Scene 08:On that day.(The afternoon)
「聞いたか。」
「聞きました。」
昼前の居間。父は一人、ソファーに座り茶会をしている。俺は対面に座り、注がれる紅茶の流れを見つめた。
「どこまで行っても身分違いなのだ。あの方の血統に、敵うはずも似合うはずもない。」
昨日の言葉がよく分かった。
真実を知らされてもいない男では力不足。ましてや、たかが貴族が王族に手をつけるなど、許されざる行為だ。
確かに身分違いだ。
亡国の姫君と田舎の貴族では釣り合いの問題ではない。幾ら卑しい職に身を落とそうとも、触れてはいけない人なのだ。
だが、何になる。
恋に落ちてしまったのだ。甘く深い沼に二人で。
そこで、着ている服の値段が問題になるか。身に付けた宝石の輝きが見えるのか。
流れる血の貴賎を問うのか。沼に足を掬われた者達の命は等価ではないか。
そして、彼女が指輪の泥を拭って見せた所で変わらない。変わったのは、沼の名前が恋から愛になった事くらいだ。
右に黒髪の美しい、細身の女の影を見つめて告白する。
「それでも、私は彼女の大事なものを沢山もらってしまった。今更、放す事など出来ない。」
波々としたティーカップは一瞥で味わう。
「飽くまで添い遂げるというのか。ならば、こちらもそれ相応にしよう。何としても認める訳にはいかないからな。」
「何故ですか。確かジュリエンヌはカロリング王女だ。しかし、如何にやんごとなき身の上とは言え、国は最早ない。滅亡した王の血は父上が言われる程に価値があるとは私には思えません。」
終わったはずの身分違いがもどかしい。
「テレーズ殿下は優しいお心使いの出来る女性になられた。だが、それは仇にもなれば、つけいる隙にもなる。」
ため息を吐いて父は立ち上がり、窓の外、遠くを見つめる。方角は北。かつて、この国が従った王家の地は遥か彼方に。
「彼女は必ずカロリング共和国における政争の火種になる。お飾りでも王様が欲しい民はいくらでもいる。そう言った連中が、仇討ちをそそのかせばどうなる。亡き父母の為に立とう、祖国の地を踏みたい、そう思うだろう。だが、彼女が立った時、お前に何が出来る。戦場は議会だ。馬を駆り、剣を振るうのではない。弁を奮い、人心を駆り立てるのだ。政を疎んじ、武にしか打ちこまなかった他所の貴族は邪魔でしかない。」
的確な言葉に臍を噛む。その点に関しては、返す言葉がない。
「そして、恐らく彼女は既に立って居られる。」
思わず驚きの声が漏れた。父の言う推測は往々にして正しいのだ。
「だから、真実を黙っていたのだろう。言えばお前を巻き込む。だが、もう遅い。全てを聞いてしまったのならば選ぶしかない。彼女を諦めてこの地で生きるか、辛酸舐めるを覚悟で彼女と行くか。」
ジュリエンヌを諦めるくらいならば、自尊心など投げ打っていい。二人で居られるのならば、どんなに惨めな生活にも耐えてみせる。一人は嫌だと泣いた愛しい彼女の為に。
「俺は。」
「彼女と行くと言うのだろう。そうはいくものか。お前はこのアルデンヌ家の長男だ。継いでもらうぞ。」
「何故。父上がおっしゃる通り私は武しか才のない男。リュートの方が次期当主に向いています。あれは武も弁も立つ、頭もいい。」
同い年の義弟を引き合いに出すと一笑した。
「何故、嫡子が生きているのに妾腹に継がせる必要がある。半分は卑しい血を家族と認めこそすれ、この家をくれてやる気はない。」
血が逆流する。どうしてこの男はこうも絆と言うものに希薄なのだろうか。その半分は自分で蒔いた種だと言うのに、非情にも程があるではないか。親子であることを疑いたい。
「ふざけるな、その妾に狂ったのは貴方だ!母上の事を一度だって振り返った事があるのか、家名をもらい喜ぶ義弟妹の顔を見たことがあるのか。貴方の振る舞いに俺達は随分振り回されている。貴方の所為で誰も彼もが不幸だッ!。」
両手をつくと食器が跳ねた。顔が怒りで歪んだまま、父を睨み上げる。しかし、この程度で動じる男ではない。優雅に振り返り、背筋を伸ばした姿に付け入る隙はまるでなかった。
「だからどうした。全ては家のため。その程度の不幸がなんだというのだ。まずは貴族に生まれた事を幸福に思え。」
夕暮れの土を踏む。左手には手入れの行き届いた庭園、右は森が続き、後方の街を囲む。
庭園の一郭には墓場があり、歴代の墓石が並ぶ。母もそこで眠っている。月命日には必ず訪れ花を捧げているが、気持ちの整理をつけるためにもしばしば通う。花を慈しむ女性だったので、花は毎回かかさない。枯れた先日の花束を退けて、満開の物に換えた。
墓石を撫でる。アジズ・プナール・アルデンヌ、オクシデント暦1142-1170。
ジュリエンヌは母が俺を産んだ年の娘だ。彼女ほどではないが、母も波乱に生きた女だったという。
かつてのカロリング王国の植民地が自由を求めて蜂起した。
アルデンヌ領軍の健闘により制圧を果たした。
最も活躍したとされる騎士が褒美に族長の娘を要求したのだ。
