第517話:従者
「ほぉ……」
それは弧を描く跳躍ではなく、まるで地面と平行に飛んでいるかのようであった。
しかし、自身へと一直線に向かってくるそれを見ても尚、ケニシュヴェルトは剣をだらりと下げたまま、微笑を浮かべて構えもしない。
そうして、その勢いのままに男は、逆手で抜いた2本の凶刃をケニシュヴェルトの首目掛けて────
「ッ!?」
刃が首筋に触れる直前、両者の間に割り込んだ黒い影。
金属質な音とともに防がれた短刀を握り直しながら、弾かれた反動で後方へ一回転して着地した男は、そのままバックステップで大きく距離をとった。
「クックックッ……どうやら腕は立つようだが、ものの道理を知らんらしい。よく、覚えておくがよいぞ?」
ケニシュヴェルトは腰に手を当てたまま、そう言ってやはり不敵な笑みを浮かべる。
そして、彼の前に立ちはだかったそのメイドは、スカートの両端を摘んでぺこりと頭を下げた。
「偉大な王には常に、優秀な従者がつきものだ」
レヴィは頭を上げると、ケニシュヴェルトににこりと微笑んだ。
「ご無沙汰しております。ケニシュヴェルト様」
「うむ。あのダンジョン以来か。もはや、懐かしくすらある」
「ええ、私もです」
「フッ……今しばらく其方との会話を楽しみたい気分ではあるが、それはまたの機会としよう……あの時のように、美味い茶菓子もここにはないしな」
「ふふっ……腕によりをかけてお作りしますよ。この戦が終わった後で」
「ちっ……例のメイドか」
前を向いた2人の前で、黒装束の男はポツリとそう呟いた。
「あら、私のことをご存知なのですか?」
「ぬかせ……今この北の地で、貴様を知らん者など何処にもおらぬわ」
「それはそれは……過分なお言葉をありがとうございます」
「ふん……まぁよいわ。どちらにせよ、斬らねばならぬ運命ならば、遅いか早いかの違いに過ぎぬ。貴様を断ち、そこな厚顔無恥の極みとも言える男を討ち、この戦を長引かせた悪しき元凶……ロード=アーヴァインを消す。ただそれだけのこッ……!?」
男は、最後まで言葉を吐ききれなかった。
それは、目の前の女が、自身を遥かに上回る魔力を纏ったからに他ならない。
「……ロード様を……そうですか」
満面の笑みを浮かべながら、レヴィはそう言った。
黒装束の男は、無言のままに二刀を構えた。
そして、微かに腰を落とし────
「あら、お1人でよろしいのですか? ……ククリ様」
「ッ!? 俺を……!」
突然名を呼ばれたククリの動きがピタリと止まる。
そして彼は、心の中でさらに言葉を続けた。
"俺以外の存在に、気付いているのか?"と。
そんな彼の動揺に、レヴィの口角がさらに上がる。
「ええ、ええ……もちろん存じておりますよククリ様。あなた様が北の小国カラザスの兵士長であることも、今年40歳で、身長は172センチ、体重は68キロ、両利き故の二刀使いで、好きな食べ物は魚料理、嫌いな食べ物は……あら、これは意外ですね。体に良いのですから、野菜は食べられた方が……よろしいかと思いますよ?」
「な……!?」
「もちろん、平伏した兵士達に紛れたあなたの部隊のお仲間が、他に4名いることも分かっております。だから尋ねているのですよ」
レヴィはそう言いながら、一歩前に踏み出した。
笑顔のまま、ゆっくりと。
「あなたが、そのまま、お1人で……」
「ぬ……う……」
彼女が一言発しながら、その足を一歩前に出すたびに、纏った魔力がククリの身体を強く叩いた。
見えない壁に押し込まれるように、彼の足は勝手にじりじりと後退し、額からはおびただしい量の汗が滴り落ちる。
そして、彼女は悠然と、彼の間合いの中に入った。
それでも尚、ククリは彼女の目から視線を外せず、斬りかかることも出来ずにいた。
彼からすれば、まるで全てを見透かされているような、そんな感覚に陥り、身動きがとれなくなっていたのだ。
「本気で、私に……」
視線の先にいるのは、満面の笑みを浮かべた美しいメイドである。
しかし、それが本物の笑みでないことは明らかだった。
何故ならその魔力には間違いなく、憤怒の念が込められているのだから。
ふとそんなことを彼が考えていた次の瞬間、彼女の顔から笑みが消える。
直後、彼は自身の心臓が、"きゅっ"と鳴る音を確かに聞いた。
「……勝てると、お思いなのかと」
見下すような視線とともに、彼女は彼にそう言った。
「ッ! な……舐めるなぁぁぁああッ!!」
挑発による怒りか、それとも恐怖に対する防衛反応か、あるいはその両方か。
ほぼ反射的に繰り出された十字の斬撃。
「……ッ」
その時、ククリはレヴィと目があった。
赤く鋭く光るその瞳は、悍ましいほどに美しく見えた。
刹那、赤い残像を残し、レヴィの身体が深く沈む。
その直後、ククリが握る2本の短刀が、凄まじい衝撃音とともに砕け散った。
「な……!」
放たれたのは右の手刀。
魔力で強化した肉体に、透明の鎖を巻きつけた腕から繰り出されたその一撃は、十字に重なった二刀を文字通り粉砕した。
「馬鹿なごぉッ!?」
地面付近まで振り下ろした手刀をそのまま拳へと握り直し、起き上がる反動を利用した渾身の一撃が、ククリの身体をくの字に曲げる。
意識外の一撃に、ククリの脳は命を守ることを優先し、瞬時に意識と身体を切り離した。
結果、彼はそのまま地面へと崩れ落ち、そのまま動かなくなった。
「……来ませんか」
レヴィはククリを一瞥した後、ひれ伏したままの兵士達の方をじっと見つめた。
既に彼女は、ククリ以外の遊撃隊を見つけている。
彼女の鑑定魔法の力を持ってすれば、その程度のことは造作もない。
故に彼女は、わざと隙を作りながらククリと対峙していたのだが、その誘いに彼らは乗ってこなかった。
レヴィは兵士達に背を向けると、ケニシュヴェルトの近くへと向かって歩き始めた。
「流石だな。見事な動きだった」
「ありがとうございます。それより……」
レヴィはケニシュヴェルトにさらに近づくと、声を落として言葉を続けた。
「……残りは誘いに乗ってきませんでした。どう思われます?」
「うむ……時間をかけたい我らとしては願ってもないが、やはり不気味ではあるな」
「ええ。状況を考えれば、一刻も早く我々を排除したいはず……あの方お1人では、どうにもならないことなど分かっていたはずです」
「だろうな。しかし、諦めてもいないのであろう?」
「はい。彼らの魔力はそう言っています。現に今も……私に対し、その殺気を隠そうとすらしていません」
「……分からんな。だったら奴らは何故動かん」
「おそらく何かを……ッ!?」
その時だった。
強大な魔力が、突如として戦場を包み込んだ。




