第204話:愚王
帝都オリンポス。
ヴァルハラ大陸の中央に位置する、5大国家の1つオリンポス最大の都市である。
首都ニーベルグに次ぐ広さを誇り、その人口は約3000万人。
商業、工業、観光業、冒険者業など、全てに於いて秀でていることから、"この世の全てを収めた町"と、そう呼ばれている。
町は堅牢な鋼鉄の壁に覆われ、また、他国にはない強力な兵器が多数配備されており、その軍事力は他の追随を許さない。
町の中にも三層の壁があり、第一層は冒険者や商人、一般市民などが暮らす居住区や商業施設が建ち並び、第二層は各種政府機関や貴族、豪商、または高ランク冒険者の豪邸などが軒を連ねている。
そして、町の中心である第三層には、選ばれし者しか入ることの許されない……巨大で豪華絢爛なオリンポス城が悠然とそびえ立っていた。
かつてはこんな壁などなかったのだが、先代オリンポス王の後を引き継いだ現国王、ザディアック=オリンポスの鶴の一声により、町は現在の姿へと変貌を遂げる。
それに対し反発が起きるのは至極当然のことであったが、彼は一切聞く耳を持たず、更には壁の建設費用、軍事力の増大、優秀な冒険者の引き抜き、城の改築など、その全てを増税という方法で賄った結果、彼に対する信用は地に堕ちた。
しかし、ある出来事と勇者ロイの存在がそれを変える。
ザディアックの信用が地に堕ちたとほぼ同時期、帝都オリンポスのすぐ近くにあるヴァルハラ大陸最大の山、"剣帝峰ヴァナヘイム"に神獣が現れたとの情報が入った。
ザディアックは直ちに討伐隊を結成、自身もロイと共にヴァナヘイムへと向かい、見事これの討伐に成功する。
そうして神獣の首を手土産に帝都へと凱旋したザディアックは、集まった国民に対しこう言ったという。
"平和とは何か? それは怠惰である。今この時に何が起きてもおかしくはない。しかし、人は目先の日常しか追えぬ。それは何故か? 平和とは、危機感を怠けさせる毒だ。我々の日常は、いつ崩れるとも分からぬ砂上の楼閣だと理解せねばならぬ。だから今動く。だから今備える。だから今やらねばならない。約束しよう。余がいる限り……オリンポスは滅びない"
間近に迫った強大な危機が人々の心を揺さぶり、その危機を見事に取り払った結果、ザディアックは一気に偉大な王へと昇華した。
更に、その後に語った勇者ロイの一言が、オリンポス国民に於けるザディアックの地位を確固たるものとする。
それは、盟友であるザディアックの為、ひいては愛する母国オリンポスの為、己が命を懸けてでも絶対に守り抜くという宣言であった。
これにより、オリンポス国内でザディアックに意を唱えられる者はいなくなる。
だが、国民は知らない。
ザディアックが……いかに無知で幼稚な人間なのかを。
――――――――――――――――――――――
時はレヴィがウッドガルドで目覚めた頃にまで遡る。
オリンポス城の一室。
謁見の間とは違うその部屋は、黄金が好きなザディアックが自分の為だけに作らせた部屋。
黄金に覆われた悪趣味なその場所に、フリードリッヒとオルガ、そして……屈強な兵士達や高官達に囲まれたオリンポス王ザディアックと勇者ロイの姿があった。
ザディアックは今年で30歳。
細身の身体に煌びやかな黄金の服を纏ったその姿は、そのまま彼の顕示欲を表しているかのようである。
ザディアックはやはり黄金で作られた椅子に肩肘を突いて座り、赤い絨毯の上に跪くフリードリッヒとオルガをそのブロンドの前髪から覗く青い瞳で見つめていた。
微かに口元を……歪ませながら。
「待たせてすまぬなぁ……フリードリッヒよ」
「いえ……この度は……」
「そうかしこまらんでもよい。ま、顔を上げたまえ」
因みに、フリードリッヒ達がこの部屋に入ってから既に1時間が経過している。
定刻はとうに過ぎていたのだが、フリードリッヒ達はずっと跪いたままザディアックを待っていた。
当然わざとである。
そうやって人を馬鹿にし、見下すことこそが彼最大の愉悦であった。
神獣討伐の際、国民に語ったことは全て臣下が考えた台詞であり、彼自身は何も考えていない。
そもそも彼は神獣討伐になど参加しておらず、町を出た後、ロイが神獣を討伐するまで身を隠していただけである。
もはや語るまでもないのだが、彼が壁や軍事力に力を入れたのはオリンポスを守る為など、ましてや国民のことを考えた為などでは決してない。
ただ単純に、自分を守る為にそうしただけである。
たまたま神獣が現れたからよかったものの、そうでなければ今も彼の信用は地に堕ちたままであっただろう。
しかし、彼にとっては国民の信用など最初からどうでもいいことであった。
