3話:崇めしモノ
深くて昏い闇の中。洞窟の壁面沿いに設置された古びれたロープを頼りに奥へ奥へと進んでいく。
……コケが生えていて若干ヌメついている。うう、帰ったらちゃんと手を洗わないと……。
歩き始めて五分ほどだろうか。
真っ暗なはずの洞窟の中に、明かりが、見えた。
――篝火。
パチパチと燃え上がる炎は広い洞窟の中を明るく照らし、奥の祭殿を怪しく映し出していた。ここに……神様がいるのだろうか?
『そう、今あなたの目の前に』
「!?」
瞬きの間。その一瞬で、目の前にソレは現れた。
――美しく、荘厳で、華麗で、可憐で、あまりにもこの世離れした――少女だった。
見ているだけで頭の奥がジクジクと甘く、痺れる感覚。
――これはこの世にいてはいけないものだ。
『ふむ、やはり真人のようにはいかんな』
「へむぐ!?」
ぱちん、と少女に両手で挟み込むように頬を叩かれてハッと我に返る。えと、今、私……。
『目の前の私を見るな。私を視ろ』
「へ……?」
少女に言われじっと目を凝らす。その、先。祭殿に彼女はいた。目の前の虚像よりもいくらか幼い姿で。紙垂のある縄に囲まれた、そこに。
『それでいい。うむ、まぁ及第点と言う事にしておいてやろう』
ヤレヤレと肩を竦めて目を閉じたままの巫女服姿の小さな女の子は肩を竦める。
「え、ええと……私は水無瀬真理といいます。アナタは……」
『ああ、真人から耳にタコができるほどに聞いている。うむ、最近ニンジンが食べれるようになったことも聞いておるぞ?』
「兄さん!?」
い、一体何をこの子に吹き込んでいるのかしら兄さんは!うん、と言うか何でそんなこと……。
『真人を責めるでないぞ?土産話が血なまぐさい事ばかりではと話してくれておるのだからな』
「……神様、なんですよね?」
『然り。私は――神産みの初めの子。その存在ごと海に流されたヒルコの命である』
――ヒルコの神。蛭子の神。それは古きゆかしき書物に記された神。
イザナミの命とイザナギの命が神産みを行った際、目が見であるイザナミから話しかけてしまった事が原因で不具の子として産まれてしまい、海に流されたという……。
『葦の船に乗せられての。私は心が育つ間もなく永い永い時を海を彷徨った。唯々空を眺めながら……な。そして、平安の世に私はようやっと摂津の国に流れ着いたのだ。何も知らぬ赤子として』
けれども、彼女には神としての力はあった。だから――
『こうして海も水もない社に私は封じ込められたの。水の神ヒルコの命として、ではなく海と豊穣の神……エビスとしてね』
「何がどうしてそんなことに……。エビスってあれじゃない。ヒゲ面の釣竿持ったオジサンでしょう?」
『この国は別の神を仏と位置付ける事がある。これもその一つというわけね。蛭子は感じで書くとヒルコともエビス、とも呼ぶことができるからの。だから私は福の神としてその力を振るってきたの。そう――この国の帝の為に』
そういえばお母様に聞いたことがある気がする。水無瀬の家は帝の血を継いでいて、昔は彼らに仕えていたんだって。けれど――
『だが、いつしか水無瀬はその力を自らの為に使うようになった。まぁ、ここを出たことがない私にはそれがいつからだったかなど知る由もないがな』
そう言ってヒルコ様はくすくすと笑う。だけど、よくわからない。ただの水の神様だったヒルコ様が福の神としてその力を発揮できるのだろうか?
