小雪
私は見慣れぬ部屋で目を覚ました。
其処は木造の小さなアパートで布団から身を起こすと、
キッチンに立つ女の後ろ姿が見え、少し戸惑ったが、
どうやら海を見ていた彼女であるらしかった。
その地味な女は『小雪』と名乗った。
防波堤で倒れるように寝込んでしまった私を
そのきゃしゃな体で運んでくれたらしい、
たいした距離じゃないにしても重労働だっただろう。
海から近いからであろうか、時折強い風が吹き付けると、
天上の隅がギシギシと鳴っていた。
私が起きたのに気が付いた彼女が盆に乗せた粥を運んできてくれたのだが
その粥の臭いに自分がどれだけ空腹だったのかを思い知らされ、
途端に腹がなり始め何ともばつが悪かったが
彼女が何も言わず笑って差し出してくれたのはありがたかった。
粥を受け取ろうとした時、
手に巻いてあった包帯が新しく替えられていることに気が付き、
後ろめたいような気持ちが胸を締め付ける。
彼女も包帯の下を見たのであろう、その傷とも呼べぬようなそれを。
これが何なのかを説明することも出来ずに押し黙る私に、
小雪は少し悲しそうに微笑むだけであった。
行く当てもなくあの街から出て来た私は、
そのまま彼女の部屋に厄介になることになっていた。
彼女は朝早く出かけて行き、まだ日の高いうちに戻って来る。
この町での彼女の役割を演じに行くのだろうか。
私は彼女が出かけた後、同じ防波堤から海を見ていた。
昨日と同じ今日を繰り返すだけの海を。
皆いつまでも終わらない道を繰り返し歩き続けるのであろうか。
私は本当に先に進んでいたのだろうか、
この波の様に同じ場所で上下することを繰り返していたのかもしれない。
先へ先へと力強く進んでるように見えるこの動きも
波間に浮かぶ流木は、岸に流れ着くのか、沖に流されるのか、
いつかはその水底に沈むのであろう。
果てしなく広がる海の前では、どれほど力強く漕ぎ出したところで
流れに身を任せる流木と同じであった。
いつの間にか少し離れた場所に小雪が座っている。
彼女には何が見えるのだろう、
絶望的に広いこの海は誰もが惹きつけられるかの様に
その行く先を眺めずにはいられないのだろうか。
変わる事のないその姿を、
そこに何かが起こることを待っているのであろうか、
それも彼女の役割なのかもしれない。
ここでも皆自分の役割をこなしているだけなのだろうか。
役割を演じ続け、自分の道を歩き続け、
そして、ただ歩く屍の様に腐っていくのか。




