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原作で負けて壊れるはずのヒロインが、モブの俺に依存してきた  作者: 東海林


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1話

自分が小説の世界に転生したのだと気づいたのは、物語が始まる少し前のことだった。


最初は、ただの既視感だと思っていた。


見覚えのある校舎。

見覚えのある制服。

そして、教室の窓際で笑っている少女。


冬月澪。


その名前を聞いた瞬間、頭の中に前世で読んでいた小説の内容が一気に蘇った。


人気学園ラブコメ小説、『君と描く青春の色』。


俺が高校生の頃に読んでいた作品だ。

主人公は天音悠真。


明るくて、誰にでも優しくて、困っている人間を放っておけない。


そして、ヒロインは複数人。


幼馴染の皇千景。

後輩の柊栞。

生徒会長の久遠寺紗那。


その中でも特に人気が高かったのが、冬月澪だった。

学園一の美少女。


成績優秀、誰にでも優しい。

完璧で、落ち着いていて、少し大人びている。


読者からの人気も凄かった。

俺も、彼女が一番好きだった。

だからこそ、最終巻を読み終わった時、納得できなかった。


悠真が最後に選んだのは、朝霞ひより。

明るくて、天然で、人懐っこい。

いわゆる王道のメインヒロインだった。

悠真とひよりが結ばれた後、澪は笑顔で二人を祝福する。


『おめでとうございます』


そう言ってそして、その後。

澪は壊れていく。

最初は不眠、次に食欲がなくなり、学校を休むようになり、やがて悠真への執着だけを残していく。


最終的には、読者の間でも賛否両論になるほどの結末だった。

俺は、その展開が嫌いだった。

いや。正確には、納得できなかった。


だって、あまりにも救われていなかったから。

そんな物語の世界に、俺は転生した。

しかも、九條蓮司という名前のモブとして。


原作に名前は出てこない。

台詞もない設定資料集を探しても載っていない。


本当に、ただのクラスメイト。

だから俺は、関わらないつもりだった。

原作の物語を変えるつもりはない。


そもそも、俺にはそんな余裕もなかった。


「……あと一年、ですか」


転生したことを自覚してから、俺はすぐに病院へ行った。

前世の記憶が戻っただけで、体そのものはこの世界の九條蓮司のものだった。


そして、医者から告げられた。

俺の心臓は、もう長くは持たない、長くて一年。


それ以上生きられる可能性は、かなり低い


もちろん、転生したことは言っていない。

言えるわけがない、ただ、自分が長く生きられないことだけは知っている。

だから、原作に関わるつもりはなかった。


どうせ一年後には死ぬ。

なら、物語を変える必要なんてない。

そう思っていた。


――その日までは。



放課後。


窓の外では、雨が降っていた。

六月の雨は、音だけがやけに大きい。

俺は教室を出るのが少し遅れた。


忘れ物を取りに戻っただけだった。

そして、廊下の角を曲がったところで、足を止めた。


「……天音くん」


聞き覚えのある声。

冬月澪だった。


彼女の向かいには、天音悠真。

原作の主人公。

そして、少し離れた場所には朝霞ひよりがいた。


その時点で、俺は理解した。

――原作の告白イベントだ。


確か、こんな場面だった。

悠真がひよりに告白する。

ひよりが泣きながらそれを受け入れる。

そして、偶然そこにいた澪が二人を祝福する。


小説では、澪はその場面を見ていなかった。

後から二人が付き合い始めたことを知る。

でも現実では違った。


「俺、朝霞のことが好きだ」


悠真が言った。

ひよりが目を見開く。

数秒の沈黙。

そして。


「……はい」


ひよりが泣きながら笑った。

悠真も笑った、二人の間に、明るい空気が流れる。

俺は、見てはいけないものを見た気がした。


そして。


「……おめでとうございます」


澪が言った。

いつもの笑顔だった、完璧な笑顔。

誰が見ても、心から祝福しているように見える。


「冬月……」


「本当に、おめでとうございます」


澪は笑っていた。

俺は知っている。

その笑顔の先に何が待っているのか。

不眠、拒食、不登校、壊れていく。

俺はその場から離れた。

関わるつもりはなかった。


これは原作の物語だ。

俺はモブだ。

余計なことをする必要はない。

そう思った。



校門を出る。

雨が降っていた。

傘を開く。


少し歩いたところで、ふと足を止める。

背後から、誰かが歩いてくる音がした。

振り返る、冬月澪だった。

傘を持っていない。


彼女は俺に気づくと、いつものように笑った。


「九條くん」


「……冬月」


「今、帰りですか?」


「そうだけど」


「そうですか」


澪は笑っていた。

でも、近くで見ると分かる。


目元が少し赤い。

声が少し震えている。

それでも、彼女は笑っている。


「傘、持ってないのか?」


「……はい。朝は降っていなかったので」


俺は自分の傘を見る。

折り畳み傘、少し小さい。

そして、俺の鞄の中には傘はこれ一本しかない。


でも。


「じゃあ、これ使えよ」


俺は傘を差し出した。


「え?」


「俺は大丈夫だから」


「でも、九條くんは?」


「俺は折り畳みがある」


嘘だった、一本しかない。

だけど、別にいい俺はあと一年しか生きられない。


このくらいの雨に濡れたところで、どうということはない。


「……本当に?」


「ああ」


澪は傘を受け取った。

それから、少し困ったように俺を見る。


「でも……九條くんが濡れてしまいます」


「気にするなって」


「でも」


「冬月」


俺は少しだけ笑った。


「今日は、ちゃんと傘を使え」


澪は黙った。

その顔から、笑顔が消えた。


ほんの一瞬だけ完璧な冬月澪ではない顔。

泣きそうな顔。

何かを言おうとして、でも言えない顔。


「……ありがとうございます」


小さな声だった。


「別に」


「九條くんは、優しいんですね」


「そうでもない」


俺はそう言って、雨の中を歩き出した。

背中に、澪の視線を感じる。


振り返らなかった。

関わるつもりはなかった。

原作を変えるつもりもなかった。

ただ、傘を貸しただけだ。


それだけ――そのはずだった。

家に着く頃には、制服はすっかり濡れていた。


寒い、少しだけ、胸が苦しい。


「……やっぱり、傘一本しかなかったんだよな」


自分で呟いて、笑う。

馬鹿みたいだ。


俺はそのまま風呂に入り、早めに眠ることにした。

明日も学校がある。

そして。



翌朝。


「……ん?」


目を覚ました瞬間、身体が重いことに気づいた。

喉が痛い、頭が熱い。

嫌な予感がした。

体温計を見る。


「……三十八度二分」


昨日、雨に濡れたせいだろうか。

俺は布団の中でため息を吐いた。


その頃、冬月澪は、昨日借りた傘を大切そうに抱えながら、学校へ向かっていた。

そして、教室に着いてから。


「……あれ?」


九條蓮司の席が、空いていることに気づく。

なぜか胸の奥が、少しだけざわついた。


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