第319話:震え
直後、ズィードの踏み込みが、幾何学模様に並べられた色レンガを瓦礫に変える。
発動した"無力化魔法"により、空気抵抗や重力など、自身の枷となる一切の抵抗を無力と化し、硬く握り締めた拳をアナへと――――
「ッ!?」
「ふふっ……」
反応すら困難な、誇張なく音速を超えた一撃。
だが、握り締めた右の拳は空を切り、まるで耳元で囁かれたかのような麗しい笑い声が、目を見開く彼の右の鼓膜を僅かに震わせていた。
「ちぃッ……!」
その不快な音を搔き消すかの如く、続けざまに放たれた右の回し蹴り。
やはり音速と謳えるそれも、なんの感触もない空気を穿つのみに終わる。
「……素晴らしい。よくぞ……いえ、とにかくお見事です」
距離を置き、アナは両手を開いて笑っていた。
まるで、ズィードを見下すように。
少なくとも、彼にはそう見えた。
「相手が私でなければ、間違いなく初撃で即死だったことでしょう。まぁ、当たらなければ意味などないのですが」
「てめぇ……」
「ふふ……言っておきますが、あなたを侮っている訳ではありません」
それを察したのか、アナはやはり笑みを浮かべながらそう告げる。
「素直に驚嘆しているのです。躱すことで精一杯なのは……初めてのことですから」
それは、偽りなきアナの本心。
無論、ズィードがそれを知る由もなく、邪魔な感情を排除して残ったのは……"本気の一撃を躱された"という事実のみ。
その事実を飲み込んだ直後、既にズィードの思考は切り替わり、"何故躱されたのか"という一点に注がれる。
「ったく……なんで俺の相手はこんなんばっかりなのかねぇ……」
そう悪態をつきながら、ズィードは思考を研ぎ澄ませる。
放ったのは音速の一撃。
それを見てから反応出来る者はそういない。
バーンのような身体能力や反射神経、または経験値からもたらされる"読み"など、戦闘に特化したタイプならば"まだ"理解出来る。
だが、目の前の女はどう考えてもその類いの使い手ではない。
となると必然的に……その力は絞られる。
「私の魔法は分かりましたか?」
「ハッ……うるせぇよ」
まるで心を読んだような問いを受けても、ズィードにさしたる動揺はなかった。
そういう使い手との戦いも、彼の力の礎となっている。
そして、目の前にいる女もまた……その系統の使い手であると、ズィードは既に確信していた。
「ふふっ……まぁ、大体あなたの考えている通りだと思いますよ? ただし……そう単純なものでもありませんが」
その言葉に、ズィードの眉が微かに動く。
「……見かけによらず、よく喋りやがる女だな。その調子で……てめぇの魔法も語っちゃくんねぇか?」
「それはお断りします。相手の力を暴くのも興の一つ……あなたからそれを奪いたくありませんから」
「ちッ……やっぱ女には、口じゃ勝てそうにねぇ」
「ふふふ……では、そろそろ……なッ!?」
「……あん?」
その時、彼女の力が彼女へと告げていた。
自身が既に……踊らされていたことを。
―――――――――――――――――――――
「シェリル様!」
「ッ!?」
地下牢に響き渡る男の声に、シェリルの肩が激しく揺れる。
彼女は咄嗟に鉄格子から手を離し、声のした方へと視線を向けた。
「あ……」
「やはりこちらにおいででしたか……ご無事でなによりです」
現れたのは、彼女もよく知る協力者の1人であった。
「既にご承知のこととは思いますが、賊がこの城に迫っております。私はアナ様の命でここへ……あなた様をお守りするようにと」
「そ、そうでしたか……」
「ご不安だとは思いますが、ここは元より隠された場所……存在を知らなければ、決して辿り着けません。それに、もし何かあれば私が盾となります。どうかご安心を」
「……ええ。ありがとうございます」
彼が発した自身を案ずるその言葉は、今の彼女にとっては何よりも辛い言葉であった。
だが、もう迷いはない。
故にシェリルは……通信魔石へと魔力を流すのだった。
「クックックッ……ざまぁねぇぜ。天下のティタノマキア様が大慌てじゃねぇか」
