22. 人と龍と、その間
本当に、お久しぶりでございます!大変お待たせしました!!
『お前も、誇りを忘れてしまったのか』
長い長い時の中で――、と彼女は目を伏せた。
『・・・・・・そうではない。 このままここにいても、我々が行き着く先は見えているだろう』
私は彼女に背を向けながら、肩ごしに答える。
きっと彼女もわかっているのだ。
自らの死が迫っていることも。
だから、何も答えない。
答えられない。
数秒の沈黙が二者の間に流れる。
もう、これ以上話すことはない。
何も感じないわけではない。
しかし、それを伝えたところで何の意味もなさない。
私は、そのまま歩を進めた。
二度とここには戻らないのだろうと、空を仰いだ。
* * *
【なぜ、フィリアに会えないのだ】
人間の城に舞い降りた龍は、いらだっていた。
目の前には、灰の髪の青年。
望んだ少女はそこにはいなかった。
【お前は、しばらく待てと言った。 しかし、フィリアは戻ってこない。 なぜだ】
龍はその苛立ちを目の前の男にぶつけるしかなかった。
既に日は沈み、あたりは暗くなってきている。
「・・・・・・そうですね・・・。 もう夜になりますし、フィリア様もお部屋に戻られたのでしょう」
レンは、フィリアがこの場に戻ってこないだろうことは予想していた。
あの用心深い国王は、大事な娘を龍の元には戻したくないだろう。
しかし、このまま龍が中庭に居続けるわけにもいかない。
「龍神様、貴方様がこの城に住まわれるおつもりなら、どこか場所を考えなければなりません。 人間の目に触れやすい場所では、混乱を招きます」
【・・・その、コンランとやらがあると、フィリアが困るのだな?】
「その通りです、さすが龍神様」
レンの言葉に、龍の持つ金の瞳が細められた。
【お前はいちいち、嫌な臭いの言葉を吐く】
龍の言葉に驚き、レンはテオドバルトを見つめる。
【表情と私に伝えようとする意思とが一致してない。 その上、お前の言葉には私が正確に感じ取れない感情が紛れていて気持ちが悪い】
素直すぎるフィリアとばかり接していたからだろう、とても率直で心に刺さる言葉である。
「気持ちが悪いとまで言われるとは・・・。 執事というものは、まぁそういう仕事なのですよ」
王城に執事がいるというのはとても珍しい。第二王子付の執事、レン以外に王族で執事を連れている者はいない。
執事とはそもそも領地や邸を守る者。王族には必要とされない職務である。
レンはキリトの身の回りの世話をするとともに、フィリアを迎えに行ったように執務を手伝う側近でもある。
それを彼はあえて『執事』と名乗っている。
様々な情報を扱い、人を管轄せねばならない時もあるため、言葉と感情はできるだけ引き離さなければならない。それが龍の言う『気持ち悪さ』につながったのだろう。
さて、その後どうやって龍との会話を繋いだものかと思案していたレンは、その視界の端に、その場にそぐわない存在を認めた。
傍にいた龍もまた、レンが居住まいを正したことに気づき、その視線の先を追う。
5人の騎士に囲まれ、頭上に王冠を輝かせながら、壮年の男が近づいてくる。
「・・・国王陛下・・・」
レンにとっては見まごう事なき、この国の王の姿である。
龍に向かいまっすぐに向かってくる王の邪魔にならぬよう、レンは身を引き、脇に控えることにした。
【・・・王? 国の主、か?】
龍はレンの言葉から、先ほどまでの会話で上がっていた国の主というのがこの男であると特定する。
頭に響く龍の声に、王は目を見張り、足を止めた。
そして、その場で深く腰を折り、龍に礼の姿勢をとった。 周囲の騎士たちも膝をつき、頭を垂れた。
「その通りでございます。 クラデリシアを統治している、フリードリヒと申します。 フィリアの父でございます」
国王フリードリヒは、少しだけ目線を上げ、龍を見つめた。
「少々、お話しをいたしたく、参りました」
国王の側に控えている騎士たちは、よく見れば青い顔をしているものや震えているものもいる。 平和なこの地で暮らしてきたのだ、自らの守るべき国王が巨大な龍と対峙しているのだから、恐怖からは逃れられないだろう。
レンは騎士たちを同情的に見やり、しかし黙って事の成り行きを見守ることにした。
