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2話: 『吉良殿、絶対切腹しないで仕返ししてやる!』

刀を抜かない忠臣蔵です。

合法的な嫌がらせだけで、吉良邸を精神崩壊に追い込みます。

大目付は「ほほう」しか言いません。

御庭番は重要情報を漏らしますが誰も聞いていません。

謀略探偵は何でも「綱一坊一派の陰謀」と言います。

笑えます。たまに泣けます。最後は春が来ます。

全話予約投稿済み、毎日更新中。

十二章 師走

第二話 柳沢吉保、失脚・隠居

一、登城、最後の一日

綱吉様が身罷ってから、ひと月と経たぬうちに、柳沢吉保への容赦のない沙汰が下った。大老格としての地位を退き、長年住み慣れた華美な屋敷を引き払い、すぐさま本拠へ戻るべし——。

表向きはねぎらいを込めた穏やかな言葉で綴られていたが、その意味するところが「完全なる失脚」であることは、誰の目にも明らかであった。

最後の登城の日、柳沢はいつもと変わらぬ見事な装束に身を包み、背筋を伸ばし、いつもと変わらぬ落ち着いた足取りで城内の広大な廊下を歩いた。だが、すれ違う者たちの態度は、もはやこれまでとはまるで違っていた。

二、すれ違う者たち

「柳沢様、ご機嫌うるわしゅう。本日の御用向きは……」

かつてのように、媚びを売るような声で群がってくる者は、もう一人もいなかった。昨日まで柳沢の前に這いつくばり、頭を下げ続けていた役人たちは、彼が近づくと目に見えて歩みを早め、視線を不自然に逸らしながら、形ばかりの軽い会釈をして足早に通り過ぎていく。廊下に響くのは、ただ柳沢自身の足音だけであった。

「ほほう」

その中で、大目付の金目鯛だけが、いつもと変わらぬ間の抜けた相槌を低く残しながら、これもまた軽く頭を下げただけで、すれ違っていった。しかし、その丸い目の奥にある「ほほう」には、これまでにない、どこか乾いた、時代の終わりを告げるような冷たい響きがあった。

三、ソソソと盲之助、気づかぬまま

廊下の隅では、お掃除御庭番のソソソの班長が、いつもと変わらずのんきな様子で大きな箒を手にしていた。

「いやはや、本日はえらく人通りが多いことで。年末の煤払いには、ちと早うございますな。ソソソのソ」

すれ違う柳沢の苦渋に満ちた顔など、ろくに見もしない。彼自身が長年、誰の指示によってこの持ち場に配されていた身であるかなど、当の本人すら忘れて久しかった。

その少し先では、豪文字盲之助が虫眼鏡を片手に、床の隙間を熱心に観察していた。

「綱一坊一派、近頃また何やら不穏な動き……。この塵の積もり方、ただ事ではないぞ……」

柳沢は、歩みを止めず、その二人の姿を一瞬だけ冷めた目で見やった。自分がかつて権勢の絶頂にあった頃、この男を、あの男を、それぞれの駒として持ち場へ配したことなど、もはや誰も知らない。知る必要もない。すべては、もう冷たい風の中に消え去った過去のことであった。

四、下城、誰も見送らず

重々しい城門をくぐる柳沢の背中を、見送る者は城内に一人もいなかった。振り返れば、ただ冬のどんよりとした空が城の屋根にのしかかっている。これまで幾度となく、自らが他の誰かをこうして失脚のたびに見送ってきたことを、彼は思い出していた。順番が、ただ自分に巡ってきただけのことであった。

五、家移りの日

数日後、広大な柳沢邸では、あわただしく家移りの支度が進められていた。かつて栄華の象徴として誇っていた高価な調度品の数々が、次々と荷車に積み込まれ、運び出されていく。

