9◇黒いドラゴンの過去語り
(* ̄∇ ̄)ノ エインセイラ姫、ドラゴンの住み処へと。
「それで、黒いドラゴンさんはなんてお名前なの?」
「あ、名乗ってなかったか。僕の名前はバック。君の名前はエイン、ええと?」
「エインセイラ、よ。パルーはエインと呼ぶわ」
「わかった。エインセイラ姫、ね」
黒いドラゴンはキッチンでお湯を沸かして何やらカタカタとやっています。黒いドラゴン、バックは長い首をエインセイラ姫に向けます。
「僕はこれからご飯にするけど、エインセイラ姫も食べてく?」
「いいの? でも、ドラゴンって何を食べるの?」
「いろいろ食べるけどね。ドラゴンは身体が丈夫でお腹も壊すこともあまり無いし。これは人が食べても大丈夫だと思うよ」
バックはお盆に紅茶の入ったカップを二つ、白い容器を二つ乗せて戻ってきました。テーブルの上にカップと白い容器を置きますが、どちらもドラゴンのサイズなので大きいです。紅茶のカップはボールのように見えます。
ドラゴンサイズのテーブルの上にチョコンと座るエインセイラ姫は、白い容器を見てバックに訊ねます。
「これはなに?」
「カップ麺」
バックは白い容器のフタをペリペリとめくると、そこに小さな袋を破って暗い色のソースをかけます。ドラゴンサイズのフォークでぐるぐると満遍なくかき混ぜます。
「最近気に入ってるカップの油そば。カップ焼きそばもいいけど、このカップ油そばにビネガーをかけるとなかなかいけるんだよね」
そう言ってバックはもうひとつのカップ油そばも、小さな袋のソースをかけてグルグルとかき混ぜます。湯気を立てる白い麺がうっすらと茶色に染まります。
エインセイラ姫はカップ油そばを慣れた手つきでフォークでかき混ぜるバックを見てから、首を回してキッチンの方を見ます。そこにある半透明のゴミ袋の中は、カップ麺の容器と缶詰の空き缶ばかりが見えます。
「バック、さん? カップ麺と缶詰ばかりじゃ、身体に悪いんじゃない?」
「自炊とか苦手なんだよ。ドラゴンのオスの独り暮らしなんて、こんなもんだよ」
バックはビネガーの瓶を傾けて、カップ油そばにさっとかけます。
「はい、こっちがエインセイラ姫の分」
「ありがとう。でも、こんなに食べられないわ。ドラゴンのサイズだもの」
「残ったら僕が食べるよ」
バックはフォークで油そばを口にズズッと入れます。白い鋭い牙に赤い口の中がちょっと見えました。黒いドラゴンが油そばをすするのをエインセイラ姫は初めて見ました。
「どうしたの? エインセイラ姫、食べないの?」
「あ、ドラゴンの食事に見とれてしまったわ」
エインセイラ姫はフォークを取ろうとしましたが、ドラゴンサイズのフォークは大きいです。アリスパックの中から自前のフォークを出して、ドラゴンサイズのカップ油そばにフォークを刺します。
「太麺ね。麺が太いわ。私の親指くらいありそう」
「ドラゴンのサイズだから、人には大きいか」
エインセイラ姫は、食べたことの無いドラゴンのカップ油そばにワクワクしながら、太い縮れ麺を口に運びます。
「あら、美味しい。カップ麺って美味しいのね」
「なに? エインセイラ姫はカップ麺を食べたこと無いの?」
「それはお姫様が口にするものではありませんって、食べたこと無かったもの。うん、けっこういけるわね」
「それで、お姫様は僕に拐われたい、んだっけ?」
「ええ、そのためにここまで来たのよ」
エインセイラ姫はカップ油そばを食べながら、ヴェイグス牙山まで来た訳を話します。黒いドラゴン、バックはウンウンと頷きながら食べながら聞いてます。
エインセイラ姫が食べきれずに残したカップ油そばをバックが食べきる頃、エインセイラ姫の話を聞き終えた黒いドラゴン、バックはしみじみと言います。
「エインセイラ姫も苦労してたんだね。ま、そうでないと一人でここまで来ることも無かったか」
「私が苦労した、というより私の周りの人の方が苦労したのかも。私は皆が望むようなお姫様にはなれないし」
「家族と解り合えない辛さは、少しは解るけれど」
「理解してみようと頭を捻ったこともあるわ。皆が望むお姫様らしさをなんだかおかしいと思う私の方がおかしいんじゃないかって。罪悪感を感じることもあったし。だけど、私はよく解らないことを理解しないまま信じることができなくて。私に理解できるように教えてくれる人も周りにいなくて」
「決まりだから決まりに従えっていうのは、うん、嫌なものだよね」
「バック、さんもそういう経験があるの?」
「バックでいいよ。僕の場合はねえ……」