国王は何か考えがあってこの場に来たのだろう、フィリアの代わりに。
ならば、王族たちがこの困った龍にどのように対応するのかが問われるのであって、レンが干渉するべきではない。
【話? 私は構わないが、フィリアはどこにいる? なぜここに来ない】
「本日はもう夜も深まってまいりますため、自室に控えております。 また明日、龍神様の元に遣わしましょう」
龍は一つ、不服そうに息をついた。
【・・・明日、か・・・。 人間は弱いからな、確かに夜に出歩くのは危ない。 で、話というのは?】
「龍神様がこちらにいらした真意を、お聞きしたく」
【真意も何も、フィリアに会いに来たのだ。 フィリア本人にも、兄とやらにもレンにも伝えたはず】
「・・・本当に、娘に会いに来ただけなのですか? 他に目的はないと仰るのですか?」
【その通りだ。 どうやら人間たちに戸惑いを与えてしまったらしい、ということは先ほど教わった】
ちらり、とレンを見やる。 レンはにっこりとほほ笑んでその恨みがましそうな視線を受けた。
「なるほど、・・・では、龍神様はフィリアに、友人のような存在を望んでいるのしょうか?」
【・・・ユウジン、というのは私にはよくわからない。 ただ、あそこで一人で過ごすより、フィリアといた方が楽しいだろうと思ったのだ】
「・・・そう、ですか」
アルステリア山のある方向を見上げる龍とは対照的に、国王は視線を落とし、何か思案しているような表情になった。
「では、少し話題を変えて・・・、あぁ、そうでした龍神様のお名前をお伺いしていなかった」
我が国の歴史には、名のある龍神様が幾度も登場しますので―― と国王は付け加えた。
【名・・・テオドバルト、とフィリアに名づけられた】
「なんと、フィリアが!? それまでは御名前をお持ちではなかったと?」
【そうだ。 龍は山で私一人、名前は意味をなさなかった。】
「恐れながら、我が娘がお付けした名で、龍神様は納得しているのでしょうか」
【・・・特に不服はない。 人間が、私に名がなくて困るのであれば、そう呼んでくれればいいと思っている】
国王は頭を下げ、畏まりました、と承諾する。
一国の王が、ここまで謙るのはかつてないことである。
レンは傍に控えながらも、普段見ることのない面白い光景を観察し続けていた。
「では、・・・テオドバルト様。 しばらくこちらにお住まいになるおつもりだと、愚息から聞いたのですが、それは御間違いないでしょうか?」
【息子・・・あぁ、あの黒髪の、フィリアの兄とやらか。 間違いはない。 フィリアがこの城とやらに棲んでいるのならば、私もここに留まろうと思う】
「アルステリアには、お戻りにならないのでしょうか?」
【たまには戻ることもあるだろうな。 人間の食事が口に合わなければ、食事のためにしばしば山に戻るだろう】
「ほう、お食事・・・。 龍神様の御口に合いますよう、最高級の料理をお持ちするつもりです。 何かお好きなもの、お嫌いなものでもありましたら、お伺いしましょう」
国王の言葉に、龍が一瞬動きを止める。
【・・・・・・・・・・】
「・・・?」
(・・・っく)
龍の嗜好を知るレンは、その場で噴き出して笑いそうになるのをこらえることに必死だった。
人間の感覚から遠いところに身を置く龍であっても、肉が嫌いだという見かけにあるまじき拍子抜けの情報はあまり言いたくないらしい。
獲物を捕らえて逃がさないためにあるかのような、ギラギラと輝く金の瞳も。
まるで動物を丸のみし噛み砕くためにあるような、大きな口と牙も。
この龍は、木の実や草花を食むためにしか使わない、使えないのだ。
先日垣間見た龍の滑稽とも言えるほど似つかわしくない食事シーンを思い出し、ついにレンは手で口を押え顔を背けた。
音を立てなかったのが幸いだと言える。 しかし肩の震えは抑えることはできなかった。
その場で笑い転げてしまいたいのを必死に耐えるレンを、国王は怪訝そうな顔でちらりと見た。
【・・・・・・・・・私は】
レンの様子に何事かと国王が尋ねる前に、龍の言葉がその頭に響いた。
【・・・・・私は。 ・・・肉が、嫌いだ・・・】
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
【・・・・・・・・】
その場の人間が。
え?