自分がよければそれでいい。
それが現オリンポス王ザディアックの根幹にして全てであった。
国民にそれが伝わらぬよう、臣下達は必死に彼の言動を隠しているのだが、世界会議などで直接関わる他国の王や軍部の者にまで隠し通せるものではない。
故に、他国の上層部は知っているのだ。
オリンポスで信頼の厚いザディアックが、史上稀に見る愚王であると。
「さて、えーっと……条件をまとめたものは?」
「こちらに」
1人の兵士が丸められた羊皮紙を差し出す。
「広げて見せよ。そう、そのまま持っておれ。ふむ、重畳重畳……よい条件ではないか」
出された条件はジークの不参加を始め、ギリシアにとってかなり厳しいものばかりであった。
しかし、現在の状況を考えれば、フリードリッヒとオルガはそれを飲むしかない。
当然オリンポスもそれを分かっていて無茶な条件を提示しているのだが、そのほとんどを決めたのはザディアック本人であり、不憫に思ったオリンポスの高官達がザディアックにバレぬよう、むしろ条件を少し緩くした程である。
「……有事の際、ギリシア軍はオリンポスに無条件で配備される。それから……えー……国を奪還した後、ギリシアが蓄えている財の25%をオリンポスに……ん? こんなに少なかったか? んー……忘れてしまった。まぁよいか。さて、お主らもこれでよいのだな?」
「……はい」
「よし! では署名しよう! 筆と印をこれに」
オリンポス王ザディアックと、ギリシアの王となったフリードリッヒの署名がなされる。
これにより決まったのだ。
ギリシアの命運を左右する……その戦が始まると。
「うむ、ではこれで……」
「陛下? フリードリッヒ様にお伝えすることがあるのでは?」
ロイの言葉に、無表情を装っていたフリードリッヒの眉がピクリと動く。
「ぬ? あー! そうであった! そうであった! 余としたことが忘れておったわ! さて、フリードリッヒよ。我らはギリシア奪還に尽力することを誓った訳だが、このオリンポスとて……いつそうなるか分からぬであろう?」
「……と、仰いますと?」
「うむ。ロイは余の側にいることとなった。戦には出れぬ」
「なっ!?」
突然のことにフリードリッヒの平静が崩れる。
後ろにいたオルガも声こそ出さなかったが、あまりのことに目を見開いていた。
「し、しかし陛下!」
「まぁ聞け。ロイがここを離れれば、竜族はオリンポスに狙いを定める可能性が高くなるであろう? 奴らもロイのことは知っておるだろうからな。で、そうなると……余が死んでしまうかもしれぬではないか。な?」
もちろん可能性はゼロではない。
しかし、ロイが離れようが離れまいが、恐らく竜族はいきなりオリンポスを狙ったりはしないだろう。
それはザディアックとて分かっている。
あくまでこれは彼の方便であり、ロイを手元に置いておく為の単なるこじつけに過ぎない。
そして、ロイがこれに反発しないということは、つまりそういうことである。
「いやそれは……」
「安心せい。ロイは戦に出せぬが、代わりに第六騎士団から第十五騎士団までをお主に貸してやる。それでよかろう?」
「第六……!?」
オリンポスの騎士団は第一騎士団から第二十騎士団までが存在しており、数字が若い程にその強さを増していく。
特に第一から第五騎士団を束ねる5人の騎士団長は、この世界に生きる者ならば誰もが知っている程の猛者揃い。
彼らはオリンポス領にある剣帝峰ヴァナヘイムになぞらえて"五剣帝"と呼ばれ、その実力はSSSランク冒険者に匹敵するとさえ言われていた。
フリードリッヒは当然、勇者ロイを含めたオリンポスの精鋭達が戦に参加するものとばかり思っていたが、その考えがいかに甘かったのかを知ることとなる。
「兵力としては十分であろう? ケルトやニーベルグ……加えて弱小国家ではあるが、ウッドガルドやアースヘイムも参加するのならば、数は足りておるように思えるが?」
「お、お考えは分かります。ですが、竜族はそう易々と……」
「不服ならばオリンポスは手を引くだけよ。余は別に構わんのだぞ? ……今すぐこれを破り捨てても」
そう言って、ザディアックは署名済みの書状に指をかける。
両手の人差し指と親指の爪がどんどん白くなっていくその様に、フリードリッヒは思わず手を伸ばしていた。
「そ、それは……!」
「それにほれ、ここには書かれておらぬようだぞ? オリンポスが何をどれだけ貸し与えるかなど……どこにもな」
「……ッ!」
「はっはっはっ! そんな顔をするなフリードリッヒ。余とて鬼ではない。きちんと兵も貸すし物資も貸す。無論領地も提供しよう。で……これ以上何を求めるというのだ? それとも何か? オリンポスがどうなってもよいと……お主はそう申すのか?」
