海
「・・・きゃくさん・・・おきゃくさん・・・」
誰かに声をかけられたような気がした。
私が目を覚ましたのは見慣れぬ車内だった。
どこかの駅に停車しているそれに乗客は私一人のようであり、
その誰もいない車内はいつもの電車よりいくぶん小さく感じた。
ここは何処だろう、もやのかかったような頭を軽く振り、
どの路線に乗ったのか、今が何時なのか、考えるがそのすべてがどうでもよい気がした。
ゆっくりとホームに降りると、
そこは思ったよりも狭くほとんど備品もない小さな駅であったが、
体に吹き付けてきた風が運んでくる臭いに驚きを隠せなかった。
それは、潮の香だった。
振り返るとそこには青い海が広がっていた。
私は防波堤の上で潮の香りのする風を体に受けながら海を見ていた。
遥かかなたまで広がる海を見ていた。
規則正しく不確かに揺れ動く波を見ていた。
岩に打ち付けられ白く弾けるさまを見ていた。
何時間もただ見つめていた。
優しく、美しく、猛々しく広がる海も
私には何の感情ももたらしはしなかった。
潮のうねりも小さな波も弾ける水泡も
皆、己の役割をこなしているだけだった。
何の違いもありはしない、あの灰色の街と何が違うというのだ。
ただ、ここに私の役割は無かった。
少し離れたところに女が座っている。
夜の街の華やかな女たちと比べればずいぶん地味な女だった。
地元の娘だろうか。
彼女にとっては珍しくもないであろう眼前に広がる海を見ている。
いつも変わらずそこにある海を見ていた。
彼女もただ海を見つめていた。
ただ上下に同じ動きを繰り返すだけの波を。
一つとして同じ形にはならない波を。
波を打ち砕く大きな岩を。
彼女は何を思うのだろう。
この景色は彼女に何をもたらすのだろうか。
いつまでも繰り返される終わることのない動き。
彼女の役割はそこにあるのだろうか。
進むべき道を見失いたどり着いた海は
何処に向かって進むこともなく、そこにあるだけだった。
同じ動きを繰り返すだけの海をいつまでも眺めていた。
一つとして同じものがない波を、
どこまでも続いているにかかわらず何処にも行かない海を
その上を流れていく時間の様に眺めているだけだった。
永遠とも思える膨大な時間もいつか終わりが来るのか、
波がひとつ弾けるごとに
ゆっくりと海の色が変わっていく。