とは言葉に出せなかった。
「・・・・・・・・」
【・・・・・・・・、野菜が、好きだ】
「・・・・・・・・」
「・・・・・・っ」
ついにレンが吹き出し、一人静かに笑っていた。 ずいぶん耐えていたせいで、顔が赤らんでいる。
国王以下騎士たちも、執事の不敬な行為を咎めるまで思考が追い付かず、気まずそうな雰囲気を出す龍と笑いをこらえようとしてこらえきれていない執事を呆然と見るしかできなかった。
* * *
「・・・つまり、肉が嫌いだから、フィリアを生贄として受け入れなかったと?」
【そうだ】
「はぁ・・・。 では、・・・えー、・・・、そうですね、テオドバルト様の御食事は、野菜等をメインにご用意させていただきます・・・。」
【あぁ、助かる。 頼んだ】
放心状態からようやく解放された国王は、こちらもようやく笑いのツボから解放されたレンから、フィリアが暴走した一日の概要を聞かされた。
フィリアが生贄として向かいながらも、ほぼ無傷で戻ってこれた理由。
なんとも珍しい龍がいたものだ、とまじまじと見入ってしまう。
これほど強暴そうな体躯を持っているのに・・・。
まぁしかし、本人(本龍?)も気にしているようなので、これ以上その話題に触れるのはよくないだろう。
そう判断した国王は、また別の話題を振ることにした。
「テオドバルト様、お休みはこちらの中庭の方がよろしいのでしょうか? どこかお部屋を用意しましょうか?」
【部屋? 先ほどそこのレンとやらも何かそんなことを言っていたな】
「えぇ。 僭越ながら、このような人の眼に触れやすい中庭に常にいらっしゃるのは、龍神様にとっても、城内で働く者たちにとっても落ち着かないでしょう」
黙って頭を下げたままの騎士たちを見やる。
どことなく気まずそうに彼らは目を伏せた。 どうやら先ほどの会話で、少し緊張は解れたようだった。
「御身を城内の奥に移されるというのはいかがでしょう?」
【私はフィリアが近くにいるならば、どこであろうと構わない。 ただ、城とやらの中にはこの体では入れないだろう】
龍は、国王がやってきた中庭と城との境目を眺めた。
小さすぎる。
龍が移動すれば、柱が2、3本は折れ、天井は崩れて降り注ぎ、また東塔の惨状を再現することとなるだろう。
「・・・龍神様ほどの魔力をお持ちであれば、人の形になることができるのでは? そうでなくとも、転移魔法を使わせていただければ、ご案内はできましょう」
レンは結構前から思っていたことをようやく口に出した。
そう、龍が人の形をとることさえできれば、塔は壊れることもなく、ここまで大騒ぎになることもなく、隠匿することも可能だったかもしれないのだ。
しかし龍が人と接触したのはほんの数日前のフィリアが最初。 もしかしたら人の形にはなれないのかもしれない。
そう思いそれまで言葉に出せなかったが、これからこの城に居続けようというのならば話は変わってくる。
人の形がとれた方が断然動きやすい。 龍のままでいるために発生する修繕費もだいぶ減るだろう。
レンはこれ以上、キリトの心労を増やしたくないと思った。 なぜって、最近あまりに不憫だからである。
【人の形・・・。 一度試したことはあるが、あまりうまくいかなかった。 城の中には入れるようになるだろうが・・・】
そう呟きながら、龍は目を閉じ、一瞬集中した。
温かい風がその場に巻き上がり、龍の体躯が淡く輝いた。
その場にいた者たちが何事かと目を瞬いた瞬間、龍の姿が炎として燃え上がった。
その炎は一瞬で消えたが、龍の姿はその場から消えていた。
代わりに佇むのは、赤い不揃いの髪と、金の瞳を持つ精悍な青年
・・・・・・のような、なにか別の生き物だった。
【このように、不完全にしか姿を変えることができん。 人間という生き物がどういう姿なのか、よくわからんのでな】
