第173話:決壊
彼女がレヴィに追い付いたのは、ロードとクロスが邂逅した……あの店の前だった。
「レヴィ様!」
アスカロンの自分を呼ぶ声を聞き、ようやくレヴィの足が止まる。
深夜の町、ましてや凄まじい豪雨の中に当然人気は無く、彼女達2人以外は誰もいない。
そしてそこには、白い道と町を流れる水路を叩く、滝のように降り注ぐ雨音のみが響いていた。
「……これ以上はお身体に障ります。戻りましょう」
レヴィはアスカロンに背を向けたまま、何も言わずに立ち尽くしていた。
彼女はそんなレヴィに近付こうと足を踏み出す。
「来ないでッ……! ください……」
受けた拒絶の言葉に、アスカロンの足が止まる。
「何があったのですか……?」
「…………何もありません」
それが嘘だということは、レヴィの行動と様子を見ればすぐに分かる。
このまま放っておく訳にはいかなかった。
「レヴィ様……きっとロード様も心配しておられます。帰りましょう」
少しの沈黙の後、レヴィの肩が小刻みに震え出す。
何も考えないように走っていたレヴィだったが、ロードの名を聞き、彼女の中の何かが弾けた。
「私っ……うっうっ……分からなくなっちゃいました……! どうしたらいいのか…………分からないっ……!」
「レヴィ様……」
アスカロンからは見えなかったが、その顔が今どうなっているかは容易に想像がつく。
照れながらも、楽しそうに会話をしていた先程までの顔ではないと。
「だって……! ロード様は強いし! 伝説の武具様もいるし! 私なんかいなくてもロード様はっ……他の方でもいいなら……! 私がお側にいられる理由が……なくなっちゃうじゃないですかっ……!」
突きつけられた勘違いの現実に、彼女の感情のタガが外れてしまっていた。
彼女が初めて抱いた恋心は成就している。
しかし、お互いの気持ちを確かめ合っても尚、決して短くはない時の中で繰り返されたロードの煮え切らない態度が、恋愛に不慣れな彼女の心を少しずつ追い込んでしまっていた。
旅を始めた当初はロード唯一の理解者として、そして戦うことに慣れていなかった彼の力となっている自信があった。
また、自分が彼を想うように、彼も自分を想ってくれていることにも薄々気付き始める。
だからこそ、彼と同じように苦しんでいる無能を助けたいと、より強く思うようになっていった。
そんな中で出会ったのが、無能と呼ばれる少女であったティアである。
ロードと同じく辛く苦しい日々を過ごしてきた彼女は、レヴィにとっては自分以上にロードの気持ちを理解する人物だと感じていた。
さらに続け様に、ロードの幼馴染であるアスナが現れる。
彼女もまた、自分が知らないロードを知っており、自分よりもロードを理解していると感じる人物であった。
無論、レヴィは2人に対し腹黒い感情を一切抱いていない。
だが、それはあくまで彼女が気付いていないだけであり、潜在意識の片隅に常にあり続けていたのかもしれない。
それが今回の一件をきっかけに、突如として一気に噴き出してしまう。
ジル達と恋愛についての話をし、ロードともっと親密にありたいと思った矢先の出来事だったからこそ、レヴィの心は大きく傷付いてしまった。
さらに、ティアとアスナがここに来るかもしれないということが、知らず知らずの内に焦りを生んでいたことも事実だろう。
ティアは同じ元無能として、アスナは長年共に過ごしてきた幼馴染として、それぞれがそれぞれにロードと一緒にいられる理由があるとレヴィは考えている。
そして、自分には何があるだろうかと考えた時、レヴィは答えを見つけられなかった。
レヴィが思うロードの側にいられる理由は、彼の力になっていることと、彼が自分と一緒にいたいと思ってくれていることだった。
だが、生命魔法の力も上がり、伝説の武具達も増えたロードは、最早レヴィより遥かに強くなっている。
だからこそ彼女は焦ってしまっていた。
自分の力などいらないのではないかと。
そんな不安を支えていたのが、お互いを想っているという気持ちの部分だった。
ロードに必要とされているから、ロードが自分を好きだと言ってくれたから、だから側にいられる。
それが、今回の一件で崩れてしまった。
