閑話 不倶戴天
光秀は『自分が歴史を変えられる可能性がある』事を知った。
それで真っ先に考えたのが織田信長が10年間以上悩まされ続けるはずの一向一揆『石山合戦』の回避だ。
受験時代に暗記した事で詳しい年号がわからない。
わかったところで今が西暦で何年なのか、宣教師経由で知れるかもだが、確実な話ではない。
何にしても、もう少し詳しい事がわからないと手の打ちようがない。
記憶は定かではないが『石山合戦』のリーダーは『本願寺顕如』のはず、コイツについて調べよう。
そうすれば自分のいる陣営が、大きな一向一揆に巻き込まれる事もないはずだ。
・・・と明智光秀は考えた。
読み違えたのだ。
本来の『石山合戦』は『信長包囲網』の一環だ。
一向衆だけでなく、浅井・朝倉・武田・上杉・毛利も参加している。
そして『石山合戦』に真っ先に呼応したのが『雑賀衆』の鈴木重秀、人呼んで『雑賀孫一』だ。
『石山合戦』の本質は『大同小異運動』なのだ。
『小異を捨てて大同に付こう』
言ってみれば、野党連合のようなモノだ。
「こんな考えがバラバラのヤツらがまとまる訳がないだろうが!」その通り。
でも『強大な敵を倒す』その一点だけで、何の接点もない連中が連合を作る。
それが『大同小異』なのだ。
だから織田信長が急速に力を付けた事に危機感を抱く者達が連合を作るのは必然なのだ。
本来、光秀が叩くべきは『危機感を煽る者、連合の本来の核』、つまり『朝倉義景』だ。
だが、光秀は『本願寺顕如』に目を付けてしまった。
「何故遠く離れた甲斐の武田が『石山合戦』の支援をするのか?関係ないじゃないか」と普通は考えるだろう。
顕如の妻『如春尼』は武田信玄の正室『三条夫人』の実の妹で信玄と顕如は、立場的に信長と長政と同じ『義兄弟』なのだ。
因みにこの時代の宗派の垣根は『あって無きが如し』だ。
『天台座主 武田信玄』と『浄土真宗 宗主 本願寺顕如』が義兄弟なのだ、現代の基準で言ったら無茶苦茶だ。
信長の『魔王』というイメージは信玄との手紙での『レスバトル』から生まれる。
簡単にその『レスバトル』を要約すると・・・。
『信長(お前)、ちょっと仏教を目の敵にしすぎじゃね?そんなんだったら俺も黙ってられないんだけど 天台座主 武田信玄』
「『天台座主』だってよ!プークスクス!上等だよ、やってみろよ! 第六天魔王 織田信長」
これ以来、信長が仏敵扱いされる時『魔王』と呼ばれるようになる。
信長としては『爆音小僧 総長 鮎川真里』みたいな感じで中二ネームを名乗っただけなのだが、それがいつの間にか悪口になってしまったのだ。
脱線したが、現時点で信長は『魔王』とは呼ばれていない。