彼の下半身は龍の鱗と爪、尾がそのまま存在していた。人間らしいのは、顔から首、そして両腕くらいであった。
あぁ、なるほど、と龍の姿になんとなくレンは納得した。
龍が会ったのはフィリアという、人間の女が最初。
その後レン、この城に降りてからキリトや国王、人間の男に会った。
・・・しかし、当然のことながら、人間は服を着ている。
隠された姿を龍には想像できなかったのだろう。
いや、まぁ、この場で完全に人間の男の姿を再現してくれても、龍は服を着ていないので少々目のやり場やらモラル的に困るものがあるのだが。
「・・・そう、ですね、今はその御姿でも十分です。 その御姿を一日中とっていることは可能なのでしょうか?」
完全な人間の姿をマスターする前に、人間の世界のルールやら法律やら慣習やら、知ってもらわなければならないことがある。
それは追々ご希望とあらば叩き込むとして、今度は持続力が重要になってくる。
城の中でいきなり龍の姿に戻られては、たまったものではない。
【やってみたことはないが、不可能ではないだろう。 そこまで疲れるものではない】
「なるほど、ではその御姿でこちらでお過ごしになるというのはいかがでしょう?」
【そうだな・・・、私としても人間をあまり困惑させるのも本意ではない。 この姿で不都合がないなら、このまま過ごそう】
「そうしていただければ、大変ありがたいです」
恭しく、レンは龍に頭を下げた。
【・・・しかし、この姿はなんだか変ではないか? フィリアに滑稽だと思われたくはない・・・】
「・・・・・・」
国王は、なにか妙な違和感を感じ、何も答えずにいたが、その問いかけにレンが代わりに答える。
「大丈夫ですよ。 龍神様がより人に近い姿になることができたなら、フィリア様ともより仲良くお話しができると思います」
【・・・そうか、仲良く、か。 フィリアは人に囲まれて過ごしてきたのだからな、人の姿の方が近しく思うかもしれないな】
「龍神様はご聡明でいらっしゃる。 もしよろしければ、私が『人』というものをお教えいたしましょう。 知れば姿を真似ることなど、貴方様には容易いはず」
レンの申し出に、ふむ、と龍は肯く。
【ならば、頼むかもしれん。 考えておこう】
「畏まりました」
龍と執事の応酬に、国王は目を細めた。
レンもその国王に気づき、にこりと微笑んだ。
きっとこの男は、自分が何を考えているのか、これから龍がどう動くのかを見極めようとしているのだろう。
レンが国王に開示した情報はまだ少ない。 これまでの会話に埋められた情報を、曇りなく受け取ることができなかったのだろう。
また後程お話ししますよ、という意味を込めた微笑み。 これまで何度か使ってきた表情だ、国王にも意味は伝わるだろう。
どこか不服そうな表情を一瞬で隠し、国王は龍に言った。
「では、テオドバルト様。 あとはこのレンにご案内させましょう。 私はそろそろ、失礼させていただきます」
もうずいぶん夜が更けてきた。
王が知りたいと思っていた情報は十分手に入れ、またレンはそれ以上に何か知っているだろうこともわかった。
明日またレンから話を聞くことになるだろう。
フィリアを龍の元に遣わすのは不安だが、ここまで来たら覚悟を決めるしかない。
「明日、テオドバルト様の元に必ずフィリアを遣わしましょう。 それでは、おやすみなさいませ」
【あぁ、わかった】
国王は一礼して、ようやく立ち上がることを許された騎士たちを引き連れ城の奥へ戻っていった。
「・・・では、龍神様。 お部屋へご案内いたしましょう」
レンは不完全な姿の龍を引き連れ、とある部屋へ目指していった。
ようやくごたごたが終わって、フィリアとテオドバルトが同じ城で生活することになりました。




