♯1
この世の中はロックで出来ている。
俺はそう感じるし、俺こそがロックだ。
俺の存在そのものがロック。
だからきっとこんなあり得ねえ事が起きるんだろ?
俺の頭上をドラゴンの腹が掠めていった。
ほら、最高にロックだ。
俺の名前は綾瀬春樹という。
どっかできいたような名前だろ?
実際、名乗った相手からの失笑は見飽きてる。
あの女優が出てくる前までは俺はこの名前が好きだった。
綾瀬って苗字はカッコイイと思ってたし、春樹って名前もイケてる。
友達の、ハルとか、シュンっていう呼び方も気に入っていた。
そう、過去形だ。
考えても見ろ。
俺のような、25にもなってロックンロールで飯喰うためにバイトに明け暮れてるような奴が女優と一文字違いの名前なんだぜ?
名乗る度返される生暖かい反応。
ぜんっぜんロックじゃねえ。
だから俺はあの女優が嫌いだ。
実際会うことがあったら、アヤセハル歴は俺の方が上だと言いたい。
だが、俺の願いは叶えられそうもない。
しかし、 これ以上なく叶えられたとも言える。
この世界にアヤセハルと付く名の人間は、俺しかいなさそうだ。
その日も俺は俺の全てを音に乗せて吐き出していた。
小さなハコ。
けど集まってくれる人たちはみんなアツい奴らばっかりだ。
みんなの熱狂が、俺達を更に燃え上がらせる。
テレキャスターをかき鳴らし、腹から声を出して、できる限り最高の演奏をする。
みんなにいいニュースがあったから、渾身のライブの後に発表したい。
曲が終わり、MCをする。
「今日は、おまえ等にいいニュースがあるんだ…俺らのメジャーデビューが決まりましたぁァア!!新しい世界の扉が開けたけど、ぶちかましてくるぜえ!」
更なる熱狂のうちにライブは終わり、俺はよく来るファンの子のうちの一人を持って帰り、朝を迎えた。
そのはずだった。
目が覚めたら、ドラゴンの腹の下だった。
卵よろしく暖められていた。
「何だこりゃアア!!」
初めはドッキリカメラか何かかと思った。
メジャーデビューしたばかりのアーティストを対象にしたマニアックな番組か何かかと。
いや、分かってる。
俺たちはそこまで注目を受けてるわけじゃないし、昨今の不況はテレビ業界だって変わらない。
そんな誰得な番組は成り立たないだろうって事は。
でも、そう思いたかったんだ。
限りなく生きている様に見える、巨大なドラゴンは実は金のかかった作り物だと。
目の前のものをあるがままに受け入れたら、俺は心が折れるかも知れない。
『新しい世界の扉が開けたけど』
俺のMCが脳内でこだました。
メジャーデビューの夢は潰えたらしい。
状況が理解できなくて、テンパる俺に、ドラゴンが迷惑そうな顔を向ける。
え?何その表情筋。爬虫類ってもっと無表情のはずだろ?
家の柴犬ペスだってそんなに分かりやすい迷惑顔はしない。
半目で睨むところを見ると、瞼があるらしい。
なるほど、やはりドラゴンは蛇よりトカゲ寄りなのか、と変な納得をする。
蛇とトカゲの違いは手足じゃなくて瞼の有無だ。目の前の生き物は、竜というより、ドラゴンって感じだ。ハリウッドのSFなんかに出てきそうな奴。
感心して眺める俺に苛立ったのか、頭から喰われた。
いや、正確には、頭をかじられた。
「んなぁっ!?」
「うるさいわよ。あたしのキスが情熱的過ぎて興奮するのは分かるけど、ちょっと落ち着きなさい。まだ会ったばっかりじゃないの」
ドラゴンは口から俺を吐き出して言った。
言った?
いや待て。え?喋んの?
「どうしたのよ。ああ、あたしに見とれてるのね。まあ、あなたの気持ちは分からなくはないわ。あたしのような美女なんて早々お目にかかれるものじゃないでしょうし。
でも、嬉しいわ。なら、両思いって事ね」
そう言って歯をむき出して笑ったドラゴンに、うっかり俺はちびりそうになった。
ペスのアホな笑顔が懐かしい。
よし、落ち着け俺。クールにいこう。
脳内のペスに和んで、落ち着きを取り戻した俺は辺りを見回してみた。
どうやらえげつない高さの山の山頂付近の岩場にいるらしい。
俺のいる岩盤の窪地には柔らかい草や、何かの生き物の毛皮が敷かれている。
風がすげえ冷たい。
このドラゴンに暖められていなかったら今頃浄土にいただろう。
「オーケー、とりあえず状況を整理させてくれ。まず、ここはどこだ?」
「あたしの巣よ」
「ほほう。で、君は誰だ?」
「ジェニファー」
「…っジェニファー…
なぜ俺はここにいるんだ?」
「あたしが呼んだから。」
俺の質問に端的に答えるジェニファー(雌ドラゴン)。
シンプルなのはいいが端的過ぎて全く分からない。ていうかジェニファーて。ジェニファーて!
