第358話:8人
かつては極度の緊張により、じっとりと汗ばんでいたその手のひら。
しかし、今では滑らかに行き来する左の指先に、彼は経験という財産の偉大さを感じていた。
と、その直後――――
「「「「ブゥゥゥ……ゥゥゥゥゥ……!」」」」
「おわっ……やっぱり凄いな……」
常に聞こえていた大歓声が、突如としてブーイングに変わる。
それは当然、彼の後ろを歩く者へと向けられていた。
『す、凄まじいブーイングが沸き起こっておりますがッ……とりあえずご紹介させていただきますッ! 誰もが尻込む危険な依頼を自ら進んで受け続けッ! その全てをッ……己の実力一つでねじ伏せてきたこの男ォッ! その姿に……いつしか人は彼を"箍無し"と呼んだッ! かの黄金世代が1人ィッ! SSランク冒険者ァッ……ブランス=グリュック=ブライトシャフトォォォォオッ!!』
「「「「ブウゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!」」」」
『のわァッ!? こ、これは凄いッ……!』
『どんだけ嫌われてんのよあいつ……あ、失礼しました。えー……ブランス選手は非常に優秀な冒険者なのですが、地元ではあまり好かれていないようですね。ですが、このブーイングをバネに頑張ってほしいと思います』
『で、ですね! 期待しましょうッ!』
「はぁ……アプル……なんで……」
しかし、当の本人はそれどころではない。
耳をつんざくようなブーイングですら、彼にはまるで聞こえておらず、頭の中は妹アプルのことでいっぱいになっていた。
「ブランスさん……」
肩越しにブランスを見たロードは、心配そうに彼の名を呟く。
ブランスは顔をうつむかせ、足取りも弱々しく、まさに心ここに在らずといった状態。
事情を知らない者からすれば、それがブーイングによるものだと思うのだろうが、仮にアプルのことがなければ、彼はこの状況でも口笛を吹きながらスキップくらいはしていただろう。
そういった彼をよく知るロードは、この落ち込みようがどれだけ重大なことかを理解していた。
彼がそんなことを考えていたその時、今度はブーイングが大歓声へと変わる。
『おッとォッ! 会場の雰囲気が一気に変わったァッ! それもその筈ッ! 最後に登場したのは"爆蓮"の二つ名を持つこの男ッ! シュメール冒険者ギルドを獅子奮迅の活躍で支え続けッ! 今や実力、人気ともにナンバーワンッ! 今大会優勝候補筆頭ッ……バイザー=アッシェヴェルメェェェエッ!!』
「「「「ワァァァァァァァァァアッ!!」」」」
拳を掲げるバイザーの姿を見て、ブランス登場の際とは打って変わり、シュメール国民の大歓声が会場を支配する。
彼らにとって、バイザーは特別な存在だった。
シュメール出身のSSランク3名の中で、彼こそが真の英雄。
暴れるだけ暴れた後、国を放り出して他所で名を上げた貴族の息子や、過去の栄光はさておき、昼間から酒を呑んだくれるギルドマスターとは違い、彼が誰よりもシュメールの為に身を粉にして戦っていると、そう感じていたから。
しかし、彼らは知らない。
それが、彼の個人的な事情……ある種の復讐によるものだということを。
何も知らぬ民衆の嬉々とした声を浴びながら、深い闇を抱えたバイザーはゆっくりと歩を進める。
そうして、試合場の上に7人の冒険者が揃った。
『さぁッ! 冒険者の紹介が終わったところでェッ! 今回特別に参加するゲストの方をご紹介致しましょうッ! 皆さまッ! 王族観覧席をご覧くださいッ!』
会場にいる全ての者の視線が、王のいる壇上へと向けられる。
そこには、既に椅子から立ち上がって手を挙げるシュメール王と、その周りを囲うようにして座る王の親族、そして彼らを守る護衛の姿だけがあった。
だが、次の瞬間――――
「……速い」
ロードがそう呟くのも無理はない。
瞬きすることなく見ていたその光景。
まるで最初からそこにいたかのように、その男は王の隣に立っていた。
『えッ!? あ……み、皆さまッ! ご紹介致しますッ! 今回初開催となるシュメールの闘技大会ッ! それを祝う為ェッ! シュメール王が懇意にされているオリンポス王……ザディアック様からの贈り物ォッ! かつてはSSランク冒険者として活躍されッ! 現在はオリンポス第四騎士団団長として、世界に名を轟かせるこのお方ァッ! "五剣帝"が1人ッ……コスモ=リヒカイトォォォッ!!』
「「「「ワァァァァァァァァァアッ!!」」」」
コスモはシュメール王と握手を交わした後、その場から一瞬で姿を消す。
『き、消えッ……!』
『試合場にいますよ』
キャロルを含めたほとんどの人間が唖然とする中、ロードとバイザー、そしてオルグレンの3人だけが彼の動きを捉えていた。
因みに、ブランスはそれどころではない。
『え、あ、い、いつの間にッ!?』
『詳しくは言えませんが、彼の魔法はそういう魔法ですから……目で追えないのも無理はありません』
『な、なるほどッ……!』
『それにしても、ここにいる皆さんは本当に運がいい。コスモがいることも勿論そうですが、これだけレベルの高い冒険者が一堂に会するというのは、そうそうあることではありません。断言出来ます……素晴らしい戦いが繰り広げられることを。期待しましょう』
『ですねッ! それでは皆さまッ! 今一度感謝を込めッ……試合場にいる8名に大きな拍手と声援をお願い致しますッ!』
「「「「ワァァァァァァァァァアッ!!」」」」
「逃げずに来たんですね……ブランスさん」
大歓声の中、コスモは視線を合わせずに、そうブランスに声を掛けた。
「……んだと?」
それにより、ブランスの顔つきが一気に変わる。
「ふふ……よかった。調子が悪いように見えましたが、どうやら私の杞憂だったようですね。これなら負けた言い訳に……それを使われることもない」
「せいぜい今のうちにほざいとけ。つか、お前こそ俺と戦う前に負けたり……」
「それはあり得ませんよ。勿論……あなたもね」
「……あ?」
『それでは早速始めて参りましょうッ! トーナメントの組み合わせですが、午前の部が白熱したこともあり、少々時間が押しておりますッ! その為、お昼の休憩時間を利用し、既に抽選を終了させていただきましたッ! 皆さまッ! 会場に設置されている映像板をご覧くださいッ!』




