第516話:王者
ズィグラッドが戦場の報告を受ける少し前────
「ちっ……さすがに抑えきれんか」
カサナエル軍の侵攻を少しでも抑えるべく、ライラはカルサの指示通り、残った部隊を編成し直しながら、牽制攻撃を繰り返し続けていた。
だが、カサナエル軍はバーメディ軍、並びにレア側に与した諸国連合軍の加勢を受けて大きく横に展開。
その数は約3万ほどにまで膨れ上がり、いかに機動力で優っているとはいえ、もはや数百騎程度の騎馬隊による攻撃では、文字通り焼け石に水の状態であった。
「ラ、ライラ様これ以上は……!」
「……潮時か。これより戦線から離脱する! 各員私に続け!」
「「「はっ!」」」
ライラは部隊を率い、カルサの指示通りに中央後方へ向け馬を走らせ始めた。
そして、走り始めてすぐ、彼女はちらりと後方へ視線を向ける。
「しかし……」
見渡す限りの人の波。
視界全体に広がるそれに、果たして抑えることなど出来るのかという疑問が、いかに立場ある身であるとはいえ、彼女の中に生まれてしまうのも無理からぬことであろう。
とはいえ、騎士団団長であるカルサが彼ら、つまりロード達の力を信じ、それに任せると判断した以上、己もそれを信じて従うのみと邪念を振り払った。
「……! まるで、英雄譚の一幕だな……」
視線を前へ移そうとした彼女の視界の端。
そこに映ったのは、1人の男が悠然と、何1つ臆することなく、迫る敵軍に向けてただ真っ直ぐに歩いていく姿であった。
その男は、白いファーがついた分厚い赤いマントをたなびかせており、よく見るとそれには手の込んだ金の刺繍が施されているのが分かる。
それは通常、王族や貴族が纏う類の物であり、それは黒を貴重とした鎧やブーツもまた同様であった。
そして、左の腰に下がっていたその金色の鞘に収められた片手剣が、形容し難いほどの存在感を放っていた。
「あれが本体か……凄まじいな。確かにあれならば……」
ライラは目線を切り、全力で馬を自陣へと走らせ始めた。
男はそれを横目でちらりと見送ったあと、綺麗に整えられた顎鬚に手をやった。
「うむ……懐かしい…………これぞ、戦場の空気よ」
3万に増えたカサナエル軍は、先ほどまでのようなゆっくりとした進軍から一転、駆け足に近い速度でベンディゴへと迫っていた。
風は彼らの背後から吹いており、まるでその進軍を後押しするかのようであった。
それを正面から受ける彼の、やはり綺麗に整えられた黒い短髪は、まるでその平原に生える芝と同じように、風で微かになびいていた。
「ッ! 単騎で……各員警戒しろッ!」
「遠距離魔法部隊構えろッ! 気を抜くな! 全力で潰せッ!」
レア側に与した国々は、既に嫌というほど知っていた。
この1年、数多の戦闘の中で、幾度となくロード=アーヴァインとその従者に戦況をひっくり返されてきたことを。
故に、もはやその単騎駆けを嘲笑う者は1人もおらず、そこには最大限の警戒と、全力で排除するという強い意志のみがあった。
男は、敵部隊の魔力の増大を感じ取ると、その場でぴたりと立ち止まり、その腰に下がった己が身に手をかけた。
「構えいッ!」
指揮官の声に、兵士達はそれぞれが渾身の魔力を練り上げる。
彼らが使う魔法はさまざまであるが、逆にその統一性のなさが、対処をより難しくさせる効果を持っていた。
そうして、ただ1人に対し、約1千人の魔力の矛先が向けられる。
それが放たれる直前、そこに一瞬の静寂があった。
「……不敬」
男がポツリと呟いたそれは、騒がしい戦場の中でやけに響いた。
「ッ! 攻撃開────」
「跪け」
その言葉と共に、引き抜かれた剣が天を向いたその直後────
「うッ!?」
「なんッ……がはぁ!?」
兵士達が、次々と地面に伏せていく。
より正確に言えば、地面に伏せ"られて"いく、である。
「か、身体が……勝手に……!」
「う、動け……ないッ……!」
まるで、何か巨大なものに身体を押さえつけられているかのように、地に伏せた兵士達は一切起き上がることが出来ずにいた。
そうして、前にいる兵士から順々に倒れていくその様子はまるで────
「頭が高いぞ貴様ら。これは、王への謁見であると心得よ」
男は更に前へと進む。
そして、もはやそれを咎められる者はいなかった。
「我が名はケニシュヴェルト。余の前では全てがひれ伏す……万物必倒の剣なり」
──────────────────
ケニシュヴェルト 王者の剣
古に存在したという鍛治職人、オルキュリアが作成した伝説の剣。
この剣に埋め込まれた魔石には、王という存在の重みが込められているという。
どんなものでも地面にひれ伏せさせる力を持つ。
ただし、発動中身体に触れられると能力は解除されてしまう。
また、使用者の実力と同等以上の相手には通用しない。
武器ランク:【SS】
能力ランク:【SS】
──────────────────
「……まぁ、口上はこの程度でよかろう。以前にもやっておるしな。そんなことよりも……フッ……少しは眺めがよくなったか」
右手に己が身である剣を持ち、腰に左手を当てながら、ケニシュヴェルトは不敵に笑う。
見渡す限りに並んでいた人の波は今、遠く離れた位置にいる後方部隊を除き、そのほぼ全てが彼にひれ伏していた。
これこそが彼の力。
"平伏すべし王者の剣"と名付けられたその能力は、自身の魔力を下回るものを強制的に地面へ伏せさせるという力。
その効果は、彼の魔力を感じたか否かによって発揮されるため、能力の有効範囲はまちまちであるが、今回は密集した軍勢であることに加え、横に広がっていたことが災いし、かなりの兵士がその力の餌食となってしまう。
「流石……と、云うべきなのであろうな……我が所有者は。だが……」
ケニシュヴェルトに与えられたロードの魔力は、彼の全力の10分の1にも満たない。
それでも尚、能力から逃れられた兵士はほぼいなかった。
そう、"ほぼ"である。
「フン……やはりな」
平伏した軍勢の中から、1人の男がスッと立ち上がる。
兵装も、そして纏う魔力も全く違うその男に向け、ケニシュヴェルトは納得するかのように何度か頷いてみせた。
「ゲイボルグ同様……読まれているという訳だ」
ズィグラッドが組織した遊撃隊は、各国を代表する実力者の集まりである。
そんな彼らであれば、ケニシュヴェルトが持つロードの魔力を上回り、自由に行動することが可能であった。
黒衣を纏ったその男は、ひれ伏す兵士達の間を縫うように歩き始めた。
そして、両方の腰にぶら下げた短刀の柄に手をやった刹那、大地を蹴って飛翔した。




