十勝
一足先に滝川一益が伊賀を出発する事になった。
出発前に一益が信長に声をかける。
「ところで信長様。
『平蜘蛛』は見れましたか?」と一益。
『茶器狂い仲間』としては気になってしょうがないのだろう。
「いや。
久秀め、余程『平蜘蛛』が大事とみえる。
他の茶具は献上されたが『平蜘蛛』は見る事すらかなわなかった」信長はショボンとして答える。
「それは残念。
しかし松永久秀殿は信長様の配下になるのでしょう?
きっと『平蜘蛛』を見る機会は訪れるでしょう」と一益。
『平蜘蛛』を見れなかった事は残念だ。
しかし本当に松永久秀を仲間にしても良いんだろうか?
松永久秀は現将軍の『義栄』様陣営の三好家と親密だった。
しかも三好に対する忠誠心を捨てた訳じゃない。
「『義輝』様殺しの濡れ衣を着せられた」と京にいれなくなって、しょうがなく義昭様と同行しているだけだ。
三好から声をかけられたら三好の家臣に戻る可能性が高い。
「仕方ないから仲間になってやる」そんなスタンスの輩を仲間にすべきか?
しかし下手を打ったな。
平蜘蛛の要求は案の定断られた。
でも、それ以外の茶具を久秀が差し出すとは思わなかった。
『茶具をよこせ、そうすれば仲間にしてやる』と言ったのは信長だ。
『イヤだ、お前は信用出来ない』と言うのは角が立つと思ったのだ。
『義昭陣営』の決起集会で、これから行動を共にするかも知れない相手に突き放すような事は言うべきじゃない、と思ったのだ。
久秀にやんわりと辞退させる口実を作ったつもりだった。
まさか本当に茶具を差し出して来るとは。
「やっぱり気が変わった。
仲間にしてやらない」なんて今更言えない。
信長は『何でも欲しがる』かと思いきや、分別を示して『欲しい物を我慢する』事もあったという。
南蛮の商人が信長に精巧な時計を献上しようとした。
信長は一目見てその時計を気に入ってしまった。
しかし信長は時計の献上を辞退して言った。
「俺はこれが欲しい。
でも俺にはこれを扱えない。
きっと壊してしまうだろう。
そして、壊したら直す事は出来ないだろう。
俺はこれを手に入れるべきではないのだ」と。
決して裏切り者を許さなかった信長が松永久秀の裏切りだけは許したのは『平蜘蛛』が欲しかったからだけなのか?
それを知るのは織田信長だけだ。
「それではまた後ほど!」と出発しようとした滝川一益の尻の穴に突き上げるような痛みが走る。
一益が後ろを振り向くと養観院が一益にカンチョーしている。
「な、何故養観院殿は執拗に俺の尻を狙うのだ?」と一益。
『何故』と言われても困る。
「そこに一益の尻があるから」としか答えようがない。
馬にまたがったまま、尻を押さえた滝川一益が遠ざかる。
「お前、一益殿の事を嫌いなのか?
一応、俺の親戚なんだが・・・」と利益。
「いや、別に?
カンチョーに理由なんかないよ」と僕。
「理由もなしであんな事してたのか・・・」と森可成がドン引きしながら言う。
失礼な。
確かにカンチョーに理由なんかはないけど、カンチョーする相手に一益を選んでた事には理由はあるやい。
間違っても信長にカンチョーなんかしないっつーの!
ちゃんとカンチョーしても怒らない人を選んでた
っつーの!
これからも一益以外の人にカンチョーなんてしないっつーの!
上杉謙信と浅井長政も同時に伊賀を出発するようだ。
途中まで一緒に北を目指すようだ。
「謙信公、遠回りになるのでは?」と信長。
「長政公は近江を突っ切る事になる。
つまり甲賀を横切る。
『義秋陣営』の勢力圏を通る事になるのだ。
単独で行動しない方が良いだろう」と謙信。
つまり小谷まで長政と行動を共にした後、越後に戻るらしい。
そうする事に謙信に利はない。
ただ「そうすべきだ」と判断したのは如何にも謙信らしい。
「お市様によろしく言って下さい」と僕は長政に言う。
「そうか、君が市が言っていた『ようかん』だね」と長政。
つーか、今気づいたんかい!
僕は「お市様に渡して下さい」と『芋ようかん』を渡す。
『何で芋ようかんなのか?』は乾燥剤がなくて、密封出来る容器がない時代だから、クッキーとか湿気る物は難しい。
『悪くなりにくい物』という事で『糖分の高い物』を選んだ。
そして何より『ようかん』を連想させる物を選んだ。
「市は『名産地の小豆』を取り寄せて君に送る、と言っていたぞ?」と長政。
「まさか『十勝』の小豆を!?」と僕。
「『トカチ』?」長政には通じていない。
後ろで聞いていた明智光秀がズッこけている。
「おいこの時代、北海道は『未開拓の地』だ。
『名産地』というのは十勝じゃないだろう」と光秀が僕の耳元で言う。
「だったら『名産地』ってどこ?」と僕は光秀に聞く。
「わからん・・・」
なんだよ、結局お前もわかんねーんじゃんか。
僕と光秀の話を所々聞いていた長政が言う。
「『小豆の名産地』というのは『丹波』の事です」
「『丹波』が大豆とか黒豆の名産地だって話は聞いた事があるけど、小豆の名産地というのは初めて聞いたな。
令和じゃ北海道産が有名過ぎて、他がかすんでるのかな?」と光秀が僕に聞く。
「そんな事聞かれても知るかいな」
そもそも丹波がどこだかも知らん。
僕は長政の話を流して聞いていた。
だが、光秀は「『お市様』『小豆』、何か大事な話を忘れている気がする」と呟いていた。