いや、やめよう。人の名前をとやかく言うのは。俺だってさんざん不快な思いをしてきたんだし。
よし、質問を変えてみよう。
「この世界は俺のいた世界とは違うらしいが、どんなところなんだ?
人間はいるのか?」
俺の質問に、羽を揺らしながらつまらなさそうに答えるジェニファー。
「どんなところって…そうねえ。大陸が北と南にふたつ。島国が沢山。ここは北の大陸の最高峰ペウエレケ山。
あたしたちのふるさとね。
で、人間はこの大陸の南の方に少しと、南の大陸に沢山いるわ。」
ふーん。北の大陸。
大陸には名前はないのかな。
っつーか、本格的に異世界だよおい。
でも言葉が通じる!不思議!
東西南北まで同じっぽい。
「なんで言葉が通じるの?」
「あたしがさっき愛情を込めてキスしたからよ。あたしのキスであなたはこっち側の生き物になったの。だから言葉も通じるのね。
まあ、通じるっていっても、あなたがこっちの言葉を喋ってるんじゃなくて、あなたの脳が勝手に言葉を翻訳してるんだけど。
あなたの声は、相手の脳に働きかけて言葉を翻訳させるの」
キスってさっきのか。
頭かじることがジェニファーにとってはキスになるらしい。
情熱的過ぎるだろ。
「キスでこっちの世界の生き物になったって?」
「あたしが喚んだ段階では、あなたはまだあっちの世界の住人だったみたいね。あなたが喋ってること全然分かんなかったもの。で、あたしのキスであなたはこっちの世界に固定されて、受け入れられた。だから言葉も通じるようになったのよ」
あああ分かんねえ!!
俺の理解力がないのか、ジェニファーが説明下手なのか。
けど、とりあえず一個引っかかるところがあった。
「ジェニファーが喚んだ?」
「そうよ。さっきあなたの歌声が聞こえてきたの。あんなに情熱的に愛を歌われるなんて…あたし初めてで。あなたの想いに応えなくっちゃって。で、あなたを喚んだの」
「だからいまいち分かんねえっての。さっき?俺の歌が聞こえた?」
「ええ。言葉の意味は分からなかったけど、あなたが愛を歌っているのは分かったわ。…すぐに分かったの。あれはあたしに向けたものだって。だって、聞こえたのはあたしだけなんだもの。だから、あなたの想い人はここにいるのよって、あなたを喚んだの。嬉しいわ。あなたもあたしの姿を気に入ってくれたみたいで。さっき見とれていたでしょう?安心して。あたしもあなたが気に入ったわ。…今日から恋人なんて、照れるわね」
後半部分を意図的に聞き流しながら俺は理解した。
ジェニファーが聞いたというのはライブの事だろう。
なぜか俺の歌声がこの世界に、ジェニファーの耳に聞こえてきて…俺の歌に惹かれたジェニファーが俺を呼んだ。
「あああマジかよ!ちょ、ジェニファー、俺をあっちに帰すことってできるだろ?できるはずだよな?」
できるといってくれ今すぐに帰すと!
「できないわよ。言ったでしょ、あなたはこっちの世界の生き物になったって。あたしがキスする前ならまだしも、もう無理よ」
目の前が真っ暗だ。
俺の…俺達のメジャーデビューが…
これからだったのに。
全部全部これからだったのに!
「ああああ畜生ォ!!」
「どうしたのよ、忘れ物があったの?ほら、あなたの大事なものは一緒に運んだのよ?」
ジェニファーが体に対して小さな手で指を指す。俺のギターケースがあった。
テレキャスター。
俺の愛器。
「ここにゃあ電気もアンプもねえじゃねえかよぉ!ベースもドラムもいねえんだよぉっ!」
たまらなくなってギターを抱きしめて泣いた。
丸まって泣く俺をジェニファーがまた腹の下で暖めてくれた。