別に自分でなくてもいいのではないかと。
そうして、溜まりに溜まった水をせき止めていた堤防が決壊し、激しい濁流が容赦なく彼女の心を抉ってしまった。
互いが互いを想っているのに、どちらかが素直になればよかっただけなのに、ロードもレヴィも恋愛に不慣れだったからこそそれが上手くいかない。
もちろん、彼らを取り巻く状況が、それをよく考えさせる時間を与えなかった部分もあるだろう。
人の気持ちは常に揺れ動く。
だからこそ、確かめ合う時間が、確かめ合う言葉が必要なのだ。
人の心は理屈では片付けられないのだから。
「今日は……戻りません…………戻れません」
「……分かりました。ではせめてお側に」
ロードは生命を与えた武具達の居場所をある程度知ることが出来る。
アスカロンはそれを知っており、ロードが来るまで時間を稼ぐことにしたのだ。
レヴィはそれに答えることなく歩き始める。
その時だった。
「うっ……!?」
背後の水路から聞こえた雨音ではない何か。
咄嗟に身構えたアスカロンとレヴィの前に、何匹もの海竜種が水面から顔を出していた。
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ギリシアから南に数十キロ離れた位置にある町ベルニード。
小さい町ながらも、アルメニアやケルト、ギリシアを繋ぐ中継地点として栄えていたこの町は人の往来が多く、商人に限らず冒険者達にとっても重要な町として常に賑わっていた。
ギリシアと竜族の大陸ドラゴニアとの直線上にはないが、竜族が通れば察知出来るようにと常に監視体制をとっており、何かあればすぐにギリシアへと報せる手筈が整っている……筈だった。
「たわい無いのう……まぁ、所詮人間などこの程度ということか! ぬははははッ!」
既に廃墟と……いや、最早町であったかどうかすら怪しいその場所に、息吹竜種の長であるニーズヘッグの嗤い声がこだまする。
先程まで多くの人が眠りについていたその町は、彼が率いる息吹竜種達が放つ息吹により、一切の慈悲もなく完全に世界から消されてしまっていた。
「それにしてもよい嵐よ。あの者の言う通り……待った甲斐があったというものだ」
無論、深夜であってもベルニードにいた兵士達は監視の目を怠ってなどいない。
だが、深夜に吹き荒れる猛烈な雨と風が、超上空を飛行するニーズヘッグ達の姿を隠す隠れ蓑となってしまう。
そうしてそこから放たれた幾百もの息吹の雨が、ベルニードの町を一瞬で更地へと変えてしまったのだ。
無情な2つの雨が平穏を引き裂き、ただ普通に生きていた人々の亡骸すら残さず、町は灰燼と化してしまった。
もちろん彼らからしてみれば、そこになんの躊躇もない。
何故なら彼らは、ただ返しているだけなのだから。
「さて、これならザッハーク達も上手くやっておるだろう。さぁ……我が王の道を作りに行くぞッ!」
「「「「ギォォォォォォッ!!」」」」
ベルニードのような町が、ギリシア領にはいくつかあった。
そう……"あった"のだ。
だが、ベルニードがそうであったように、1つは翼爪竜種の長ヴィーヴルが、1つは巨腕竜種の長ザッハーグが、1つは多頭竜種の長ミドガルズオルムが……そうして4つの町は全て消えた。
一切の抵抗も出来ずに。
竜族がすぐに攻め込まなかった理由は、別に人間同士の争いに乗るのが嫌だった訳でも、ましてや自分達の力を誇示したい訳でもない。
ただ、待っていただけだった。
確実に叩き潰せるであろう、自分達に有利な時を。
それがこの深夜の嵐であった。
人間からすれば、暗闇では視界が極端に悪くなり、さらに吹き荒れる雨と風でまともに空を見上げることも出来ない。
しかし、ドラゴニアという厳しい環境下で生き残った彼らからすれば、この程度の嵐など水浴びと変わらず、さらに人間の町にはご丁寧に灯りという目印まである。
そして、嵐により侵攻の妨げとなる堤防が決壊すれば、陸地では力を発揮し切れない海竜種や、移動に時間が掛かる大竜種達も容易にヴァルハラ深くへの侵攻が可能となるなど、ここまでの全てが竜族に味方をしていた。
そうして竜族の時が動き出し、人々の時が止まっていく。
今ヴァルハラに、新たな戦場が生まれようとしていた。




