序:
「――グリム、アンタ死ぬぞ」
真人がそう言ったのは、この城を出る直前の模擬戦がてらいつものように死合ったあとゲームを楽しみながらの事だった。
うむ、そのくらい知っておる。と答えたらやれやれと肩を竦められた。何その反応、知ってるって知ってたのか?と言ったら、「わからいでか」と呆れ顔をされた。未だにこれは解せぬ。古くから付き添った四天王たちならばまだしも、僅か数か月程度の付き合いの此奴に分かれるとかたまったモノではない。
尤も、だからこそサクラがコイツを気に入って結婚して、余の義息になってしまったのだろうが。
そう。この日が来る事は知っていた。
この城を魔の神殿ではなく、大魔王城と改めた時から。
――最初から、知っていた。
大魔王城その玉座にて自らの愛する娘に殺されることなど。
「ぐ、む……っ」
胸からせり上がる血をだらりと情けなく口から垂らし、華奢で小さな我が娘たちを見下ろす。
「良くぞ――ここまで育ててくれた。感謝するぞ、大魔王グリム。――いや、我を永きに渡り封じた勇者よ」
余の胸を貫くサクラの腕からダラダラと止めどなく血がしたたり落ちる。今のこの子の中にまだ魔石は、無い。中身は――まごう事無き世界の敵。余が己が身をもって封印していた筈の魔神だった。
こうなる事も予期してはいた。が、致死の一撃が交錯する瞬間に愛する嫁の顔がちらついて手が鈍ってしまった。足元を黒い泥に飲み込まれ一歩たりとも動くことが叶わなかったとはいえ、これはに真人に笑われてしまうのう……。
「耄碌したな。よもや吾の巫女の血を遺しているとは。くく、しかも自分の側近として。甚だ理解に苦しむが――まぁ良い。アリス、そのまま首を跳ねよ」
似合わない笑みを浮かべたサクラが背中から刃を突き立てていたもう一人の愛すべき娘、アリスにそう命じる。
「――はい」
感情の無い冷たい声でそう答えると、心臓を貫いていたアリスの剣が抜き放たれ、ヒュンと風を切った音と共にピタリと首元にその刃が当たる。
「……何をしている。早くやれ」
「――はい。は、い」
プルプルと彼女の手が震える。……そうか、余の事をそこまで想ってくれていたか。ふ、と思わず笑みがこぼれる。
アリステラは魔神教――アラガミの残党狩りをしていたところで見つけた少女だった。
巫女の血筋であるのに神を降ろせぬ役立たずだと、奴隷そのものの扱いで手も足も体も心も全部ボロボロだった。そんなこの子を見て。ただ余は「助けたい」と思ったのだ。
だが、中々妻との間に子が生まれなかったからと、娘として育てたのは間違いでは無かったと今でも信じている。サクラの良き姉になってくれた。
「それが、まぁ大きくなったモノだ」
そっと、アリスの頭を撫でる。美しく、賢く、逞しく、優しく育ってくれた。親としてこれ程までに嬉しい事は無い。
「おと……さま……!」
アラガミの泥に侵食された彼女の顔からポロポロと涙が流れる。
すまないな、アリス。今の余ではお前を救えぬ。撫でる手が震える。体の中の魔神の魔石がじわじわとサクラに奪われているのが分かる。魔神に胸を貫かれた瞬間に結末はもう決まってしまっている。内側から侵食されたこの汚泥は余の肉体の再生を阻み、魔力を根こそぎ喰らい、その肉をガリガリと削り取っているのだ。首を切らずとも事切れるのは時間の問題だろう。
「ふん、役立たずが」
「あ、あぁ!」
グッと、アリスの意思に反して彼女の手に力が籠められていく。
「や、だ!とうさま、とう、さま!」
首をふり、駄々っ子のようにアリスの叫び声が聞こえる。
いいんだよ、アリス。この結末は決まっていたのだから。
