度が過ぎた戯れと仲裁
その頃、海の家の前に広がる砂浜に一人の少女がいた。彼女はこの砂浜に於いて何故かパーカーの帽子を深々と被ってサングラスまで掛けている。そのせいで顔がよく見えない。
彼女はただコバルトブルーの海を眺め、立ちすくんでいる。景色が綺麗だから。
少しだけ顔を上げたところで突然彼女は背後に気配を感じた。
「なにしてん、のーっ!」
「ひゃあっ!?」
無理やり引き剥がされたパーカーが宙を舞った。引き剥がされた方の少女の髪も海の風に靡き、その翡翠色の特徴的な髪が蝶の翅のごとく広がる。
その少女、エヴェリンはその場に縮こまった。突然のこと過ぎて恥ずかしさからそんな反応をしてしまったのである。彼女にとってスカートめくりをされたかのようなことだったと言えば分かりやすいだろう。
ついでに言えばサングラスもパーカーに巻き込まれて砂の上に落ちてしまっていた。
「あははっ!泳ぎに来たのに、パーカーなんてもったいないぞっ!」
「ッ!」
エヴェリンのパーカーを剥ぎ取ったハルカは楽しそうに腰に手を当てて大笑いしていた。それが腹立だしくて振り返ったエヴェリンはキッと彼女を睨みつける。
そして気づけばハルカの視界は上下逆さまになっていた。
「へ?」
ハルカはそのまま頭から砂浜に落ちて、大の字に倒れた。思いっきり足を払われたのだ。ハルカも気づかぬ最小限の動きと早業である。
「…ほんとやめて。今度やったら海に沈める」
エヴェリンはそう警告する。しかし返ってきたのは笑い声だった。
「あははははっ!怖い怖いっ!でもさ、その水着可愛いよ?」
「…!?」
その予想外な言葉にエヴェリンは気を取られてしまった。彼女が着ているのは白地に水色やレモン色、ピンク色の水玉模様や星、月をあしらった可愛らしい水着だ。
彼女の容姿も相まって愛らしさが際立っている。
しかしそれはエヴェリンにとって恥ずかしい姿でできれば誰にも見られたくなかった。だからパーカーで隠していたのである。それを指摘されたのだから動揺するのも仕方ない。なぜ着ているのかと言えば家族の女性陣に無理やり着せられたから。
「すきやりぃっ!」
ハルカはすぐさま起き上がってエヴェリンの脇に手を差し込んで思いっきり擽った。
「ひゃあぁっ!!??」
先程よりも大きな声を上げてエヴェリンは仰け反った。実はとても擽りが弱いのである。そしてあまりにも急過ぎてエヴェリンは何も対応できずに後に倒れて尻もちをついてしまった。
「やっぱ弱いねぇ!その反応も可愛いよ?」
ニコニコと楽しそうにハルカがエヴェリンの背後に廻って抱きついてくる。それがまたエヴェリンを苛つかせた。大衆の前で情けない悲鳴を出されたのにその恥ずかしさをちっとも理解しないのだから。
「…ゆ、許さない……っ!」
エヴェリンは顔を真っ赤にしながらも素早く立ち上がり、振り返ると両足を引く形で体勢を立て直して即座にハルカに飛びかかった。そしてウェイヴを使って右の拳を一気に彼女の鳩尾に押しつける。
「が、は……っ!?」
ハルカの身体が2,3m後方に吹き飛んでいく。そして波が打ち寄せる砂浜に落ちた。しかしそれでも勢いは止まらず転がって少し深い場所で派手な水しぶきを上げる。そのままハルカはわざとらしく大の字で沈んでいった。
それを偶然見ていた砂浜の観光客たちは目を丸くして固まり、海にいた者はその水飛沫を浴びて吃驚したようにこちらを振り返った。
まさかあそこまでヒトが吹き飛ばされるなんて信じられなかったのだろう。しかもそれをやったのが華奢な体格の少女で、ほとんど予備動作がなかったのだから当然。思わずといった感じで辺りでは人々が立ち止まり、言葉を失ったために沈黙が場を満たした。またその唐突な沈黙がまた周囲の注目を集めていく。
別にエヴェリンは魔法を使っていない。そもそもまだ彼女はその辺りは調整中で未だに科学魔法を使えないのだ。それでもそこまでの力を引き出せたのは効率的な全身の筋肉の動きと姿勢から波のように力を伝えてその衝撃をハルカにぶつけたから。
もちろん実戦で既に何度も使っているから肩甲骨や骨盤の柔軟な動きは素人のそれではない。それに、これでも手加減はした方だ。
数瞬置いて、再び水飛沫が盛大に上がった。今度は水中からハルカが勢い良く立ち上がったのである。
「ああもうっ!痛いじゃんっ!普通なら肋骨折れて心臓も潰れてるよっ!」
