第393話:路地裏
宿から出た直後、リドリーは後ろを走るジグドラへと振り返る。
「いつも通り俺が前……お前は後ろだ!」
「ああ……!」
ジグドラが応じるや否や、リドリーは己の胸へと右手を当てる。
その瞬間、リドリーはその場から一瞬で消え失せ、シェリル達が消えていった路地裏を形成する建物の屋上へと降り立っていた。
彼の転移魔法は、移動したい対象に触れ、それを移動させたい場所を視認する必要がある。
長距離間の移動は不可能だが、その代わりに連発が利き、移動精度も極めて高いという特徴があった。
更に、彼には異常な視力をもたらす"鷹の目"というスキルがある為、遮蔽物さえなければ数キロ先まで移動出来る。
魔法とスキルが上手く合致した彼は、それ故に幾度とない修羅場を潜り抜け、今日まで生き抜いてこれたのだった。
「いた……!」
そうして、屋上から見下ろす先に、カレンを背負って歩くシェリルを見つけた彼は、通信魔石に魔力を込めた。
「宿から11時の方向……人影なし」
『……了解』
"人影なし"。
その一言で、ジグドラは瞬時にスイッチを入れる。
出来れば町を出てからが望ましい。
夜であれば尚更いい。
だが、町を出るという確証もなければ、夜を待つには長すぎる。
故に、今やるしかない。
この路地裏で。
言葉を交わさずとも、2人の意思は合致していた。
「医者のジジィが出入りしてんのは確認済み……ギルド内に1時間いたのは、ジジィの治療を受けてたからなのは間違いねぇ」
『ああ……んで、その後バイザーが来た。ミュンはあの野郎とできてる。そこでバイザーを頼ったが……拒否られた訳だ』
「バイザーはシュメールの評判を上げようと躍起になってるからなぁ……こっちとしてはラッキーだったぜ」
『間違いねぇ』
「ククッ……ふらついてやがる。ありゃ完治はしてねぇな。もう1人もおねんねしたまんまだ。じゃ……いこうか」
ジグドラが路地に入ったのを確認し、リドリーは口に当てた通信魔石へとそう呟いた。
『ああ……いくぜ相棒』
「……2秒で決着だ」
そうして、リドリーは通信を切り、再び自身の胸に右手を当てた。
「ッ!? こ、これはッ……!」
既にリドリーの左手には短剣が握られ、驚愕の声を上げる彼女の背後に転移した刹那、それを躊躇なく振り抜い――――
「なッ……!?」
直後、高い金属音が鼓膜を震わせ、それと同時……彼の左手に衝撃が走った。
「はぁ!? ど、どこから……!」
ジグドラは、霧で覆われた箇所に存在する全てを探知出来る。
人は勿論、物体でさえ、目を閉じていても手に取るように把握することが可能である。
だからこそ、驚愕を禁じ得なかった。
間違いなく、そこには何もなかったのだ。
直前まで。
彼女達2人以外は。
そして、リドリーにも見えていなかった。
だが、いたのだ。
冥界の兜により……姿を隠していたその男が。
「うッ!?」
驚愕もつかの間、リドリーの胸倉を、銀色の腕が掴んでいた。
そして、これによりリドリーは確信する。
"こいつは、この霧の中でも間違いなく見えている"、と。
剣を弾かれただけなら、殺気を捉えられたということで説明がつく。
だが、正確に、迷いなく、その腕は霧を引き裂いて自身の胸倉を掴んだ。
故に"見えている"。
「ちぃッ……!」
顔は見えない。
フードとマスクで隠れている。
左手に剣。
柄は金、剣身が白い。
美しくすらある。
恐らく装飾剣の類い。
身分が高い可能性もある。
防具は自身を掴んでいる右手と腰から下のみ。
服は黒。
マントもつけている。
凄まじい膂力。
振りほどけない。
引き寄せられる。
右足が前に出た。
このままでは串刺しにされる。
打開策は――――
凝縮された一瞬。
彼の脳内に、様々な情報が一気に流れていた。
そして、それら全てを瞬時に処理する。
数多の戦いを乗り越えたことで得られる、経験という名の最大の武器。
何者なのか。
何故急に現れたのか。
何故霧の中でも見えているのか。
それらの疑問を浮かべることすらなく、彼の脳は、己が左手に指令を送っていた。
「はぁッ!」
弾かれた左手には、まだ短刀が逆手に握られている。
彼は、それをそのまま、自身を掴む右腕の肘関節へと振り下ろした。
だが――――
「えッ……!」
それがただの鎧だったならば、彼の行動は正しい。
しかし、魔銀の義手に……刃は通らない。
「おッ……ごぉッ……!?」
次の瞬間、彼の腹部に激痛が走る。
身体がくの字に折れ曲り、自身でも聞いたことのないような声が勝手に漏れ出ていた。
強烈な膝の一撃。
そうして彼の脳は、激痛による精神の瓦解を防ぐ為、強制的にその機能を停止したのだった。
「……グレイプニル」
地面に崩れ落ちた彼に、手帳から伸びた縄が巻きついていく。
能力の使用を禁ずる神の縄。
これにより、リドリーは完全に無力化された。
「リ、リドリー……!」
一瞬の出来事に、ジグドラは一切動けずにいた。
霧の中で何があったかは、当然全て把握している。
しかし、どうすることも出来ない。
彼の仕事は後方支援。
前に出るリドリーの戦闘を補助し、場合によっては逃げ道を作ることがその役割である。
自身より、遥かに白兵戦に長けたリドリーが瞬殺されたのだ。
霧魔法に攻撃力がない以上、今彼に出来ることは一つしかない。
「に、逃げ……だがッ……!」
"リドリーを置いてはいけない"。
奇しくも、彼は先程のシェリルと同じ立場に立たされていた。
仲間を捕らえられ、為す術もない。
加えて、彼は既に罠に嵌ったことを理解している。
誘い込まれ、まんまと引っかかってしまったと。
それはつまり、バイザーが彼女達の仲間であることを指していた。
リドリーを倒した男だけでも手に余るというのに、バイザーが後ろから現れたなら……そんな恐怖と、リドリーを助けなければという思いが、彼の足を地面に縛りつける。
そして、そんな逡巡を――――
「おぼぁッ!?」
「……隙だらけですよ」
レヴィが、逃す筈もなかった。




