絵画
春菜は言われた通りすぐに引っ越しに取り掛かる。
と言っても持ち物は服や洗面道具と少ないので、旅行中にホテルを移動するような感覚で荷物を編み籠に入れて運ぶ。
「お世話になりました」
数日間暮らしただけでも、異世界に来て初めて過ごした部屋は思い出深い。後の人が気持ちよく使えるよう綺麗に掃除をして、感謝の気持ちを込めてお辞儀をしてから出て行った。
「さてさて、どんな部屋に住もうかな」
城内の掃除をしているといっても、まだ全ての部屋を回ったわけではなかった。足を踏み入れたことのない部屋もまだ沢山ある。
居住用の部屋があるのは三階以上なので、適当に端から扉を開けて様子を確認していく。
「――うわ、なんだこの部屋広いな、居間とベットルームが別にある。――凄い肖像画の数、ていうかベットが無い。――ここは……なんだ応接室か」
幾つか覗いてみたものの、個人で住むことを想定していない部屋が多かった。
食堂や応接間といった設備も目に付いたので、三階が来客か家族用を想定していることが伺える。どの部屋も広すぎて兎小屋で育った春菜には落ち着かない。
(そういえばグシオンさんやヴィネアさんは何処で寝起きしているんだろ。勝手に部屋に入っちゃまずいし、聞いておけばよかったな)
そうやって歩き回るうちに、空中庭園の脇を回って四階へ上がる階段に出くわす。一階から三まはひと続きになっているけれど、この階段だけ独立していた。
(四階はまだ上がったことないや。いいよね、好きに使えって言ってたし)
階段を昇りながら、春菜はふと気づく。
(はて、四階と言えばなにか話に出てきたような……ダメだ思い出せないや。うん、きっと大したことじゃないんだろ)
決してそんなわけではないのだけれど、好奇心には抗えない。
(なんか少し、雰囲気が違うな)
廊下に敷かれたカーペット、窓に設置されたカーテン、柱に施された漆喰、フロアー全体が朱色を基調として統一され、落ち着いた中に風格を感じさせる。
辺りを少し見て回ってから、手近な部屋から見学を始める。
「わ、この部屋素敵」
扉を開けて目に入ったのは、白で統一されたインテリアだ。
(うんうん、ベットの天蓋もレースのシンプルさ。家具の装飾も控えめで好感度高いな。フフ、この絵に描かれてる小さい子、サレオスさんに似てる。なんか安らぐなこの部屋)
何より部屋が狭い(春菜が住んでいた日本の部屋の二倍はあるけれど)のがいい。
「でもせっかくだからもう少し見て回ろうか。最初からこれなら期待できるぞ」
後ろ髪を引かれながらも部屋を出て内覧を再開する。
「この部屋は図書室?書斎?異世界でもこんなに本が――」
「何をしているんです」
「ヒッ!」
書斎を覗き込んでいた春菜は、背後から声を掛けられて肩を跳ねあがらせて驚く。
「グオシンさん」
「ここで何をしているのかと聞いているんです」
いつも柔らかな物言いがキツ目に感じるのは気のせいか。
「あ、えっと部屋を見て回っています」
「部屋を?」
「はい、サレオスさんに引っ越せって言われて」
「ああ、なるほどそうでしたか。納得です。悪かったですね、突然声を掛けたりして」
「いえ、いいんです。ただビックリしただけですから……」
「ですが四階にはサレオスの居室がありますから、不用意に回るのは控えた方がいいでしょう。私が案内します」
(やっぱりサレオスさんこのフロアーに住んでるんだ。思い出した!バアルさんが四階は王族専用フロアーって言ってた!)
「どうしました?行きますよ」
王族専用と言うことは、この階に住んでいたのは当然王家の人々。使用人が住むのはまずくないかと躊躇したが、グシオンは特に咎め立てる様子も無く案内をしてくれるという。
(そうか、いいのか。サレオスさんが好きに使えって言ったのはそういうこと気にするなって意味だよね)
春菜は後に付いて四階を回っていく。
「どの部屋にしますか」
幾つかの部屋を案内し終えてグシオンが尋ねた。どの部屋も居住性は悪く無さそうだ。難点を上げるとすれば、内装が豪華過ぎる上に部屋が広すぎて落ち着かないということ。
我ながら慎ましやか過ぎて、悲しくも頼もしく感じる。
もう意中の部屋が決まっていた。
「私この部屋にします!」
選んだのは見た中で一番狭い、白を基調としたインテリアの部屋。一番最初に覗いた所だ。
「……この部屋ですか」
「はい。ダメですか?」
「いいえ。サレオスは好きな部屋を使えと言っていました。白の間でも問題ないでしょう」
「しろのま?」
「はい。特に名札が掛かっているわけではありませんが、四階の部屋はほとんど通称が付いています」
「さすが王城、やることが雅ですね。そう言えばグシオンさんやヴィネアさんは何処で寝起きしてるんですか?」
「私は四階の一室です。ヴィネアは気分次第で部屋を替えてるようですね。まったくいつもフラフラして困った奴だ」
いい加減にしてほしいとった様子で天井を仰いでいるものの、苛立ちは感じられない。真逆といっていい程タイプの違う二人だけれど、案外仲は悪く無さそうだ。
