第432話:内臓
バーンはエミーナを殺すことが出来ない。
繰り返しになるが、それはこの巨大な地下空間が彼女の魔法によって保たれているからである。
無論、ある程度補強されている為にすぐには崩れないだろうが、それでも彼女が死ねば空間を固定している魔法が解除され、いずれ崩落する可能性は極めて高い。
リナリアはそこに関係がないものの、何度か見た2人のやりとりを見る限り、エミーナの手綱を握っているのが彼女であった為、バーンは殺さないことを選択したのであった。
「まぁ、剣を使おうが使うまいが……あんま関係なさそうだがな」
「こ、このッ……エミーナァッ!」
「はぁぁぁぁあッ!」
度重なる爆発と爆炎にまみれ、赤銅色に彩られた巨大な地下空間。
しかしその瞬間、バーンの周囲のみが色を失っていく。
リナリアの命を受け、彼女は自身が持つ絶対の魔法を練り上げていた。
それは、対象を自身が生み出す異空間へ送り込み、更に幾重にも別の異空間を重ね合わせ、未来永劫幽閉するという強力にして無慈悲な魔法。
脱出こそされてしまったが、一度はバーンにも通じたそれを、彼女は再び繰り出したのだ。
だが――――
「はぁッ!」
「…………え?」
この男に、同じ刃は二度刺さらない。
「な、なん……で……!」
バーンがしたことは、左手に握った大剣を上段から振り下ろしただけ。
ただそれだけで、まるで最初から何も起きていなかったかのように……彼女の魔法は消え去っていた。
「それは……もう見た」
「ッ!」
バーンの鋭い眼光が、両手を前に突き出したまま空中で固まるエミーナを貫く。
直後、固まっていた彼女の身体が小刻みに震え出していた。
「エ、エミーナッ!」
もはや彼女に、上司の言葉は届かなかった。
何をされたかは分からない。
ただ分かったことは、自身の絶対は、彼にとっての一振りに過ぎないということ。
最初から分かってはいた。
分かってはいたが、改めて突きつけられた圧倒的な実力差に、彼女の心はもう、持たなかった。
「さて……」
「くッ!」
エミーナを見上げていた七影を束ねる女の視線が、彼の声に反応して元へと戻る。
少し離れた場所では、己が主人が激しい戦いを繰り広げ、その度に轟音とともに粉塵が舞っていた。
だが、彼女にはそれが、どこか遠くに感じ始めていた。
視界が、感覚が、思考が、その男に全て奪われていくかのように。
「まだやるなら付き合うが……どうする?」
相対するは、世界に10人しかいないSSSランク冒険者の1人、"神殺し"のバーン。
歴代冒険者の中でも、最強と謳われる1人。
それがほんの数メートル先で、これまでの戦いにおいて一度も感じたこともない強大な魔力を迸らせて自身を見ている。
彼女は、文字通り王の為に全てを捧げてきた。
王の一言で白は黒くなり、非は是となる。
この戦いも、王が世界を否定し、それを創り変える為のもの。
そこに私情はなく、ただ王の望むままに力を振るえばよかった。
ただ、それだけで――――
「……久しぶりなんじゃねぇか? それ」
「あ……う……!」
彼女はそこでようやく、自身の膝が震えていることに気付く。
王への献身、忠誠による滅私を遥かに超えた……恐怖によって。
「じゃ……終わりにするか」
バーンは右手の剣を背中に背負うと、その拳を改めて固めた。
先程よりも強く、かつ殺さずに、彼女を無力化する為に。
「……が……う……」
そうして、彼の重心が低く、前へと落とされた刹那、リナリアは何かを呟く。
轟音にかき消されたそれを微かに聞きながら、バーンはそれを無視し、彼女目掛けて拳を振り抜いた。
「……ッ!?」
だが、1秒にも満たないその時の中で、彼は確かにそれを見た。
「お前……!」
驚愕する彼が見たものは、左手の人差し指で己の耳を貫くリナリアの姿。
そして――――
「ち……がうッ!」
己の拳を、右腕一本で受け止めてみせた、彼女が流す血涙であった。
「ちッ……ん!?」
予想外の事態に、バーンは咄嗟に距離を取ろうとするが、何故かそれが行えない。
というより、頭の先から足の指一本に至るまで、その全てが彼の意思に反して動かなくなっていた。
「こいつッ!?」
「わ、私は……陛下の……」
リナリアは、バーンという名の恐怖に屈した時、己という存在に心底失望していた。
王の為に全てを捧げると語っておきながら、死ぬことに怯えてしまった己に。
だから彼女は、自身の"掌握魔法"でいじったのだ。
自分自身の脳にある、人間が本来持つべき制御機能を。
「……陛下のことだけをォォォォオッ!!」
バーンの身体を掌握し、一時的に動けなくした彼女は、受け止めた彼の手を払い除け、その右腕を振りかぶる。
この時、彼女の右腕の骨は受け止めた衝撃で折れており、肘からは鋭利なそれが突き出していた。
だが、今の彼女に痛みなどという足枷はない。
加えて、本来人間が自身を守る為にセーブしている力を開放し、少女の身体からは想像出来ない膂力を彼女は得ていた。
だからこそ、腕は破壊されたものの、バーンの拳を受け止められたのである。
そして、彼女はそれを攻撃にも利用した。
「死ねぇぇえッ!!!」
振り抜いた右腕が鎧を砕き、皮膚を突き破って内臓へと到達した瞬間――――
「あはっ……あはははははははははッ!」
彼女は、絶頂を迎えた。
「陛下の前に出るからぁッ! ゴミ屑のッ……カスみたいな存在の分際で貴様らはぁッ! あはははははッ! 駆逐してやるぁッ! おらぁッ! 内臓をぶち撒けて死……!」
「ふむ……なるほどな」
「…………あれ?」
確かに掴んでいた。
最強の男の内臓を。
だが、彼女の目の前には……もう、誰もいなかった。
「な、内臓……あえ……?」
何もない空中を揉みながら、リナリアはゆっくり後ずさる。
その時、後頭部に何かが触れた。
「外部からの強制じゃなく、内部への強制……お前の魔法は、魔力を送ったものに干渉する力だった訳だ。最初に俺の拳を受け止められたのは、触れた瞬間に俺の動きに干渉して、威力を軽減したからってとこか。いい魔法だな」
背後から淡々と語られるそれを聞き、リナリアは呆然としながら振り返る。
「な、なん……よろい……」
砕いた筈の黒い鎧は綺麗なまま、まるで何事もなかったかのように、無傷で立つバーンがそこにいた。
「悪いな。お前が見たのは……違う時空の俺だったんだ」
直後、バーンが消える。
そして、リナリアの意識もそこで……消えた。