黒いドラゴン、バックはガーネットベリーのお茶を一口飲んで、思い返すように天井を見上げます。
「僕も昔は、皆が期待するようなドラゴンだったんだよ。いや、そんなドラゴンになろうとしてた、かな? これでも僕は立派なドラゴンになろうとしてた時期があった。ドラゴンとして村や町を襲って財宝を貯めて、僕の経営するダンジョンも大きくして、それなりに成功してた」
「ドラゴンと言えば、怖くて恐ろしいものだものね。バックは話してみると、そんなに怖くないわ」
「そう? まあ、もう怖くする必要も感じないから。僕は伝統的なドラゴンであろうとするのに、疲れちゃったんだ。僕の経営してたダンジョンはちょっと大きくなりすぎた。魔獣をいっぱい雇って、ダンジョンに来る冒険者や勇者を呼ぶ為にヘイトを稼いでさ」
「ヘイトを稼ぐ?」
「そこがドラゴンの仕事の難しいところかな。人の住むところを襲ってヘイトを稼ぐ。そうすると僕のいるダンジョンに冒険者や勇者がやって来る。だけどヘイトを稼ぎ過ぎちゃうと、悪名が上がって人が討伐に本気になって、やたらと冒険者に勇者に騎士や王子やドラゴンスレイヤーがやって来る。簡単にヘイトを稼ぐのはお姫様を拐うことだね。で、このヘイトコントロールが難しくてさ」
「そうね。悪名高いドラゴンを倒せば名声になるものね。有名になったドラゴンを討伐することに皆、やっきになるわ。お姫様がいたら、ドラゴンに拐われたお姫様と結婚するのが目的の人も増えるでしょ」
「そうだね。だけど、お姫様は拐うと後がめんどうでさ。食事に着替えに風呂と注文がいくつもあるし。お茶の時間がどうだとか、違うドレスが欲しいとか。中には自分から逃げ出す元気なお姫様もいるし」
「大人しく助けられるのを待つお姫様ばかりじゃ無いのね」
「ヘイトを上げすぎちゃって、やたらと僕のダンジョンに人が攻めて来たりね。そうなると雇ってる魔獣達に残業や休日出勤をしてもらわないといけなくなるし。そのときは慌てて人員を増やしたよ。僕の経営するダンジョンがブラックって呼ばれたくないから」
「黒いドラゴンだけど、ブラックな経営はしてなかったのね」
「そりゃそうさ。僕のダンジョンに悪い噂がついて欲しくないから。有給休暇に育児休暇はちゃんととってたよ。派遣は使わないようにして、直接雇用でやってたんだ。だけど雇う魔獣が増えると種族ごとに仲が悪いのがいたり、気位の高いのもいたりね。ダンジョン内の魔獣が仕事しやすくなるように、職場の雰囲気が良くなるように、新年会に忘年会、従業員旅行とか企画したりして」
「経営者はたいへんね」
「人件費はともかく、魔獣が増えると宝箱の持ち逃げする困った魔獣もいたり。ダンジョンを大きくするとドラゴンとして優秀と皆は褒めてくれるけれど、ダンジョンが大きくなった分、所得税に固定資産税も上がるし」
「ドラゴンも税金は払うのね」
「そりゃね、これでも真っ当な経営者だから。それで来る日も来る日も帳簿とにらめっこ。先月は良かったけど今月はイマイチだったとか、数字に追われてデスクワークで首が固まって目が痛くなって。ダンジョンの従業員に気配りして、ヘイトコントロールに神経を使って。そんな毎日を送っていて、ある日、ふと思ったんだ。これが、ドラゴンなのか?って」
そう言う黒いドラゴン、バックの赤い目は疲れた老人のようでした。
「そんな生活が嫌になって、脱ダンしたんだ。ダンジョンの経営もやめて、もう、ドラゴンとしてかくあるべし、なんていうのは疲れた。それで今はここで独り暮らししてる」
「バックはがんばり過ぎて燃え尽きちゃったの?」
「そうかもね。周りからは遅い反抗期だとか、神童も百歳過ぎればただのドラゴンとか、いろいろ言われたよ」
「バックは神童だったの?」
「学校では成績はいい方だったから、その分、期待もされてた。その期待に応え続けることに、急に嫌気が刺したんだ。伝統的な立派なドラゴンが、僕の本当に成りたいものだったのか? なんて、ほんとに今さらだけどさ」
はあ、とため息吐くドラゴンをエインセイラ姫は見つめます。
「私も、皆の為にガマンしてお姫様をしてたら、きっといつかバックのように途中で嫌になってたんでしょうね」
「僕は気づくのが遅かったのかもね。思い返せば、なまじ成績優秀だったことに乗せられて、自分を省みることが無かったのかも。だけどさあ、それを今になって僕が昔堅気のドラゴンを続けるのをやめたら、これだから若い奴は根性が無いとか、ゆとりドラゴンはこれだからって、年寄りドラゴンは言いたい放題さ」