そして、その娘は子を成したが、愛情は得られず、病に蝕まれて死んだ。
晩年の片言の呪詛をよく覚えている。
―あの人、わたしを奪ったのに、ちっともわたしを見ない。口惜しい。悪い女で病気すればいい。
―わたしはこんな国に来たくなかった。あの人のせい。わたしの人生、あの人のせいでボロボロ。
―アルベール。赦せないとき、悲しいとき、傷つけられるとき、あるでしょう。でも、泣かない。泣くの、降伏の印。怒る。怒らなくてはだめ。自分の願いが叶わなくなる。
暗い瞳で呪う母の姿は悲しかった。けれども、咎める事は出来ない。病床を訪ねもせず、外泊ばかりを繰り返す父が悪いことはわかっていた。
美しかった母は病気と内なる呪で濁ってしまった。あの青い瞳にはそれは似合わない。
愛情と優しさ輝く恋人を、妻として、いずれは母として美しいまま咲かせていたい。そのためには、降りかかり沸き上がる怒りや悲しみは俺が掬い取ろう。可憐な花には日向が似合う。日陰など見ない方が良い。
しかし、今、彼女は暗雲の只中にいる。雨に濡れ、風に傷つく姿を見たくはない。ならば、剣となり守ろう。鎧となり受けよう。時には、月光となり優しく照らそう。
私には武を持ち、自らの肉体を以ってでしか彼女を守る術が分かりません。けれど、母上。きっとあなたがご存命ならば、それもまた良し、と言って下さるのでしょうね。
「帰ってきてたら顔ぐらい見してよ。」
振り返ると四ヶ月下の義弟、リュートが下心のある笑顔で立っている。
「ああ、ただいま。」
「お帰り。二日連続でお楽しみだった様で何より。義兄さんも隅に置けないねー。」
「気持ちの悪い言い方は止めろ。」
彼とは気兼ねなく話せる間柄で、義兄弟と言うよりも親友に近い。普段は呼び捨てるのに、冗談を言うときは義弟らしく振舞うのだ。
リュートもまた墓に黙祷を捧げる。彼や他の義兄弟達を母が嫌い、一度も会った事がないはずだ。けれども、彼だけは進んで月命日には墓前に立つ。何か思うところがあるのかも知れない。
立ち上がり、二人並んで墓標を見つめる。山からの風が駆け抜けていく。
「気持ちは嬉しいけど、やっぱり家督はアルベールが継ぐべきだと、僕も思うよ。」
「聞いてたのか。」
「途中からね。」
「俺はお前のように頭が良くない。父ほどの人望もない。剣しかない。そんな男が当主になれば、この家は潰れる。」
決して、ジュリエンヌ欲しさの建前ではない。予てから考えていたのだ。自分は本当に当主たる男なのかと。
「そうかなあ。」
少々、楽観的な義弟だ。この柔和な顔の裏では幾つもの策があるのかも知れないが。
「そうさ。」
如何に武名名立たるとはいえ、本当に武だけではやっていけない。社交や政治もこなせなければならない。特にこの国は平和な時勢だ。剣よりペンの方が強いのだ。
しかし、俺は剣を選んでしまった。多感な時期と先の革命が重なった事も一つだろう。剣術大会で好成績を残し、遠征で成果を挙げた頃から疑問になり出した。剣だけでいいのか、武家の名を上げるだけでいいのか、と。だからと言って、何も学ばずにここまで来てしまったのだが。
再び風が吹く。少し強い風は落ち葉を巻き上げた。季節の割には北風の強い日だ。
「何もかも父の言う通りの人生が気に入らないだけかもしれんがな。」
「振り回されてるってこと。」
「ああ。」
わからないでもないけどね、と前置きした上で鋭い釘を刺す。
「でもそういう迷惑ならアルベールだってかけてるだろ。」
「ああ、すまない。」
仕事を放棄した事を言っているのだ。
「僕は別に構わないけどね。剣が恋人だったアルベールが相当入れ込んでるんだ。どんな人か、一度見てみたいよ。」
「何だ。お前、知らないのか。」
父譲りか、女好きで知られるリュートにしては予想外ではある。
彼はあまり品の良くない笑みで答えた。
「噂は聞いてる。でも、お父さんとは趣味が違うんだ。」
通う娼館の違いか。聞けば厭きれてしまう。
溜息一つで受け流し、真っ直ぐに見据える。同じ血が流れているとは思えないほどの優男だ。
「近い内に逢ってもらうつもりだ。彼女の事はお前にしか頼めない。」
女性の手は誰彼となく握るような男だが、他人の女には手を出さない。信頼できる男は彼ぐらいしか浮かばない。
「そんな事言われちゃうと、守ってあげるしかないねえ。」
白い歯を見せ爽やかに笑う。赤毛に碧眼の美青年の性格はどうやら母親似らしく、明るく人当たりが良いと誰からも好かれる。羨ましい限りだ。彼ならジュリエンヌとも良き友人になれるだろう。それ以上はないと思うが…大丈夫だろう、大丈夫、自信を持て。
教会の鐘が四回響く。あと一刻ほどで詰所の交替時間だ。もともと非番ではあったが、謝罪に赴く必要はある。
墓石に一礼をして踵を返し、屋敷へと向かって歩き出す。義弟が後からやってきて肩を並べて言った。
「今日はいやに北風が強いなあ。」
言うやいなや風が舞い、手中の枯れた花びらを浚い消えた。