「……!」
「カレン様……」
"出来る限り攫われたように見せかける"。
事前の取り決め通り、シェリルがティア達を呼んだことを察した彼女は、わざとそうやって悪態をついた。
「このままあたいを連れ去ってもらいたいねぇ。そうじゃなきゃ、さっさと殺して欲しいもんさ」
「カレン……!」
シェリルもそれに乗じる。
彼女やカレンの安全を第一に考えれば、"裏切った"より"連れ去られた"ことにした方がいいのは当然であり、更に、もしこれが"裏切った"と判断された場合、その疑いの目は……間違いなくリセルにも向けられるだろう。
それだけは、なんとしても避けなければならないと、シェリルはそう考えていた。
「そんなことにはなりません……あなた様も私が守ります」
「ハッ……頼んじゃいねぇんだよんなこたぁ! あたいは1人で静かに暮らしてぇんだ! あたいにとっちゃなぁ……てめぇらこそが悪なんだよッ!」
「カレン様……!」
「あたいは世界なんさどうだっていい! てめぇがてめぇの人生を送って何が悪いんだ!? ああ!? ただでさえ"無能"なんつークソみてぇなハンデをもらってんだ……余った残りくらい好きにさせろよコラァッ!」
「お、お気持ちは……!」
「……いや、分かってねぇな」
「ッ!?」
地下牢に響く低い声。
咄嗟に振り返った協力者の男の視界に、顔を隠した3人の賊が映っていた。
「ば、馬鹿な……何故ここが……!」
彼は瞬時にシェリルの前へと立ち、現れた侵入者達を睨みつける。
「おいおい……分かる分からない以前に、こんな薄汚ぇところに女の子を閉じ込めるなんざ……非道にも程があるんじゃあねぇのか?」
「ちッ……ここは私がなんとかします。おい貴様ら! 何者かは知らぬが、この方々には指一本触れさせんぞ! 世界を救えるのはティタノマキアのみ……その邪魔はさせんッ!」
「……駄目だなこりゃ。会話にならねぇ」
「世界を堕落させる悪しき者どもめッ! 我が魔法の前に散るがいい! はぁぁぁぁぁッ……つぁッッ!!」
そうして、気合いと共に放たれた火球は――――
「ぬんッ!」
「へあッ!?」
ディンの気合い……いや、彼の魔法によって一瞬で霧散した。
「な……なな!? ば、馬鹿なッ!? 我が渾身の魔法を触れもせずにッ!?」
「……さて、今度はこっちの番だな」
「ぐ……うッ……! シェ、シェリル様お逃げ……!」
「ふんッ!」
「あっ!?」
その時、彼の視界が大きく揺れる。
まるで……陽炎のように。
「お……がッ……!」
直後、身体を突き抜ける凄まじい衝撃に、彼の膝が意思とは関係なく勝手に折れる。
そうして崩れ落ちるように倒れた彼は、そのまま眠るように意識を失ったのだった。
「「シェリル!」」
2人はそれを見届けた後、シェリルに駆け寄ると同時に彼女を抱きしめる。
「ティア、アスナ……ありがとう。ディンさんも」
「おう。どうやら上手くいきそうだな」
「ええ。それにしても凄いですね……何もかも触れずに……」
「"波動"っていうらしいよ」
「は、"波動"……?」
「ああ。俺の魔法は"波動魔法"。簡単に言や、空気の震えって感じかな。因みに、震わせ方一つで色々出来るぜ。簡単な傷なら癒すことも可能だし、今みたいに敵を内部から攻撃することもな」
「内部から……」
シェリルは倒れている男に視線を向ける。
どこか悲しげなその表情を見て、ディンは彼女の頭に優しく手を置いた。
「あ……」
「心配すんな。かなり手加減してある。気を失ってるだけだ」
「……すいません」
「いいんだ。気持ちは分かる。本当にな」
「……自分でも分かってはいるんです。でも、やっぱり申し訳ない気持ちが……」
「もしもーし……お取り込み中悪いんだけどさぁ、とりあえず出してくんねーか?」
「あ、ご、ごめん!」
「つか、さっさと逃げようぜ? もうこんなところに1秒だっていたくねーんだよあたいは」
「確かに……のんびり話してる場合じゃなかったな。んじゃ、自己紹介は後にして……脱出するぞ」