「お年寄りは自分の経験でしか物事を見ないから、若い世代の苦労なんて解らないわ」
「だいたいゆとり教育も、前の世代が作った制度のことで僕が作った訳じゃない。それなのに僕のことをゆとりドラゴンってバカにするのは、筋が違うと思うんだよね。ゆとり教育にしたのは誰だよって話さ」
「お年寄りは自分の失敗なんて認めないものだから。それを認めた人は気を病んで長生きできないから、お年寄りにはなれないし」
「そんなわけで、僕は他のドラゴンともうまく付き合えていない。ドラゴンのレールから外れてしまったから。今ではここに遊びに来る友達はパルーぐらいさ」
「私も、イライラしないで話ができるのが、パルーとパルーの使い魔猫のラナウェイだけ。なんだかバックに親近感を感じるわ」
「そう? だけど、僕はもうドラゴンらしいことはする気が無い。お姫様を拐うのはドラゴンとしてステータスのひとつだけど、もう拐ったお姫様を自慢し合うようなドラゴンの付き合いとか、する気も無いし」
「そうなの? それじゃ、私を雇ってみない?」
黒いドラゴン、バックは赤い目をパチクリと。
「僕が、エインセイラ姫を雇う?」
「あんまり上手では無いかもしれないけれど、お掃除にお洗濯はできるわ」
「家事のできるお姫様? ほんとに?」
「ほんとよ。私をここにおいてくれたら、ここのお掃除とお片付けを私がする、というのはいかが?」
「あー? えっと? じゃ、雇用契約書とか」
「そんなめんどうなの要らないでしょ」
「えっと、そういうわけには」
「話をしてみて、私はバックを信用できそう、と感じたもの。誠実そうだって。紙切れの契約書なんてあっても無くても同じよ。私が信じる。そしてバックはどうする?」
「僕がエインセイラ姫を騙していいように使ったらどうするの?」
「私が騙されたって思ってここから逃げ出すだけよ。でもバックはそういうことしそうに無さそう」
「メチャクチャ言ってない? 大丈夫? 初対面のドラゴンを相手にさ」
「信じるとか約束とか、それって紙に書いたら信じられるもの? その前に目の前の相手のことを信じるかどうかじゃないの? 逆に契約で縛るとか、力に任せて言うことをきかせるのは従属で、それは約束とは、ほど遠いものなんじゃない?」
エインセイラ姫は座ったまま右手をバックに伸ばします。
「私はお菓子作りが好きでお料理ができるわよ。私のチーズケーキはパルーも美味しいって言ってくれるわ」
「チーズケーキ!」
黒いドラゴン、バックの赤い目がキラリと光ります。バックは片手で口を抑えて訪ねます。
「ち、チーズケーキというのは、レアチーズケーキ? それとも、ベイクドチーズケーキ?」
「両方作れるわ。その二つを重ねて層にしたのも作れるわよ。他にはチーズタルトも」
「ええ? レアもベイクドも……」
「バックはチーズケーキ、好き?」
「う、うん。ケーキの中で、チーズケーキこそが最高のケーキだと思うんだよね。まさかチーズケーキを作れるお姫様だなんて……」
「私をここにおいてくれたら、バックの為にチーズケーキを作ってあげるわ」
「う、ううん……」
バックは片手を顎の下にあてて少し考えます。チーズケーキに心が揺れて、黒い尻尾が落ち着き無く動いてます。
「お姫様を拐うのはやめたけど、これは拐ったんじゃなくて向こうから来たんだし。うん、お手伝いを雇うってことでいいのかな? チーズケーキ、ワイバーン便はナマ物とか生菓子は扱ってないから、しばらく口にして無いんだよね、チーズケーキ……」
「そんなに難しく考えなくても」
「う、ん、とりあえず僕の家のお手伝いさんとして、試用期間を見てみるって、どうかな?」
「細かいのね、バックは」
「それで、何ができるかを見てお給料とか考えてみるから」
「寝るところとご飯があれば、別にいいわよ。押しかけてなんだけど、ルームシェア? とか、同居人? とか、そういうのでどう?」
「うーん、それでいいのかな? ちゃんとしてないのは落ち着かないけれど」
黒いドラゴンは右手の人差し指を伸ばします。エインセイラ姫はその人差し指を伸ばした右手で握ります。
「よろしくね、バック」
「あー、こちらこそ、エインセイラ姫」
黒いドラゴンとお姫様は見つめあって握手をしました。
「なんだか、勢いに流されたような?」
「バックは私のことが気にいらなければ追い出せばいいのよ」
「パルーの友達と聞いたら、そういうわけにもいかない」
バックは赤い目をクルリと回して、
「ま、いいか」
と、呟きました。
(* ̄∇ ̄)ノ エインセイラ姫は、お姫様からドラゴンのお手伝いさんに。