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意味

ゆっくりと空中庭園へ近づく人型の白い光。


(ゆ、ゆゆ幽霊ですか!やっぱり出るんですか?)


ゾクリと春菜の肌に鳥肌が立つ。


「あわわわ、逃げねば。耳を千切られてしまう」


あたふたと周囲を見回しても目に入って来るのは暗がりばかり。ここまで手探りでなんとか移動をしてきたというのに、どう逃げ出せばいいのか。


春菜は体を硬直させて息を殺す。


(ええい、こんな所で人生を終えてたまるか!考えるんだ私!事態を打開する一手を)


万事休す。覚悟を決めて近づく光の情報収集を始める。やがてぼんやりとした光の中にハッキリとした人の輪郭が浮かび上がる。


(え?あれってもしかして)


光りは庭園の前まで来ると進みを止めた。


「なにをしているんだ?こんな所で」


浮遊する光の中心にいたのはサレオスだった。春菜は肩の力が一気に抜けて、大きく息を吐き出す。


「はーっ。なんだーサレオスさんかー」


「随分な言われようだな」


「あ、ごめんなさい。そういう意味じゃないんです。てっきり私、幽霊かと思って」


「この俺が?魔王と幽霊が主じゃこの城も大変だな」


サレオスは愉快そうに口元を綻ばせる。


僅かに光る緋色の瞳の輪郭が、薄明かりの中で昼間よりも際立って見える。暗闇の中で光を身に纏い佇む姿は、幻想的な絵画を見るような美しさがあった。


春菜はボンヤリとその姿を眺める。


「どうした?」


「あ、いえなんでもありません」


「それで、なぜこんな所に?」


「ご飯前にランプの用意をしないで部屋で寝入っちゃって。それで厨房に行こうと下りてきたとこです」


「やっと城内に引っ越したか。阿呆だなお前は、一階へ通じる階段は向こうだ。こっちは方角が違う」


サレオスが満足そうに階段を指差す。


「周りに浮かんでる光はなんなんですか?」


「これか?これは夜光蟲。召喚で呼んだ。知能が無いから複雑な命令はこなせないが、対象の周りを飛ぶので明かりとして使える」


(フフ、知能は無いって言ったけど、楽しそうに飛び回ってるように見えるな。サレオスさん蟲にまで好かれてる)


「お前の世界にこういう蟲はいないか?」


「いますよ。蛍っていいます。でも色はもっと緑っぽいですけど」


実家近くには蛍の再生に取り組んでいる小川があって、毎年初夏には祭りも開かれていた。


そこに出ている出店でやきそばを買ってもらい、飛び交う蛍を眺めることを子供の頃は楽しみにしていた。


春菜はその光景を思い出し、胸にこみ上げてくるものを感じた。


「緑色に光るのか。それは見てみたいのだな」


サレオスはその光景を想像でもするように、手を眼前に掲げ旋回する夜光蟲を眺める。


「ええ、とても綺麗です……」


「どうした?」


「いえ、なんでもないです」


里心がついたなんて恥ずかしくて言えない。


「どの部屋に決めたんだ?」


「部屋?なんのことです?」


「居室だ。引っ越したんだろう」


「ああ、そういうことか。白の間です。小さい部屋でベットや調度品も控えめで、優しい雰囲気でなんだか落ち着きます」


「……そうか。あそこは良い部屋だ。大切に使え」


やさしい、大事な物に触れるような声だった。春菜はサレオスの顔を仰ぎ見る。


(穏やかな顔。それに何だかうれしそう)


傲慢で、悪戯で、無邪気で、穏やかで、今まで知らなかったサレオスの顔が少しずつ増えていく。春菜は頬を緩めた。


「どうした、変な顔をして」


「私がですか?してませんよ変な顔なんて」


「そうか。じゃあ元からそういう顔なんだな」


サレオスは意地悪そうに笑った。


(ぬぬぬ。間違いない、この人は私をイジメて楽しんでる。うれしそうじゃなくて、たのしそうだったんだあの顔は)


ふいに、春菜は部屋に掛けれていた絵画のことを思い出す。


「そういえば部屋に掛けられていた絵の子供が、サレオスさんによく似てました」


「それは似てるだろう。あれは俺だからな」


「ああ!やっぱりそうだったんだ。もしかしたらって思ってたんですよ」


モデルが知れると絵に対する愛着が増すから不思議だ。


(ふふ、そうなんだ。あのすまし顔のかわいい子はサレオスさんなんだ。あれ?でも、子供の絵が掛けられているって……)


先祖や神話の英雄ならいざ知らず、自分の部屋に無関係の子供の絵を飾るだろうか。


「あの部屋ってもしかして……」


春菜が尋ねると、サレオスは庭園へ視線を向ける。その目は遠い過去の風景でも見る様に、少し寂しげに感じる。


「俺の母が使っていた寝室だ」


「えっ!」


あの部屋に決めると言った時、グシオンが一瞬見せた沈黙の訳がわかった気がする。


「ごめんなさい。私……すぐに部屋を移ります」


「構わない。お前が使え」


春菜は大切なものに勝手に踏み込んでしまった気がした。だが、当のサレオスはなんでもないことのように穏やかに言う。


(そんな風に割り切れるものかな。お母さんが使っていた部屋。そんなとこを私なんかが使っちゃっていいのかな)


