6話: 『吉良殿、絶対切腹しないで仕返ししてやる!』
【第一章 6話】(:風雅なる生類落とし穴と、ハッキングの真相)
「……アチラの動向を、ソソソ(探索)してまいります」
吉良邸のお掃除奉公人にして公儀御庭番の班長・ソソソの尾三次が、お隣の脇坂淡路守の屋敷での「出稼ぎ掃除」を終え、いつものように目にも留まらぬ高速ステップを踏みながら吉良邸の庭へと戻ってきた、まさにその翌朝のこと。
前夜、大石内蔵助のトリセツを絶妙に無視した赤穂土木集団の猛烈な突貫工事により、脇坂邸の納屋から伸びた地下トンネルは、吉良邸の庭のド真ん中へと到達していた。
実はこの工事、お隣の脇坂淡路守殿はすべてを裏で知り尽くしていたのだが、吉良側から不審な物音がすると苦情が来ても「……あ? 風の音じゃろう。それより庭のツツジが見事じゃて」と完璧な知らんぷりを決め込んでいたのである。そればかりか、脇坂殿の従兄弟までが「納屋の改修の手伝いじゃ」と称して職人姿で赤穂の穴掘り作業にしれっと混ざるという、あまりにも手厚い合法インフラの連動が敷かれていた。
そのおかげで地上には、草木で完璧に偽装された、見事な「落とし穴」が完成していたのである。
――ソソソ……。
――ソソソ……。
「これぞ隠密のステップ……我が寄せに、掃けぬ塵芥などなし……ソソソ、うおっとォ!?」
己の華麗なるステップに完全に酔い痴れていた尾三次が、偽装された地面を思いきり踏み抜いた。
そのまま吸い込まれるように、スッポリと落とし穴の底へと垂直落下していく。
ズドン!!
「お、尾三次!? 大大丈夫か!?」
物見櫓からその様子を見ていた清水一学が、慌てて穴の近くへと駆け寄った。
「何をしておる、すぐに這い上がってこい!」
「い、一学殿……動けませぬ……一歩も、一ミリも動けませぬ……! カエルを踏んだら改易、動いても改易でござるゥゥゥ!」
穴の底から聞こえてきたのは、いつもの余裕を完全に失った、尾三次のガタガタと震える声であった。
一学が恐る恐る穴の底を覗き込むと、そこには異様な光景が広がっていた。
落とし穴の底一面に、どこから集めてきたのか、丸々と太った「カエルやコオロギ数百匹」が、傷一つない元気な姿で、隙間なくぎっしりと敷き詰められていたのである。
「うわあああ! 動いたら生類を潰してしまう! 踏んだら即座に改易、動いても全員切腹でござるゥゥゥ!」
尾三次は、カエルの大群の真ん中で、右足を浮かせ、竹箒を天に突き上げた奇妙な姿勢のまま、冷や汗を滝のように流してピキリと完全に凝固していた。
これぞ、生類憐れみの令を逆手に取った、最強の身動き封じであった。
「おのれ、誰の仕業だ! ネズミの次に、今度はカエルとコオロギだと!? 一体、誰が何を企んでおるのだ……!」
一学は必死にダンボの耳をそばだて、隣の敷地からの音を拾おうとした。しかし、あまりにもバカバカしすぎる生類落とし穴の光景に、またしても脳の処理が完全に停止してしまう。
「……はぁ~~~~~。もう、本当に何が何だか、さっぱり分からん!」
本所松坂町の空に、一学の切実なる困惑がこだまする。
吉良邸の面々が、ネズミの接待や、穴の底の生類を傷つけずに尾三次を救出する大作戦でてんやわんやの大騒ぎをしている、まさにその瞬間。
脇坂邸の生垣の陰で、上質な羽織をまとった優雅なる男――浅野内匠頭長矩は静かに数珠を繰りながら、勝利の微笑を浮かべていた。もちろん、吉良側にはその正体が浅野内匠頭であることなど、一ミリもバレてはいない。
「……フッ、全面勝利にございますな、源五右衛門」
「はっ。殿のお見立て通り、完璧にマッピングが完了いたしました」
片岡源五右衛門が恭しく差し出したのは、一枚の極秘の図面――それは、吉良邸の完全なる『内部構造図』であった。
そうなのだ。これこそが、内匠頭の「真の狙い」であった。
トビネズミ百匹の騒ぎ、地下トンネル掘削の振動、そして生類落とし穴による大ドタバタ。吉良邸がそれらの嫌がらせに対してどのように動き、清水一学がどのような声で、どこに向かって防衛の指示を出したのか。
内匠頭は、そのすべての「音と振動」を脇坂邸の納屋から冷徹に計測し、吉良邸の警備配置のクセや、有事の際の「隠れ部屋(炭小屋)」の正確な場所を、完全にハッキング(逆探知)していたのである。
単なる嫌がらせに見せかけた、高度な情報戦。
吉良邸のすべてを合法的に丸裸にした内匠頭は、上質な羽織の泥を払うように、雅にその場を立ち去るのだった。
【今宵の一句】
カラクリの 煙の果てに 猫躍る
【あっちゅ寝太郎エッセイ】
(吉良殿、甲賀の秘術が煙となって消え、ネコタン忍群がウキウキと踊り、ついにはお庭番までカエルの上で固まる始末。これぞ雅。お前たちの平穏な日常の構造は、すでにこの私の手の平の上にございます。せいぜい誰が仕組んだか分からぬ恐怖の檻の中で、ガタガタと震え続けるがいいよ)




