第371話:兄
数分前――――
「ロ、ロードさんそれッ!」
「ああッ!」
ロードの手の中で、通信魔石が光を放つ。
すぐさま魔力を込め、彼は魔石を口に当ててその名を呼んだ。
「レヴィッ!」
『お待たせしましたロード様! 状況は!?』
「今まさにブランスさんが戦ってるとこだ! かなり劣勢……もう時間がない! 今どこだ!?」
『既に闘技場内です! アプル様はエクスカリバー様の背に! 今私達は控え室に向かって……!』
「それじゃ駄目だ! なんとかしてブランスさんにアプルさんが来たことを知らせ――――」
『クリーンヒットォッ! 凄まじい一撃にッ……ブランス選手遂にダウンッ!』
その時、キャロルの声が闘技場内に響き渡り、ロードの視線がそこへと向かう。
「ッ! あれだッ……レヴィッ! どこでもいいッ! 観客席に出てくれッ!」
『か、観客席に!? ですがッ……!』
「レヴィの居場所はすぐ分かる! 策は……今持っていく! 来いッ……ブリューナク! タラリア! 急げレヴィッ!」
『は、はいッ!』
「ソフィア下がれッ!」
「ひゃいッ!?」
通信魔石を放り投げ、ロードは手にした灼熱の槍を窓へと向ける。
そして、足に翼が生えた刹那、全力で床を蹴った。
「ちょっ――――」
ソフィアの驚愕の声を置き去りに、ロードは窓を焼き切り、雷速で空を駆ける。
そうして――――
『ちょッ!?』
「少し借りますッ!」
観客達が全く気付かぬうちに、実況席へと飛び込んだったのだった。
―――――――――――――――――――――
大歓声がこだまする通路を駆け抜け、階段を一気に飛び越えた先に、雲一つない晴天の空が広がっていた。
そして、次に彼女が見たものは――――
「お、お兄様ッ……!」
地に伏せ、頭を踏みつけられる兄の姿だった。
「くッ! まずいッ……!」
レヴィの目には、今のブランスの状況が正確に"視えて"いた。
ダメージは深い。
もはや、立ち上がれないほどに。
「そんなッ……お兄様ッ! お兄さ――――」
「ざまぁみやがれブランスッ! てめぇの負けだぁッ!」
「えっ……」
「二度と立てないようにしてやれッ!」
「いいぞコスモー!」
「クズにはお似合いの姿だ! なぁ!?」
「ああ! スカッとするぜ!」
「ひ、ひどい……なんでそこまでっ……!」
矢継ぎ早に聞こえてくる、兄に向けられた罵声。
分かってはいた。
覚悟もしていた。
だが、それでも尚、彼女の心臓は悲鳴を上げる。
途端に溢れ出した涙が、踏みつけられるブランスの姿を歪ませた。
「お兄様ッ……私……ごめんなさいっ……」
だが、彼女は耳を塞がなかった。
聞かなければならないと、そう思ったから。
兄の現実を……戦いを。
そして涙を拭い、力の限り――――
「お兄様ぁぁぁぁあッ! 頑張ってぇぇぇえッ!」
そう、叫んだ。
「アプル殿……!」
「立ってお兄様ぁッ! アプルはここにッ……ここにいますッ! ちゃんと見てますッ!」
「おいあれ……」
「あ、ああ……俺見たことあるぜ。ありゃブライトシャフト家の……」
「ブランスの妹じゃねぇか……な、なんでこんなとこに……?」
周りの観客達がざわつき始める。
だが、それに気付いたのは近くにいたほんの一部。
大多数の観客達にはもちろん、彼女の叫びは……ブランスにまで届かない。
「お兄様ッ……おにッ……うぅ……ぐすッ……私に勇気がない所為で……見届けなければならなかったのにッ! 私はッ……お兄様に何も返せていなかったのにッ……!」
兄が妹に感謝していたように、妹もまた、兄に心から感謝していた。
"ごめんアプルッ……! お、俺はッ……二度と怖がらないッ……! 絶対に……み、見ててくれアプル! お兄ちゃんは……この世で一番……勇気のある人間になるからッ……!"