ハルカの身体はかなり丈夫だ。その異常な筋力とそれによって引き起こされる衝撃と力に堪えられるように骨格の強度はかなり高い。
それでもやはり痛かったらしい。
「…生きてる」
「そういうことじゃなぁあいっ!」
ハルカは大股でエヴェリンに歩み寄っていくと言った。
「おかえしっ!」
ハルカの回し蹴りが炸裂する。しかしそれを予想していたのかエヴェリンはウェイヴを用いて最小限の動きだけで避けてみせた。
「よけないでっ!」
「…むり。死ぬ」
今ハルカは全力で身体を動かしている。感情的になるとすぐこれだから本当に危ない。ソフィアの骨だってどれだけ折ってきたことか。そしてどれだけの物を壊してきたことか。
ハルカは次々に蹴りや殴りを連発する。
大振りな動きが多いが、そのどれもが流動的で、躱されるとすぐさまその力を利用して次の攻撃を繰り出す。端から見るとまるで舞を踊っているようだった。
対するエヴェリンも伊達に危ない仕事はしていたわけではない。
全ての攻撃を見切り、ハルカの隙を突こうと画策する。ハルカの動きは大振りだ。普通なら隙がすぐにできるはす。
しかし速すぎた。ハルカの身体能力は人間のそれを大きく逸脱している。だから彼女が攻撃を行うと風切り音が唸り、周囲に小さなそよ風を生み出すのである。しかも避けられる度にハルカのイラつきが増して力任せに速度を速めてくるのだから質が悪い。
エヴェリンは避けるので精一杯だった。
それでも時には身体を屈めて蹴りを避け、振るわれた拳を一歩踏み込みながらその力を逆に利用してさばいていく。そしてそのまま関節技を決めようと試みるが、力任せに逃げられた。恐らくハルカも前に関節技を極められたのを思い出して警戒しているに違いない。
「や、ら、れ、ろぉっ!」
「……っ」
それからどのくらい攻防を続けたか。辺りには群衆が群がり、一つの人だかりが出来ていた。老若男女問わず、この砂浜にいる観光客が野次馬となって見物しているのだ。もはや一種の見世物と化していた。さながらアクション映画の洗練された戦闘シーンに見えたのだろう。集まるのは仕方ない。
若しくは水着を着た美少女たちが本格的な戦闘をしているというギャップに引き寄せられたか。
もちろん端末で撮影する者もいるが裏で《アサヒ》が徹底的にクラッキングしてネットに上がる前にデータ事態を削除しているため首を傾げる者も何名かいるのが見えた。
そして周りの人たちはこれがゲリラ的な見世物であると思っているようで、楽しそうにワイワイ賑やかせている。中には、そこだっ、とか、いけいけっ、とかの声援や野次さえ飛んでくる始末。それだけこの姉妹の喧嘩は泥臭くなく、映画の中のような光景だったのだ。水着でなければ本当に映画の撮影現場のような様相を呈していたであろう。
しかしそれでも本能的には皆分かっていた。ここが本当に危険なことを。
ハルカが回し蹴りを繰り出せばその風で観衆の前髪が揺れるのだから。近づけばどうなるか、言わずとも皆理解し、一定の距離を置いている。いや、置かざるを得ない。
そして姉妹の攻防は時間が経つに連れて激化していった。
それを暇を持て余したソフィアが見つけて知らずうちに半目になっていた。
「なんですか、あれ……」
呆れたように呟くとコンタクト端末の画面に《アサヒ》が現れた。
『喧嘩みたいですよ?ほとんどハルカさんがストレス発散に攻撃しているようですが』
「あの子にサンドバックにされるとか、想像もしたくないです」
止めようかとも考えたソフィアだったが、少し躊躇った。だってあそこは暴力の嵐が吹き荒れる中心地なのだ。例え腕の1本や2本くらい吹き飛んでホラーか過激なアクションの現場になっても気にしないが、下手したら頭部を粉砕されて本当に死ぬかもしれない。あそこに割り込むこと事態が自殺行為に他ならないのである。
それに魔法で無理やり拘束するにしてもあの人の固まりの中心で魔法を使うのは憚られた。魔法なんてろくでもない技術の情報流出は少しでも失くさないといけない。
しかしあの2人――主にハルカ――を止めなければ全国的に報道される暴力殺人事件の現場になってしまう可能性すらある。少々狙いが外れて、間違って野次馬の首でも吹き飛ばせば《アサヒ》でも隠しきれない事件に発展するだろう。ヒトの口に戸は設けられないの言葉通りに。
「う〜ん……」
悩んで無意識に視線を巡らせてソフィアは海の家であるものを見つけた。そして怪しい笑みを浮かべ、それを手にするとレジに持っていく。
