21話:戻らないはずだったモノ
走りすぎて足が重く、息が辛い。こちとら普通の女子中学生。鬼でメイドな沙夜とは鍛え方がまるで違うのだから仕方ないんだけどね!まぁ、鬼の時点で私とは体のつくりが違うのかもしれないけれど。
触手から逃れ、たどり着いたのは学校の調理室。最初は科学室に逃げようかと思ったけれど、あそこの薬品類を投げつけようにも、まずは職員室から薬品類の保管庫の鍵を取ってこなければならないのであきらめたのはここだけの話。そう、ココになら包丁だけでなくガスもある。
息を整えながらガス栓をひねり、一緒に排水溝に栓をして水道の蛇口も捻る。これで準備は……あれれ?ガスの匂い、しないんですけれど?
「ええ、そうすることは想定済みですので、先に外に放出させていただきました。駄目ですよ先輩。学校でガス爆発なんて起こしたら大事件です」
「もうすでに人が何人も食べられているも大事件だと思うけれど?」
振り向くと春さんがまた教卓の上で足を組んでクスクスと笑っていた。
ううん、違う。目の前の少女――春は教卓から生えていた。まるで植物がそこから芽吹くように。
「言ったではありませんか。ここはもう、私の体の中なんです。だから――ふふ、アナタは最初からどこにも逃げ場何て無かったんです。それにしても――わざわざ私に食べられるために家庭科室に来てくれるだなんて、ふふ、先輩ったら大胆なんですから」
冗談じゃあない、こんなところで食べられるつもりは毛頭ないんだから!すぅと大きく息を吐き、お札をカバンから取り出す。これで、この子を――
「無駄ですよ、先輩」
「えっ」
瞬間、手に持ったお札が――炎となって燃え尽き、慌てて床へと投げ捨てる。
「先輩が逃げ回っている間、先輩のカバンに何もしなかったと思わなかったんですか?」
唇に指を当て、春は妖艶に微笑む。私が、私たちがしようとしていたことを読まれていた?
「読む必要すらありません。あなた達は水無瀬の家の試練に立ち向かわなければならない。けれどもまだ頭首になりたてで一般人と言っても遜色ない先輩が私と対峙するには武器がいる。それはどこにあるか?と考えれば子供でもわかります」
「それなら、なんで!」
「ああ、どうしてあそこで捕まえようとしなかったかですか?それも単純な理由です。あの鬼から引き離すためですね。あの子は鬼としては中々の強さを持っています。ですのであなたを食べるには引きはがす必要がありました。武器を持たせて逃がした、そう安心させて……ね?」
「この――!」
持っていたカバンが生ぬめった感触に代わる寸前に思い切り化け物へと投げつける。最初の一枚は仕えていた。ならば、カバンが化け物の一部になっていようと、中身が変質されていようと、書かれているものが変わっていなければ――使える筈!
「急急如律令!」
閃光と共にカバンが――紙切れの中へと吸い込まれていく。これでどうだ!
「どうだ、もそれで終わりです。お疲れ様でした、先輩」
そして、紙切れはそのまま地面へと落ち、その役目を終えてしまっていた。……え、カバンを吸い込んで、終わり?そ、それだけ?思わず私はその場にへたり込んでしまう。床には先ほど開いた水道から水が溢れだし、お尻がとても冷たい。
「さぁ、ディナーの時間です。ふふ、先輩はどんなふうに鳴いてくださるのでしょう。ああ、一息に食べてしまうのはあまりにも勿体ないですね。ゆっくりと、じっくりと内側から食べて差し上げましょう」
教卓から降りた化け物がゆっくりと、ゆっくりと、こちらへ近づいてくる。逃げ場などない。武器もない。あんな化け物に力なんてまるで及ぶはずもない。
圧倒的な恐怖と絶望に心が折れそうになる。
――こんなところで、私が終わってしまう。
――何も残せず、兄さんの墓も立てる事ができなかった。
けれど……どうしようもない。あんな化け物、勝てるわけが無い。私は、数日前までただの中学生だったんだ。私はやれることを全部がんばった。
全てを諦めて目を閉じる。
思えば、私の人生は後悔だらけだった。
兄さんと中々一緒に過ごせない寂しさに、いったい何度兄さんに当たっただろう。そんな兄さんにどれだけの我がままを言ってきただろう。ごめんなさいと。ありがとうと。最後に伝える事しかできなかった。私はきっと最後まで兄孝行することができなかった。
だって、私のせいで兄さんは――
「そう、そうよね。兄さん。私、まだ死ねない。まだ兄さんに大好きだって伝えていないんだもの。こんなところで、死んでたまるモノですか」
「ただの小娘に何ができるというんです!」
目の前の化け物が私を見下ろし、鼻で笑う。
「なめんじゃ――ないわよ!」
パンと、手のひらを叩いた瞬間、足元に流れていた大量の水が一斉に春を覆い、そのまま春を包み込んでしまう。これぞ、秘技!水球!……今思いついてやっただけだけど!
「が、がぼぅ!?」
驚いた表情で水球の中の化け物がジタバタと外へ出ようと必死になって藻掻いている。
お兄ちゃんは言っていた。肉食獣が一番隙を見せる瞬間は獲物を捕らえたと思ったその瞬間なのだと!靴下に隠し持っていた最後のお札を水球へと叩き込み、思い切り叫ぶ。
「今度こそ、退治されろ化け物!」
「がべぼ――!?」
「急急如律令おおお!!」
ボフン、と水が収縮し水蒸気が溢れでる。これで、どうだ――!
「この、餓鬼ががああああああああああああああああ!!!」
「がふぁ!?」
教室の壁がぐにゃりとゆがみ、大量の触手が私を黒板へと叩きつけた。激しい痛みで息ができず、目の前に火花が散って、まともに体を動かすことが、息をすることすら、できない。
「調子に、乗りやがって。く、くふはは、すっかり忘れていたよ。お前はあの水無瀬真人の妹なのだったな。ああ、本当に油断を、油断をしてしまった」
最後のお札が燃え上がり、抜け殻となった春さんから黒い影が起き上がる。
禍々しくも美しい――ただ、見ただけでわかる。アレはこの世に存在してはならない荒振神と呼ばれるナニカだった。
――あんなもの、人が倒せる存在ではない。
私の中の第六感のようなナニカが痛いほどに警鐘を鳴らす。けれども、まだ息すらもまともにすることが叶っていない。これじゃあ、逃げる事すら……。
「もう、遊びは終わりだ。水無瀬真理。さぁ、一思いに私の腹へ飲み込まれるがいい」
床からドロリと現れた触手たちが抵抗すらできない私をすっぽりと覆い、ずぶずぶと床の中へと沈めていく。
――月明かりが窓の外に見えた。
ああ、そういえば、兄さんとあの雪山で――ただの一時だけだったけれど、二人で、月を――
「運命のゲームってのはコンティニューはできないんだぞ?知ってたか……真理」
閃光が幾筋も奔り、私は再び床に放りだされる。今の声は……まさか!未だ動かない顔を無理やりに動かす。
そこには――死んだはずの兄さんが月明りに照らされて何だか似合わないニヒルな笑みを浮かべていたのだった。
今日も今日とて遅くなりまs( ˘ω˘)スヤァ