『できるさ。それが信仰というモノだ。そして、そのために水無瀬は巫子を途切れることなく私の元へとよこして来たのだからな。そう、巫子と言う名の生贄を――な』
「いけっ!?」
思いもよらない言葉に私は思わずしりもちをついて倒れこんでしまう。
「そんな……じゃあ、私は――!」
『その命終えるとき、我がモノになる契約となっておる。その代わりに――水無瀬の家に繁栄を子々孫々に至るまでもたらす、とな。私の代わりに運よくなるために巫子となったモノたちには試練が与えられておる。事故に、事件に、暗殺に……。そして、その試練を乗り越えたのち。彼らの貯えた運を私が振りまいてやっている……のだそうだ』
それじゃあ、私が、兄さんが死んだあの剣岳の一件もその試練だったのだと?家に繁栄をもたらすために兄さんは死んで……。
『うむ、そんなこと全くないのだがな!』
「は……?」
『私はただ、私の持てる力で運を振りまいているに過ぎん。一体何がどうして巫子に試練を与える話になったかが未だに不思議でならん』
そう言ってヒルコは可愛らしく首をかしげている。
ない、無い?じゃあ、どうして、あんなことを……?
『代々の巫子たちはみなこう言っておった。何を言っても本家の連中はこちらの話を聞きやしない。試練を受けたくないがための言い訳ではないのか、と。結局のところ……奴らは自分たちが何かをする事で安心感を得たかっただけなのだろうな。まったく意味のないものだとしても、だ』
なんて、なんてひどい話なのだろうか?何の意味もない事を延々と代々と続けていて、それを現代になっても続けているだなんて……。
『奴らは与える災厄が強ければ強いほどにその運は高まると考えている。まぁ、間違ってはおらんのだが、方向性を間違っているのだよな。高まるのは個人の運だけであるし、その運があったところで死ぬときは、死ぬ。妾も契約した時点で巫子たちには加護をあたえていたのだが……代を重ねるごとに苛烈になって来ておるらしい。尤も、その全てを真人は跳ねのけていたのだがな』
大きく大きくため息を付いてヒルコはがっくりとうなだれる。
『はぁぁぁ。また帰って来たらお菓子と本にゲームを持ってくると言っておったのにのう……。もう遊びつくしてやることが無くて、もう暇で暇でたまらん』
「……ん?本?ゲーム?」
チラリと辺りを見回すと、祭殿の下の辺りに大きなテレビにゲーム機が幾つも並べられ、更にどこからか電源が繋がって来ているようであった。うん、どこから引っ張って来たのかな!?
『それは私にもわからん。真人の奴が配線はやってくれたしな!はぁ……真人ぉ……』
ヒルコはまた大きくため息を付く。……あれ?何かおかしく無いだろうか?兄さんはヒルコと契約をしていて、すでに死んでいる。
「兄さんは――死んでいないのですか?」
『いや、死んでおる。だが、その魂を、肉を、掠め取られたのだ。こことは別次元のどこかの神に、な』
「な――!?」
意味が分からない。というか、別次元の神様って話が跳躍しすぎじゃないの?!
『私とてわからん!はぁぁぁ……。眷属にしてずーっと一緒にいる私の計画が……うん、何だその目は。そんな目で見ても何も出せんぞ』
「……食べるんじゃあないんですか?」
『魂なぞ、腹の足しにもならん。そんなものより菓子の方がよい』
フンス、と鼻を鳴らしてヒルコ様は顔をそらしてしまう。じゃあ、なんで魂を自分の所へ――と聞こうとしたところで、膝をついてしまう。何、一体……。
『ふむ、これまでのようだな』
「これ、まで……?」
息苦しくて、声が思うように出せない。頭が、重くて、痛い……!
『私はこうなっていても高位の存在だ。普通の人間であるお前がそう長く話すことは難しいのだよ』
だから、こんな――
『契約は結ばれた。また来るといい。次は土産を期待しておるぞ。それと――お前には遠くない未来、選択の時が来る。心して決めよ。それが――』
全て聞き終える前に、私の意識は闇の中へと堕ちていく。決断?私は、一体何を決断すればいいの?問いの言葉を紡ぐことすらできず、私の意識はぷつんと途切れたのだった。
とってもとっても遅くなりまs( ˘ω˘)スヤァ
2019/12/10 タイトルを水無瀬の神→崇めしモノに変更しました。