「これをお願いします」
ソフィアが手にした商品には、花火の2文字が印刷されていた。
ハルカとエヴェリンの攻防は本当に危ない状態にまでなっていた。観衆もワイワイと騒ぎながらも半径10m以内には絶対踏み込まない。そこに見えないトラテープがあると言わんばかりだった。
そして問題の2人だが、お遊びの域を既に越えていた。ハルカが踵落としをすると何かが爆発したように砂塵が舞い、僅かな隙を突いてエヴェリンが反撃に躰道の足さばきで急接近しウェイヴも兼ねた蹴りを繰り出せば、ハルカが必ず2,3mは吹き飛ばされる。それでもハルカは宙返りして綺麗に着地してみせた。どちらも姿勢をほとんど崩すこと無く攻撃の手を緩めない。いつしかちょっとした戯れが度が過ぎた本気の戦闘にまでエスカレートしていた。
ハルカは自分の攻撃が当たらず逆に一撃を食らうばかりでイラついていたこと。エヴェリンは本気で来るハルカを黙らせるために本気の一撃を放ち続けていたこと。
それらのことが重なりに重なり、悪循環となってこの状況を生み出していたのだった。
そこに突然ハルカとエヴェリンの頭上で耳を塞ぎたくなるほどの連続した破裂音が響き渡る。
「きゃあっ!」
「な、なんだ!?」
「なにが起きた!?」
意識の外からの爆音に群衆がざわめき、全員が上を見上げる。ハルカとエヴェリンも動きを止めてキョトンとしたように頭上を見上げた。次の瞬間硝煙の煙の中からカラフルな紙テープが大量に降り注ぐ。それに皆呆気に取られてしまった。
「そろそろ止めときなさい。目立ちすぎですよ」
人混みを掻き分けて天色の髪の少女が姿を現す。周りの視線が彼女に集った。
それをハルカも認めて言った。
「お姉ちゃんっ!エリーが逃げるんだけど!」
「…ハルカが悪い」
エヴェリンもムスッとしたように言い返した。
その2人の睨み合いを見てソフィアは面倒臭そうに溜息を吐く。
そして。
「これ以上続けるなら全身の骨を折ってあげるけど?文句あるのかな?」
「「!?」」
ソフィアの敬語が抜けた。しかも気づけば張り付かせた笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
それを理解してハルカとエヴェリンは全身を強張らせた。こうなった時のソフィアは本当にヤバイ。特にその洗礼を数多く受けてきたハルカは顔を真っ青にして冷や汗をダラダラ流していた。目元には涙さえ浮かんでいる。エヴェリンも魔法を併せたソフィアの戦闘力には敵わないから、逆らえばまともに抵抗できず囚えられてしまうだろう。そしてそのまま全身骨折されるに違いない。ハルカが骨を折られる様を見たことがあるエヴェリンも恐怖を覚えざるを得なかった。
「わかったからっ、お姉ちゃんっ!本当にやめてっ!お願いぃ……っ!」
「…て、抵抗しない!」
その言葉を聞いてソフィアは満面の笑みを浮かべて頷いてみせた。
「それでよろしい。戻りますよ」
そう言いつつソフィアはハルカとエヴェリンの間に立ち、群衆に対して雅やかにお辞儀をした。
「皆様。お楽しみいただけたようでありがとうございます。ですが、これはただの姉妹喧嘩でございますので、ご迷惑をおかけしましたこと、誠に申し訳ありません」
もう一度鷹揚にお辞儀をして、ソフィアは続けた。
「きつく言っておきますので、今後はご迷惑にならないようにさせていただきます。それでは」
ソフィアは目だけで2人に合図すると歩き出した。2人もソフィアが怖いから後をついていく。
因みに落としたパーカーとかサングラスとか紙テープはソフィアが歩きながら拾っていた。
突如辺りから、なぜかよく分からない喝采が溢れた。
「すごかったっ」
「かっこよかったよ!」
「ぜひ、もう一回見せてくださいっ!」
「最高だ!ありがとう!」
まるでサーカスの後の歓声だ。それを聞いてハルカは楽しそうに手を振って、エヴェリンはそそくさとソフィアからパーカーを奪って深く被り直した。その対称的な2人の反応にソフィアはふと思う。
ほんとに可愛い妹たちだなぁ、と。
まあ、性格が違いすぎて扱いが本当に大変なのだが、それもそれで楽しい。
一人でいるよりかはよっぽど良い。
ここに来て良かった。
「今夜も騒がしそうですね」
真っ青な空を見上げながらソフィアはそう呟くのだった。
やり過ぎ――。
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