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Scene 09:On that day.(The night) ―1. The first part.

夕暮れの森は暗い。

馬車の幌の中でわたしは独り膝を抱えている。


幌の中にも外にも、誰もいない。

やってこない後発隊を心配して、街に一人、二人と戻っていってしまったから。

わたしの身の安全はあまり心配されていないようで、不満といえば不満。


でも、ここで待っていれば使者がアルベールさまを連れてきてくれるという。

彼は立派な騎士だから、誰より信じられる恋人だから、きっと誰に守られるよりも安心なはず。


アルベールさまが、わたしと一緒に、あの国へ。


ため息が出てしまう。幸福ではなく、憂鬱のため息。

嬉しいのだけれど、故郷に帰っても一緒になれるかわからない。

わたしはもう、彼らの道具だろうから、きっと、結婚の自由なんてない。


あの国に帰ったらあのひとはどうなるのだろう。

わたしの騎士になるか、どこかの貴族に預けられるのか。

どちらにしたって、きっともう恋人とは呼べなくなってしまうのかしら。


嫌よ。嫌なのだけれど、止められないと思う。

でも、別れたくない。離ればなれになりたくない。

あなたが傍に居てくれないと、わたしは寂しくて、悲しくて、辛くて、何も出来ない。


憂鬱につま先を眺める。素敵な編み込みの靴は足に食い込んで痛い。

故郷で待っているのはこの靴のように締め付けられる体制。わたしはきっと悲鳴を上げてしまう。

故郷。その言葉で思い浮かべるのはあの国、カロリングではなくなっている事に気がつく。

いつからわたしの故郷は変わってしまったのだろう。


革命の時から?

―いいえ、あの日は故郷が壊されていくのが悲しかった。

尖塔のあの屈辱から?

―いいえ、あの夜はわたしが奪われるのが痛かった。

父母が死ぬ瞬間を目の当たりにしてから。

―いいえ、あの時は父母が悪人にされたのが悔しかった。

娼館に閉じ込められたときからかしら。

―いいえ、あれからわたしは別の女を演じていた。


きっと、あのひとに指輪を渡したとき。

遺言と共に身を委ねた昨日の晩。あの時にわたしは帰るべき故郷を失った。

秘密の垣根がなくなり、やっとただの男と女になれたのに。

これから二人で、わたしたちが帰るための故郷を作りたかったのに。


わたしは帰らなくてはならない。

身に余る地位に着くために、操られるために。


生成り色の絹に金糸で刺繍を施したドレス。

簡素だけれど気品のあるこの服をわたしが着ていいのだろうか。象徴とはいえ、女王足り得る品格を持っていないのに。

女王は簡単に情に流されてはいけない。

でも、わたしは王立派の人々の熱意とその裏の脅迫に押され、恋人の愛情と愛欲に流されるがまま。

彼を愛する事以外、何ひとつ自分の意思を持っていない。

そんな女が民を導くべき存在になんてなれない。

何よりも、生まれ故郷を捨ててしまった女は、傀儡でも女王になんてなってはいけない。


神様を恨んでしまう。

どうして、姫になど生まれてしまったのだろう。

どうして、父が守った国が滅んでしまったのだろう。

でなければ、こうして辛い思いに身を捩ることもないはずなのに。


「わたしは、普通の娘になりたいのです。」


叶わない願いほど、口に出すだけ辛い。

膝を引き寄せ、顔をうずめる。


「アルベールさま。」


去っていく彼の後姿が振り返る情景を想い、その名前を呼んだ。


 


ジュリエンヌに呼ばれたような気がして慌ててその姿を捜す。

しかし、逃げ惑う人波に揉まれ、体が思う方に向かない。阿鼻叫喚の巷に俺の声はかき消される。

皆、大通りの方から街の外へと駆ける。大通りから一際大きな火柱が立っているからだ。

しかし、街は今やぐるりと炎の壁に遮られているのがここからでも見える。

まるで、誰も逃れられない死の釜、地獄の底。

一縷の希望に賭け、人々は外に向かうのだろう。脱出する為に、生き延びる為に。

俺は流れに逆らう。

ジュリエンヌを捜し出さなければならない。


故郷は瞬く間に大火に包まれた。揶揄ではない。本当に瞬きをする度に火の手は増えた。

詰所に顔を出そうと移動している最中の出来事だった。

一気に仕事のことが頭から消え、最愛の名を呟いた。


一緒にいた義弟は止めた。行ってはいけない、と。


「行っては駄目だ、アルベール。」


碧い眼が心の内を見透かす。


「ここで行っては、二人は誰にも認められなくなる。お父さんからも、騎士団の仲間からも、僕からも。行ってはいけない。彼女の無事を信じて、務めを果たそう。」


認められない恋でもいい。


深い傷を残している過去を知り、やっと真に恋人と呼べるようになった。

俺の腕の中が幸せだと涙した、独りは嫌だと泣いた、愛しのジュリエンヌ。

この災いの中、彼女を見捨てるわけにはいかない。


義弟の、親友の言葉を振り切り、大火の方へ走り出す。


「・・・じゃあ、待ってます。必ず来てくださいね。なんだか、今日は心細くて。」


待っている、と言ったのだ。あの小さな部屋で。

先ずはそこに行ってみよう。もしかしたら、炎に阻まれ、脱出できずに居るかもしれない。


あってはならない事を考えずに居られない。

閉じ込められてしまってはいないか。

炎の壁を前に立ち往生してしまってはいないか。

何処かで大怪我をしているのではないか。

火傷を負って何処かに倒れてはいないか。

もしかしたら。もしかしたら・・・


路傍で蹲る人が視界に入る。きっと、生きてはいない。

皆、惨い火傷を負っていた。誰かはもう恋人にさえわからないだろう。

いや。彼女は生きている。少なくとも、俺がそう信じているうちは生きている。

最悪の事態から目を逸らした。


「ジュリエンヌ、何処だ、ジュリエンヌ。」


周囲の悲鳴に負けないよう、繰り返し絶叫する。彼女が応じる気配はない。

どうか無事でいてくれ。せめて生きていてくれ。


人を掻き分け進む。中には俺の仕事を知っているものが口早に罵倒していく。

今は仕事のことなど、知ったことではない。

たった一人の恋人を探す一人の男だ。彼女だけが心配なのだ。他の誰がどうなろうと、知るものか。


大通りに出でる。

住人は大方逃げ出した後らしい。人影もまばらで、死人の方が数が多い。

両脇の建物の列はその殆どが今にも崩れ落ちそうなくらいに燃え盛っている。


彼女の住む家は無事だろうか。

駆け出す。

つい数刻前の、平穏な街を思い浮かべながら、走る。


現実は解っている。だが、この目で確認しないことには納得できない。

もしもそこが駄目ならば、他に望みを賭けるしかない。

退路がふさがれる前に、見なければ。


急ごう。脚に更に力をこめて地を蹴る、その後ろで爆発音が轟く。

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