「何度も言っているだろう、好きに使えと。部屋はただの部屋だ意味なんかない」


「は、はい」


月明かりに照らされた草木ひとつ植わっていない庭園を、サレオスは黙って見ていた。部屋は部屋、それはその通りに違いない。


(嘘。じゃあ、どうしてあんなに優しく『大切に使え』って言ってくれたの?意味がなきゃあんな言葉出てこないよ)


春菜はその理由が知りたくなる。


「サレオスさんのお母様は?」


「死んだ」


春菜は淡々と言ったサレオスの面持に見覚えがあった。異世界に来て初めての日、魔人と人間の関係を語ったあの顔だ。その時見せた悲しみは、母の死と無関係なのか。


「残念です」


そう応えることしかしかできなかった。


(何が起きたんだろう。いつかちゃんと尋ねられるようになって、共感できるよう時がくればいいな)



蟲達の白い光の一部が分かれて二人を取り囲む。


「厨房へ行くんだったな。付いて来い」


「え?」


サレオスは歩き出し、春菜は慌てて後に続く。


(連れていってくれるんだ)


「掃除は順調か?」


「はい。みなさんよくしてくれますから。掃除道具も揃い始めてます」


「そうか、ならいい。お前もたまには休みくらいとって、街にでも行って来い」


「街……近くにあるんですか?」


「歩いて行ける距離にはない。行くなら護衛と車を出してやる」


「く、くるま?」


「なんだ乗ったことないのか?動物に引かせるアレだ」


「あ、ああ。そうですよね。勿論ありますとも。でも『護衛』って、街は危ない所なんですか」


「そんなわけあるか、王都だぞ?だが、イスラは長く人間と敵対してきた国の王都。差別意識も根強い。人間が一人でいれば、いらぬトラブルに巻き込まれるだけだ。ましてやお前みたいなか――」


「お前みたいな、か?なんです?」


サレオスは出かけた言葉を飲み込んだ。そして、何事かを考える素振りを見せた後に再度言い直す。


「……夜にランプを忘れるような阿呆では、人買いにでも捕まるのがオチだ」


「容赦ない!」


二人は足元を蟲の光に照らされ、廊下を歩いて行く。


(魔人の街か、どんな所なんだろ。お城がこんなに凄いんだから、王都もきっと素敵だろうな。この人と一緒に歩いたらどうなるんだろ……いやいや、なぜサレオスさんが)


「四階は案内してもらったか?」


「え?あ、はい。グシオンさんに」


「じゃあ俺の部屋の場所は知っているな」


「ええ、はい」


サレオスは急に歩みを止めて春菜の方へ顔を近づける。


春菜の心臓がドキリと大きな鼓動を上げる。


サレオスの顔はそれだけで誘引剤だ。しかも、誰もいない城内ほぼで、光に囲まれていると密室のように錯覚してしまう。


「あ、あのサレオスさん?」


「俺の部屋にはいつ来るんだ」


サレオスは声を潜めて尋ねた。春菜の視界がくらくらと揺れる。


「え?ええ!部屋にですか!私が?」


「お前以外に誰がいる」


「いいい、で、でも物事には順序と言うものがあってですね。それを飛ばして急にというのは」


春菜は両手で『待って』とストップをかけ赤面する。


「順調なんだろう?なら俺の部屋の掃除もそろそろ入れるはずだ」


「へ?」


サレオスは意味深にニヤっと笑うと、また前を向いて歩き出す。


(わ、わざとだ!絶対わざとやってるこの人!うわーん、遊ばれちゃったよー。乙女心弄ばれたー)


「どうした行くぞ」


悪びれもせずに振り返ったサレオスは、相変わらず楽しげに笑っている。


「はいはい、わかりましたよ。手が空いて暇でしょうがなくなったら伺いますよー」


「フン、一番後回しか。まあいい任せたぞ」


春菜の動揺に気付いているのかいないのか、サレオスはなんだか満足そうに厨房まで案内をしてくれた。


「着いたぞ。もうだいじょうぶだろ」


「ありがとうございましたー」


弄ばれた気分の春菜はぶっきらぼうに返事する。


「お前は魔王城の掃除人だからな。怪我でもされたら俺が困る。もう明かりを忘れるようなヘマはするなよ。もしまた何かしでかして助けが必要な時は――」


「必要な時は?」


キッと睨み効かせ厳しい処断を告げるような顔を作るサレオス。


「大声で叫べ」


「はい?」


「そうすれば誰か来てくれるだろ」


「聞こえるわけないじゃないですか。魔王城こんなに広いのに」


「聞こえるだろ多分」


サレオスはいい加減に言うと、夜光蟲の明かりに包まれながらその場を去っていく。


(ドS魔人め、乙女心を弄びおって。……でもこんなふうに普通の会話したのって初めてかも)


思い返せば肉屋事件では一言も会話を交わしていない。春菜は普通に話せた余韻を噛みしめる。


(なんだか今日は優しかった?ううん、違う。彼は出会った日からずっと優しかった。意地悪ではあるけれど、会った時からずっとそう。私は何を見ていたんだろう)


そう思うとサレオスの部屋へ行くことが楽しみに思える。


そして、いつもより遅く厨房へ現れた春菜を見たバアルは、開口一番「何かいいことあったか?」と聞いてきた。

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