「い、いえ、そのようなことは決して……! ですが、ならば何故ジークを……!」
「ジーク? あー……あれは駄目だ。周りを見ることも出来ぬ奴と我が兵を共に戦わせるなど言語道断。そんな奴と轡を並べる兵の身になってみよ。そんなことも分からぬとは……お主それでも一国の王か? ああ、まだなったばかりであったな! ならば無理もない。これよりしっかりと学ぶがよいぞ。王とはいったい……どうあるべきかをなぁ」
マントに隠されたフリードリッヒの拳が軋む。
下を向き、歯を極限まで噛み締めた彼の心中は察するに余りある。
だがどうしようもない。
これが、今ギリシアが置かれている現状。
こうべを垂れて泥水をすするしか道はない。
「話は終わりだ。さ、戦の準備を始めるがよい。とはいえ、ダラダラと長引いても困るでな……1週間やろう」
「い、1週間……?」
「うむ。1週間で準備を終わらせ、竜族を討て。それ以上は手を貸さぬ」
「へ、陛下! 1週間では……!」
「フリードリッヒ。余は終わりだと……そう言ったのだが?」
「……ッ!」
ザディアックはフリードリッヒにこう言っているのだ。
これは"会話"ではなく"命令"。
お前に意見する権利はないと。
そうして言葉を発せなくなったフリードリッヒに満足したザディアックは、なんとも嬉しそうに口角を釣り上げる。
まるで、生意気な美女を屈服させた……醜男のように。
「……アディード=ストラトス=ニーベルグ、オーランド=ガドリック=ケルト、タイタニオス=アルベルト=ティーターン……そして、フリードリッヒ=パウロス=ギリシア」
「え……?」
「仰々しい名ばかりだなぁ……お主も知っておろうが、古来より王族や貴族は名を2つ持つことが多い。まぁ、中には例外もあるのだが……で、フリードリッヒよ。余の名前を言うてみい」
「……ザ、ザディアック=オリンポス……様……」
「そう……我が父ヴァンダル=オリンポスが、そして我が祖父バルバトス=オリンポス、更に我が曽祖父……と、オリンポスに2つの名はない。何故だか分かるか?」
「い、いえ……」
「いらぬからだ」
ザディアックは椅子から立ち上がり、フリードリッヒの目の前に立つ。
彼を見下すように。
「何故2つも名がいるのか……それは、そうしなければ威厳の一つも出せないからだ。自分は王族なのだと、自分は貴族なのだと……なんと哀れで醜く愚かな思考よ。だが、オリンポスは違う。この名だけで全ては叶い、全てがひれ伏し、全てを掴んできたのだ。故に不要。オリンポスは……オリンポスだけでいい」
ザディアックは、自分を見上げるフリードリッヒに顔を近付ける。
「ゆめゆめ忘れるな。余とお主らでは……存在の定義が違う。クックックッ……ではな、フリードリッヒ……武運を祈っておるぞ」
そう言って、ザディアックは配下を引き連れて部屋を後にする。
残された2人は、ただ黙って拳を握りしめることしか出来なかった。
――――――――――――――――――――――
「下衆が……今すぐ焼き殺してやりてぇ……!」
「ロイの野郎……何が勇者だ。今度という今度は頭にきたぜ。次会ったらぶん殴ってやる……!」
ルカ様とズィード様のお怒りももっともだ。
私を含め、皆様も同じ気持ちだろう。
そんな王と勇者がいていいのか……と。
「すまん……俺が不甲斐ないばかりに……」
「お主は謝らんでいい。奴らがいかれておるだけの話よ……!」
「そうですよ! あー! ほんっと頭にきますねぇ!」
「んー……しっかし分かんねぇなぁ……」
「……何がだ? ディー」
「いやさ、ジークのおっさんね、仮にな? 仮に俺らが負けるとすんじゃん? そしたらよ、次はオリンポスが襲われるんじゃないかーとか考えないのかなと思ってさ」
「ふん……どうせギリシアを見捨てた時と同じだろう。竜族は再び数を増やした。だから、まずは儂らを当てて弱らせる。そうなった後、温存した兵を使って駆逐する腹づもりよ。勝てばそれでよし。負けても別に構わない……ふざけおって!」
「いや、それはそうなんだろうけどさ……奴らは俺らがいることを知ってる筈じゃん? だったら今全力でやった方がよくない? 一気に潰した方が手っ取り早いし、自分の町が襲われんのは嫌だと思うんだけど……」
……確かにディー様の言う通り、あまりにも消極的過ぎる。
頭にきていたせいでよく考えていなかったが、いかに堅牢とはいえ、さすがのオリンポスも自国を戦場にはしたくない筈だ。
ということは……。
「もしかしたら……他に意図があるのかもしれませんね。ロイや精鋭達を近くに置いておきたい……何かしらの理由が」