「だが、覚えていろよ魔神。たとえ余が果たせなくても。勇者は必ずお前の前に現れる」
「水無瀬真人など、恐れるに足りぬ。人に神は殺せぬ」
ふんと魔神が鼻で笑う。ああ、こいつは何もわかっちゃあいない。
「いいや殺せるさ。原初の魔王よ、お前は負ける。余の愛する者に――な」
「世迷い事を。――ああ戻って来たぞ。貴様の娘だ。さぁ、吾の中で感動の再開を果たすと言い。尤も、貴様の魂は粉々に砕かせてもらうがな」
サクラの瞳にも涙が溢れ出す。済まないな、娘たちよ。不甲斐ない父だった。
もっと、お前たちに――
瞬間、首に刃が通り視界がブレた。
ボロボロに昏い闇の泥の中へと崩れていく己の肉体を見送って、世界が闇に包まれてた。
すべてが、喰われて、いく。
抵抗することも叶わず、肉体も魂も何もかも――
――託したぞ、真……人。
「消えた、か。くかか、死に際も往生際の悪い男であった」
大魔王の首を持ったまま玉座に腰かける少女は楽し気に、嗤う。
悔しい。悔しい。悔しい。何の抵抗もできず、私は愛した人をこの手に掛けてしまった。今すぐに妹の中に居座る邪悪を斬り飛ばしたい衝動に駆られるけれども、体に侵食した汚泥がそれを許すことは、無い。
「アリス、四天王を我が元へ。世界を喰らう最後の下ごしらえを始めるとしよう」
今この城にいるのは私を含め、獣牙侯爵ライオネルと冥府侯爵クリュメノスの三人。機械侯爵グルンガストは勇者国へと飛び発ったところであったので、今すぐには戻ることは無いだろう。
ライオネルとクリュメノスならば、操られ動きが鈍った私を振り切りお父様の仇を取れるものと期待したのだけれど――結果は抵抗すら……ううん、抵抗する以前に反抗すらできなかった。
「お前の父と彼らに交わされた契約だよ、アリス。吾はすでに大魔王の全てを喰らった。さすれば、契約も何もかも引き継いだという訳だ。この結果も当然と言える。尤も此奴らの体に魔石がある限り、吾に逆らうことなどもとよりできぬのが道理と言うモノなのだがな」
四天王の二人もまた、昏き汚泥に侵食されていく。
お父様が抗えなかったのだ。魔王クラスを大きく超える力を持っているとはいえ、彼らが抵抗などできるわけが無い。
魔石――そうか、魔王は須らく魔神に逆らえない訳だ。理由まではわからないけれど、そう言う理屈になっている訳だ。
「ああ、そうだ。魔石があると言う事は我の信奉者と見なせるからな。力を求め、魔石をその内に秘めた瞬間から我が眷属という訳だ。一斉に魔王達を喰らうには――まだ足りぬ、か。まずは、下ごしらえから始めるとしよう」
魔神の足元からぞぶり、と闇の泥が溢れ出す。
城の中から、ううん、町中から悲鳴と怒号があがり、やがて泥が都市すべてを覆い尽くした時には何も聞こえなくなってしまった。
誰も抗う事は叶わず――その総てが魔神の配下へと成り果てたのだ。
筋骨隆々の精鋭たちも。城を取りまとめていたメイド達も。お父様の愛した街の民たちも。
「絶望を捧げよ。悪夢を捧げよ。死を尊べ。吾を恐怖し吾に――……む」
唐突に、全ての世界が白に染まった。これは、サクラの魔法!
「無駄な足掻きをする。まぁよい、貴様のすがる希望をも絶望に変えてやろう」
サクラの最上級氷系封印魔法、永劫氷獄。
唱えることなく発動したその魔法は街も、人も、泥も、私も泥に侵された四天王の二人も魔神も――何もかもが動きを停め、巨大なひと塊の氷に閉じ込められた。
まーくん、待ってるから――
遠くなる意識の中、私はそんな声を聴いた気がした。
今日も今日とてとってもとっても遅くなりまs( ˘ω˘)スヤァ
ここから最終章に入ります。
結末に向けて頑張ってまいりますので、改めてよろしくお願いいたします。