ガランと広くなっていく屋敷の畳の上で、それらを冷徹に取り仕切るのは、公儀の目として立ち会う大目付・金目鯛煮付之助であった。

「目録に従い、一つずつ確認させていただきます」

その声には、一切の私情が混じらない、恐ろしいほど事務的な響きがあった。

六、金目鯛、目録を読む

「こちらの豪奢な屏風、これほどの私財は公儀の規定を超えております。もう不要でございましょう。没収」

金目鯛が筆で目録に墨を入れると、きらびやかな屏風が容赦なく運び出される。柳沢は、未練もないようにただ静かに頷いた。

「次、こちらの文机も、規定により不要かと」

柳沢が日々、数々の差配を書き込んできた愛用の文机が運ばれる。柳沢は、その様子に喉を詰まらせ、少し言葉に詰まりながらも、結局は何も言わずにそれを見送った。

七、茶碗、最後の没収

「では最後に……こちらの茶碗も、規定により」

金目鯛がその手にしたのは、亡き上様(綱吉様)より生前、その忠勤を称えられて直々に賜った、柳沢にとって何よりも思い出深い一品であった。

それまで無表情を貫いていた柳沢の顔色が、初めて激しく変わった。

「いや……それだけは。それだけは、勘弁を……!」

思わず手を伸ばし、声を裏返して訴える。しかし、金目鯛は表情一つ変えない。

「規定にございますので」

「規定、規定と申すが……これだけは、上様より直々に賜った、儂の命にも代えがたい品。これを取り上げるとは、あんまりではないか……!」

その声は、情けなく震えていた。これまでどんな修羅場でも、どんな陰謀の渦中でも決して揺るがなかった冷徹な男が、たった一つの茶碗を前にして、初めて子供のように剥き出しの本音をさらけ出していた。

しかし、金目鯛はその涙ながらの訴えにも、ピクリとも眉を動かさなかった。

「ほほう」

ただそれだけ呟くと、茶碗を愛おしむ様子もなく、静かに自分の懐の奥へとしまい込んだ。そこには怒りもなければ、哀れみや同情もなかった。ただ、職務を淡々とこなすだけの、新しい時代の冷徹さがあった。

八、本拠地への道

屋敷を追い出され、江戸を発つ柳沢の行列に付き従う供は、数えるほどしか残っていなかった。かつて大名たちを従えて練り歩いた、あの目も眩むような華やかな行列が、まるで遠い夢のようであった。

柳沢は、がたがたと小さく揺れる駕籠の中で、窓の外を寂しげに眺めていた。

かつて上杉へと去っていった色部が辿ったのと同じ、寒々しい街道の景色を、今は自分がなぞるように辿っている。だが、あの時色部を見送った自分と、すべてを失って追われるように去る今の自分とでは、その心持ちは、まるで違っていた。

九、独白

「儂は……何のために、ここまで……」

薄暗い駕籠の中で、ぽつりと問いかけてみても、答えてくれる者は誰もいない。ただ、ひゅうひゅうと吹きすさぶ冷たい冬の風の音だけが、駕籠の外を虚しく通り過ぎていくだけであった。

十、結び

師走の灰色の空の下、柳沢吉保を乗せた寂しい駕籠は、静かに江戸の境界を後にした。その報せは、本所でも、鉄砲洲でも、大きな騒ぎになることもなく、ただ淡々と、当然の出来事として受け止められた。

誰にも惜しまれることなく、一つの大きな時代が、音もなく静かに終わっていた。

今宵の一句

権勢の 果てに残らぬ 茶碗かな

あっちゅ寝太郎殿、どうだい!

原文をまったく損なわずに、役人たちの冷たい空気感や、思い出の茶碗を奪われる柳沢様の悲痛な叫び、そして金目鯛の冷徹な「ほほう」のコントラストをじっくりと書き足したよ。

これで、ソソソくんたちの呑気さと、柳沢様の孤独な失脚というコメディとシリアスのバランスが、さらに絶妙に引き締まったんじゃないかねぇ。

史実をよくご存じの方であれば、吉良殿の屋敷の隣は本来、土屋主水正殿の屋敷ではないかと思われるかもしれません。

ですが、本作では作者の好みにより、あえて脇坂安治の末裔である「脇坂淡路守」殿の屋敷を隣に据えさせていただきました。ちなみにこの脇坂家、途中で養子が入って家名を繋いでいるお家柄でもあります。

なぜ脇坂殿なのかといえば、あの松の廊下の事件直後、取り乱した吉良殿にぶつかられて衣類に血を付けられた脇坂殿が、「無礼者ッ!」と吉良殿をピシャリとやったという、講談でお馴染みのあの小気味よい逸話がどうしても好きだからです。このお方なら、内匠頭の仕返しを隣でニヤニヤしながら面白がってくれるに違いないと、物語の妙としてお引越し願いました。

ちなみに、そんな風にいがみ合っていた両家も、現代ではすっかり仲直りをして和解しております。歴史の枠をちょっとだけ飛び越えた、脇坂殿の粋な立ち回りを、どうぞ温かい目でお楽しみいただければ幸いです。

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