレツィア様の何がわかる!奴隷として宮殿に連れて来られた女にどんな選択肢がある!お前のような男が女を不幸にするんだ!恥を知れ!」


ルクレツィアが送った王城での生活はどんなものだったか。サレオスはそれをどんな風に見て育ったのか。本人の口から聞かされてはいないけれど、今までのサレオスを見ていればなんとなく想像が付く。


この男はルクレツィアとサレオスの思い出を汚した。


「お前に魔王の資格なんか無い……」


春菜が振り上げた拳を下すと、我に返ったようにモラクスが立ち上がる。


「き……きさま、きさまー!人間か?よもや人間風情がこのワシに手を挙げたと言うか!よくもそのような説教じみた台詞をワシに!千の剣に貫かれ、死んで罪を償え!」


怒り心頭に達したモラクスが両手を上げると、春菜を取り囲むように無数の黒い円が展開される。


「ちょ、何それ!逆切れか!」


「どの口で言うか、死ねー!」


「!」


モラクスが空中から何かを呼び出すように手を振り下す。春菜は体中を刺し貫かれる自分の姿を想像し咄嗟に身構える――


辺りを静寂が覆い、時が制止したように何も起きることはなかった。


春菜は体が無事なことを確かめ、周囲に展開する黒い円を見上げる。何も変化が起きない中空にむかって、モラクスは焦るように何度も手を振り下ろす。しかし、結果は同じだった。


「……なんだ、どうした、なぜ魔が行使されん?なぜ剣が出現せんのだ!」


「愚か者。私が結界を張る城内で魔を行使できると思ったか!」


グシオンが目尻を吊り上げ、鬼の形相で言い放つ。その両腕はヴィネアにガッチリと拘束されていた。


「ガッハハハ!迂闊な奴だ!城内で四職以外の者が魔を行使するなど」


「ホント、愚かですねー。救いようがない愚か者です叔父さん」


呆れて笑うバルバスとダンタリアン。


「ぬぬぬ、我が王城にそのようなもの勝手に張り巡らしおって……よいわ、小娘一人この手で始末してくれる」


「まだ諦めないの?」


春菜のツッコミを無視し、モラクスは屈辱を受け入れぬと、懐から宝石をあしらった短剣を取り出す。


しかし、その鞘を引き抜きいた瞬間に体が硬直する。


「こっ、これは……なにごと……かっ!」


苦悶の表情を浮かべたモラクスの手足が、白い靄に包まれてあらぬ方向へとゆっくり曲がっていく。靄は体全体に広がったかと思うと、腕を持つ巨大な蛇となって姿を現す。


「愚かさも極まったな」


サレオスが玉座から立ち上がり、右手を翳しゆっくりとこちらへ近づいていた。モラクスに冷たい目を向け、静かに言い放つ。


「随分なことをしてくれたな」


「ぎ、ぎざま、このワシに――」


「黙れ。発言は許さん」


モラクスは途端に体を締め付けられ、呼吸もままならずにビクビクと体を痙攣させる。


「道端の小虫がどう鳴こうがどうでもいい。だが、それが俺のものに危害を加えるとなれば話は別だ。我が召喚獣に身を砕かれ、四肢を千切られ死ね」


サレオスの周りには白い靄が漂っていた。それは体の周りで生まれ、ゆっくりと滝のように流れ落ち、床を広がっていく。


やがて気体は春菜の足元まで漂よい、渦を巻きながら体を登り消えていく。


(これは冷気?)


春菜は気体の発生源となっているサレオスをみてゾッとする。


(なんて顔……辺りを凍りつかせるほどに酷薄で、手で触れれば低温で火傷してしまいそう。これは怒り。サレオスさんが初めて見せる感情)


零度を遥かに下回る極低温の怒り。


サレオスが翳していた手を握りしめると、モラクスの体に巻き付いた蛇が滑るように動き、枝が折れるような音が鳴り始める。


モラクスはもう許しを請うことも出来ず、ただ全身を締め上げられ、手足を引きちぎられて死を迎えるだけとなっていた。


集まった貴族達は凍りついたように固まっていた。眉間に皺を寄せる者、冷静に凝視する者、目を背ける者、反応は様々でもこれから起こる凄惨な瞬間を予想しているに違いない。


「止めて!サレオスさん」


大広間に春菜の声が響いた。サレオスは握っていた拳を僅かに開き、蛇の動きを止める。


「どうした?まさかこの愚か者を許せとでも言うのか?」


「そんなこと思ってない。この人はそれだけのことを言ったもの」


「……だが殺しはするなと?そんなことをしても俺の手はとっくに――」


「違う!そんなんじゃない!サレオスさんの立場を考えれば、そんなことを言うのは理想論だってわかってるつもり」


春菜はサレオスの言葉を制止した。


魔王として国を支配するために、どんな手を尽くしてきたのか想像もつかない。けれど、理想を実現する現実的な手段は、綺麗ごとでは済まされないだろう。それを思えば聖者に成れなんてとても言えない。


(自惚れじゃない。サレオスさんは公爵が私に危害を加えようとしたことに対して怒っているって確かに言った。ならそんなことで、こんな人のことで手を汚させたくない。だって私は――)


春菜はもがき苦しむモラクスを指差す。


「このゴミが散乱すればあなたの魔王城が汚れる!だから私は掃除人としてそれを止める!」


「ゴミで、俺の城が汚れる?」


その言葉にサレオスは口を押えて笑い出す。モラクスは蛇の拘束を解かれ、

その場に崩れ落ちた。


「アンタ言い過ぎ。ワタシだってそこまで言ってないわよ」


「いい度胸だ!ますます気に入りましたぞ」


「容赦ないなー姉さん。でもそんなところも素敵です」


側に詰めかけていた四職の三人が笑い出す。


「や、ここ笑うとこ?私けっこうマジで言ったんですけど。痛ッ!」


緊張が解けたせいか、殴りつけた拳がズキズキ痛み出す。熱を持って動かすこともままらない。


「無茶をする女だなお前は」


「だって……私、許せなくて、あっ」


痛めた拳をサレオスの手が優しく包み込んだ。ヒンヤリとした感触が心地いい。


(サレオスさんに触られた……これって初めて?ファーストタッチ?ってなんだそれ。周囲の人の目が、五〇〇人が私を注目してる、嬉しいけど恥ずかしい!)


急に手が氷水に浸けられたような冷たさを感じる。


「冷たっ!」


ゼリー状の液体が春菜の手を包み込んでプルプルと震えていた。


「な、なんですかこれ!ちょ、ちょっと動いてますけど!」


「スライムだ。患部を冷やすのにちょうどいいだろ。腫れが治まるまでしばらくそうしていろ」


見た目の気持ち悪さと、怪我を冷やしてくれる心地よさに顔を歪ませる。サレオスは頬を緩めると、周囲に聞こえないくらいの小声で囁く。


「ちゃんとお前を見ていたぞ」


「えっ?」


それはドレスを指しているのか、それとも別の何なのか、春菜はその言葉に怪我の痛みを一瞬忘れた。

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