22話:想い焦がれたモノ
「水無瀬真人、水無瀬真人ぉおおおお!貴様、貴様!貴様ぁああああ!」
「うん、名前を呼ばれるんならそこに転がってる美少女の方がよかったなぁ。うん、神様もどきのあらあらな荒神さんじゃあねぇ」
ヤレヤレと首を振って兄さんは大きくため息を付く。ああうん。この感じ……間違いなく兄さんだ。声を出そうとするけれど、叩きつけられた痛みで声が上手く出せない。
「真理……よく、がんばったな。大丈夫だ。このくらいお兄ちゃんがすぐに終わらせる」
ニッコリともう見れないと思ったいつもの笑顔で兄さんはそう言った。手には鍔の無い刀らしきもの。木製の鞘に収まっているけれど、任侠ドラマなんかで見たことのあるドスと言われる類のモノのように見えた。
「ふざけたことを!ああ、私は覚えている!覚えているぞ!あの屈辱を!あの痛みを!貴様がたとえ分霊のまがい物だったとしても!ここで――」
「――ほら、もう終わった」
風の鳴る音が聞こえたかと思った瞬間に目の前の影の化け物は両断され、その姿をボロボロと屑切れのように崩して、終ぞ消えてしまった。
いつの間にか抜いていた短刀を軽い金属音を鳴らして鞘へと納め、兄さんはほらね?と肩を竦めた。
あまりにも呆気なく、あまりにも一瞬の事で私は目を丸くしてしまう。あれ程までに私や沙夜を苦しめたあの化け物をただの一瞬で消し飛ばしてしまったのだ。うん、本当に兄さんって一体……。
「……何者かってい言いたい目だね。んー、そうだね。ただの人間さ。足掻いて足掻いて、足掻いた末にたどり着いただけだよ」
まだ動くことのできない私を兄さんは優しく抱きあげる。兄さんの顔が近くて思わず赤面してしまう。う、うん、見えてない、見えてないよね?
「ごめんな、真理。俺がこうして出てきたって事は俺はもう――死んでしまったんだろう」
「けほ、じゃあ、今の、兄さんは……?」
ようやっと出た声で、もう死んでしまっているという兄さんに問いかける。
私の頭をぽんぽんと撫でる兄さんの手は、ここに確かにある。私を抱きしめてくれるぬくもりも、匂いも確かに兄さんだ。
「アレも言っていたけれど、今の俺は分霊……つまりは分身みたいなものでね。ほら、前に誕生日にリボンをプレゼントしただろう?アレに俺の分霊入りのお札を仕込んでいたんだ。もし、真理が危険な目に逢あた時にこうして助けられるように……ね?」
あのプレゼントをくれた日の事を今になって思い出す。私の為だから、何があっても持っていて欲しいって言ってたような……。まぁうん、嬉しすぎて今まで引き出しの中にしまっていたことは兄さんには黙っていよう。うん!
「後こうしていられる時間は二分もないくらいかな?自分が分霊だってのは分かっていても真理の成長した姿が見られたのは嬉しいところだね」
「そんな!やっと、また逢えたって思ったのに……」
まだ、謝れてない。お礼もキチンと言えてない。私の気持ちも、何も――
「俺に言っても仕方がない事さ。俺はもう、この世にはいないんだから。だから、真理。お前は――お前だけは自由に生きてくれ。水無瀬の家なんかに縛れなくっていい。俺の死を重荷に感じなくていい。俺は、お前が幸せでいてくれれば――それだけで幸せだったんだから」
「あ――だめ、兄さん」
キラキラと光の粒子となり、兄さんの姿が透けていく。ぬくもりが消えてく。
「――真人、様」
砕け散った扉の前に立っていたのは血を流し、息を切らした沙夜だった。メイド服はボロボロになり、もう服としての体裁は保っていない。……体の色も元の雪のような白に戻っていて、血とのコントラストが眩しい。どうやら朝比奈先生を振り切って私を助けに来てくれたらしい。
「沙夜……すまない。俺の我がままを聞いてくれて」
「謝らないでください。貴方は――私の全てなのですから」
今まで見たことも無い、沙夜の満面の笑みに私は思わず見とれてしまう。ただでさえ美少女なのに、あの笑顔は卑怯だと思うの!ね、兄さんもそう思うでしょう?