あの日、兄からもらったこの言葉。
この言葉が、足の代わりに彼女を支えてきた。
だからこそ、応えなければならなかったのだ。
「おにい……ぐすっ……ちゃ……負けないで……!」
兄の勇気に報いるのは、今まさにこの時であったのだと、彼女はようやく気付く。
そして、彼女は肺に空気を叩き込んだ。
その時――――
「はっ!? ロー……!」
彼女の口元に、魔石を持ったロードの手が添えられた。
『負けないでッ……おにいちゃぁぁぁあんッ!!』
―――――――――――――――――――――
「なッ!? い、今のは!?」
アプルの叫び。
それは、ロードが握り締めた実況用の増幅魔石を通じ、闘技場内全てに轟いていた。
無論――――
「ア……アプルッ……!」
その男の耳にも。
『私はッ……お兄ちゃんに感謝してるッ! 感謝しかないッ! どこにも行けない私の為にッ……お兄ちゃんは世界を見せてくれた! だからもうッ! 周りが何を言っても気にしない! どうでもいい! だってお兄ちゃんは……お兄ちゃんはッ! 私にとって……最高の勇者様ッ……だからッ!』
「ッ!」
『お兄ちゃんッ……頑張れぇぇぇえッ!』
瞬間、試合場が金色の光に包まれていく。
それは当然、"箍無し"と呼ばれる……その男から放たれていた。
「こ、これ……はッ……!」
「……おい」
「はッ!?」
「いつまでくせぇ足を……」
「うッ……おッ……!?」
消えかけていたブランスの魔力。
それが今は、コスモを遥かに凌駕する――――
「俺の頭に……乗っけてやがんだこの野郎ッ!!」
「ぐッ!? おぉぉぉおッ!?」
魔力の圧のみでコスモを弾き飛ばし、ブランスはゆっくりと立ち上がった。
顔の傷は消え、身体には生気が漲り、金色のオーラに大気が鳴動する。
アプルのおかげで乗り越えられた、人生最大の窮地。
故に勇気魔法は今、彼の人生の中で……最大の力を発揮していた。
「ば、馬鹿なッ……この私が魔力だけでッ……!」
「アプルッ!」
『お兄ちゃんッ……!』
闘技場内には、2人の声だけが響いていた。
歓声もブーイングもない中、ブランスは彼女に背を向けたまま、その拳を天へと向けた。
「見とけ……俺の戦いをッ!」
『ッ! ……うんッ!』
瞬間、金色の魔力は更に勢いを増し、それがブランスの拳へと集まっていく。
そして、彼はそれをコスモへと向けた。
「好き放題殴りやがってこの野郎……覚悟は出来てんだろうなぁッ!? あぁんッ!?」
「ッ! あ、あなたが何をしようがッ……私の方が速いことに変わりはないッ! 今一度! 地に伏せさせてあげますよッ!」
「ハッ! もうタネはッ……!」
コスモの姿が消える。
だが、次の瞬間――――
「なぁッ!?」
その拳を……ブランスの手が掴んでいた。
「割れてんだよ……この野郎ッ!」
「がはぁッ!?」
コスモの身体がくの字に曲がる。
ブランス渾身の拳。
あばらは砕け、内臓が悲鳴を上げた。
「おッ……げッ……!」
口から血を撒き散らしながら、コスモの身体が試合場の上で何度も跳ねる。
やがて勢いが弱まり、彼はうつ伏せに倒れこんだ。
「がはッ……な、な……ぜ……!」
必死に身体を起こし、コスモはブランスを睨みつける。
「攻撃が直線的過ぎんだよ。今の俺なら、タイミングを合わせるのはそう難しいことじゃねぇ。ま、あんだけぶち込まれたからってのもあるがな」
「くッ……!」
「てめぇの魔法はなんなのかは分からねぇが……能力自体は理解出来たぜ?」
ブランスは説明を省いたが、最初の時点である違和感を覚えていた。
コスモの初撃は、ブランスがガードしていた顔面に対するものであった。
最初は、単に鎧を纏っている部分を避けたのだと思っていたが、三撃目には腹部を打ち抜かれている。
故に、ブランスはこう考えていた。
コスモの攻撃は、予め狙いを定め、その通りにしか攻撃出来ないのではないか、と。
それを証明するように、ブランスが攻撃のパターンを読んで拳を放った際、コスモは薄皮一枚の距離で止まっている。
攻撃のキャンセルは出来ても変更は出来ない。
それはつまり――――
「てめぇ自身が速すぎて、決められた動きしか出来ないんだろ?」
「……ッ!」
コスモの魔法は"瞬間移動魔法"。
全身なら決められた位置まで、身体の一部ならその可動範囲の中で、瞬間的に移動させることが出来る力である。
その速さは人間の反応速度を遥かに凌駕しており、目で捉えることはまず不可能。
加えて、その速さから繰り出される打撃は破壊力が高く、自身の身体に掛かる負荷は無視される。
ただし、ブランスが推理した通り、自身もその速さに完全にはついていけていない為、最初に決めた行動か、移動自体をキャンセルすることしか出来ない。
また、直線的にしか移動出来ないという点も、この魔法のデメリットの一つである。
「確かにてめぇは速ぇ。けど、正直ザワンほどじゃねーな」
「な、なんッ!?」
「あいつが全力で動いたら、見える見えないの話じゃねーんだよ。てめぇみたいに単調じゃねーし、それ以前に……あいつの足は、時を超えちまうんだ」
「と、時を……」
「話が逸れたな。さて、今度は俺が聞くぜ……負けを認めるか?」