春菜は早速新しい部屋に僅かばかりの荷物を運び入れる。
「私はもう行きます」
「はい、ありがとうございました」
グシオンは一旦立ち去ったものの、すぐに戻ってきて扉の向こうから顔を覗かせる。
「?なにか」
「浴室がとても綺麗になっていて驚きました。お陰で気持ち良く湯あみをすることができました。ありがとうございます」
「い、いえいえ。どういたしまして仕事ですから」
ぶんぶん頭を振って恐縮する春菜に「それでは」と一言の残しサレオスは立ち去る。
「わざわざ言いに戻ってきてくれたんだ。お風呂でお礼を言うのはこっちの方なのに」
その気遣いに感謝して、誰も居なくなった扉の向こうへ頭を下げた。
ドレッサーの上に化粧品を並べ、着替えをチェストの中にしまい込むと、あっという間に引っ越しを終えてしまった。
「うん、やっぱりこの部屋落ち着く。白で統一されたインテリアだから“白の間”かな。それにしても天井が高いなー」
天蓋の付いたベットの寝転がると、テントの中で横になっているような不思議な感覚に陥る。
(王族専用フロアーか。ただの使用人なのに、食事といい服装といい破格の待遇だな……なんでだろ)
そういえば報酬も一日金貨一枚だった。この世界の使用人がどれだけ貰っているのかはわからないけれど、ただの掃除人にそれだけ支給されるのが特異なことは確かなはずだ。
(理由があるのかな)
壁に掛けられた小さな肖像画。銀色の髪の子供が澄ました顔で春菜を見つめている。
(ふふ、やっぱり似てる……)
絵画を眺めていると瞼が徐々に重くなり春菜は寝入った。
「ふえ?」
目を覚ました春菜は、暗がりにぼんやりと浮かび上がるシルエットが、見慣れたものでないことに気が付き驚く。きょろきょろと辺りを見回し、寝ぼけた頭が覚醒し事態を飲み込む。
(ああ、そっか。私は部屋を移ったんだった)
どれくらい寝てしまったのか。外はすでに暗く、僅かな月の明かりが室内を照らしていた。この世界の月は地球に浮かぶものより一回り程大きい。
(しまった、ランプの火を用意してなかった)
懐中電灯は勿論、ライターも無い世界。夜を迎えるにはそれなりに準備が必要だった。春菜は薄明かりの中を、手探りに近い状態で部屋の外に出る。
春菜は思わず唾を飲み込む。
(夜の城内ってこんなに暗かったんだ……)
城内には随所にランタンが据え付けられていたけれど、今は火が灯っていない。四階の廊下は僅かな窓明かりに照らされ、白の間から左右に伸びている。
(失敗した。今までもランプは使ってたどけ、ご飯を食べたらすぐ寝ちゃってたから暗くても困ることなんてなかったんだ)
(私、もしや遭難するのでは!)
さすがにそこまではいかなくとも、まだ不慣れな城内。
しかも四階は今日足を踏み入れるのが始めて。この広い場内を暗がりの中、はたして目当ての厨房に辿り着けるのか。春菜の胸元を汗が伝い落ちる。
(エ、エマージェンシーコールをせねば)
キョロキョロと周囲を見回してみたところで、非常用電話も災害報知器もあるわけない。
春菜は覚悟を決めて廊下をゆっくりと歩き出す。
「こ、これはいつもとは別種の怖さがあるわ」
清掃業でオフィスビルや官公庁を夜間に掃除するので、薄暗い屋内には慣れていた。だからといって何も感じないかと言うとそんなことはなく、一人で作業をしていれば暗がりの先に不気味さくらいは感じる。
夜の誰もいない城内は、今まで経験したことのない寒々しさを醸し出している。三階へと通じる階段はそれほど遠く無かったはずだ。しかし問題は別にある。
「やっぱり真っ暗」
城内の中央部に設置された階段には窓が無く、階下へと続くのは暗闇の穴。本日最大の難所といっていい場所を、両手を壁に付いて一足ずつ探るようにして階段を下って行く。
「生命の危機を感じる……」
不気味さよりも怪我をするかもしれないという危機感が先に立って冷や汗が出てくる。
「ふー、やっと三階についたか。後は、なんとなくだけど記憶してるから」
なんとか無事に階段を下り切って、壁伝いに進んでいると月明かりに照らされ一角が目に入る。春菜は明かりに誘われるように足を進めた。
「あ、そうかここは屋根がガラス張りになっているんだっけ」
空中庭園だ。見えることの有り難さにホッと胸をなで下ろす。暗闇に慣れた目には月明かりすら眩しく感じる。
(花が咲いていれば綺麗だったろうな)
月明かりに浮かび上がる白い花壇。そこに草花の一本も植えられてないないけれど、往時には心安らぐ場所だったに違いない。
(ここの手入れをしたいって言ったら、サレオスさんは許してくれるかな……。ダメだ、掃除をしなきゃいけない場所が沢山ある。とても手が回らないな。ん?光?)
廊下の先にぼんやりとした白い光が見えた。よく見ると人型のようであり、それが形を変えながらふわふわと浮遊しているように見る。
「!」
春菜は口から出そうになる悲鳴を咄嗟に手で抑え込む。
光りは春菜がいることに気が付いたのか、一瞬動きを止めるとこちらに向かって動き出した。