「ああ、思うさ。だから、願わくば――沙夜も幸せになって欲しい。俺の大事な人は、みんな、みんな幸せになって欲しい。ただそれだけが――俺の願いだったんから」
「兄さん――!」
光が弾けるように瞬き、次の瞬間には兄さんの姿は跡形もなく消えてしまっていた。
「……言葉を交わせるほどの分霊は高位の霊力や妖力を持つモノにしか行うことができない、高度の巫術です。生前、真人様はこの世界でも最高峰の力をお持ちになられていました」
「それでも、兄さんは……」
「はい、霊力が散らされてしまう剣岳で真理様を護り庇う為に無理やりに霊力を使ったのでしょう。そして、数秒で汗も凍るほどの寒さです。真理様を無事に送り届けるために、使える力全てを使ったのだと思います」
剣岳とはその名の通り、断崖の絶壁の岩肌に囲まれた標高二千九百九十九メートルの霊峰。
何の装備も無しに――それも人ひとりを抱えて下るだなんて正気の沙汰ではない。けれども、兄さんはそれをやってのけた。だからこそ、私はここにいる。
「……沙耶。私ね、兄さんに逢いたい。沙夜はどう?もしも――兄さんにまた逢えるとしたら……」
「真理様の行く果てまでご一緒させていただきます。私は真人様に真理様をよろしくとお願いされてしまいましたので」
沙耶が私の腕を肩に回し、抱き起してくれる。
警察にも消防にも連絡は済ませた。これで抜け殻となってしまった被害者の皆も家族の元へ帰る事は出来るだろう。
「……春さん、ごめんなさい」
人形のように瞳に光を失った彼女に声をかけるも、魂を化け物に喰われてしまった彼女から答えなど帰って来るはずもない。
彼女を床にきちんと寝かせ直し、ゆっくりと瞳を閉じさせてあげる。
私にはもう、こんなことくらいしかこの子にしてあげる事ができない。
「人の魂は喰われても、蘇ることがあるのだと真人様が仰られていました。欠片ほどに遺されていれば、或いは……」
「春さんは、どうなの?」
「わかりません。奇跡的に残っていたとしても、何年後になるか……」
「そう……」
それでも構わないと私は思った。たとえ、奇跡と呼ばれるほどの偶然でもなければ戻ってこないとしても、可能性がゼロで無いのなら――。
と、サイレンの音が遠くから聞こえた。どうやら警察と消防が到着したらしい。うん、思ったより早くないかな?
「水無瀬家が警戒網を解いたのでしょう。恐らくはすぐ近くに待機させていたのでしょうね」
「公的機関も水無瀬に逆らえないのね……」
異常なほどの権力に思わずため息がこぼれる。だからこそ、今までこんな無理無茶な事をやらかしても握りつぶすことができたのだろう。
「沙夜、私たちはすぐに帰る事は出来るの?」
「問題ありません。裏門にすでに迎えの車が来ているでしょうから。今日こうなる事も知っていたでしょうし」
信頼していた爺やですらも水無瀬の家の一部でしかないらしい。心が張り裂けそうなほどに痛く、辛い。けれども、私は自分自身がここで立ち止まることを許すことができない。
「そう、じゃあ――全部終わらせに行きましょう」
春さんの頭をひと撫でして、痛む体を無理やりに起こして立ち上がる。
――もう、迷う事は無い。
私は、秘めた思いを胸に沙耶と共に家路についたのだった。
今日も今日とてとってもとっても遅くなりまs( ˘ω˘)スヤァ