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煉獄ノ陽炎―復活編―  作者: 王加王非
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復活編3-3<楽観的な天使の落下>

 月光をかき集めるようにして白峰に注がれる光と気流が止んだ瞬間、白峰の背で激光する一対の翼によって刈谷家は吹き飛んだ。

 両翼合わせれば優に二〇メートルはあるだろうそれを勢い良く広げ、強烈な風圧を残して夜空に羽撃く。

 両翼に貫かれ、柱という柱をへし折られた刈谷家は、それに次ぐ風圧に耐え切れずにダンボールでできていたのかと思えるほど、いとも容易くペシャンコになる。

 財産的なものが損なわれ、内から込み上げて来るはずのものが、今の僕には無い。

 ――あーあ。

 この程度だ。金銭的なものに対する感覚ももう霞んでいる。

「全て弁償させて頂きますのでお許し下さい」

 その言葉に応じるのは瓦礫の山と化した刈谷家の上にポツンと佇む人影。

 夜風に靡く白銀の長髪、地面に引き摺りそうな黒い外套、肩に担がれた収穫機。

「フフ……ったく。これだから自分ルールの天国組は嫌いなのだ」

 そこには刈谷霊智という少年の姿は無く、代わりに一人の死神が立っていた。

「……クロニクス」

「具現化するのは久方振りだな」

 そう嘯いて身体の感触を確かめるように巨大な収穫機に自らの身体を這わせる。原理不明の強烈な白い閃光と破裂音を伴う衝撃波を見舞われ、隣家も僕の家の二の舞と化す。

(ちょっと! そんなに派手にやったら……)

 ――安心しろ。吾の半径ニキロはバックアップを取ってある。後でリカバリーすれば元通りだ。

 怜悧はゲームから取って付けた知識で僕に説明してみせる。

(そんなことを言ってるんじゃない。僕は怜悧の正体がバレることの方が……)

 怜悧は半笑いで声に出して答える。

「フフ、そもそもバレないように努める理由は無いのだが?」

 その自信はこの際どうでも良い。

(無駄な戦闘を回避できるだろう。第一どうして白峰に怜悧の素性がバレてるのさ!)

「光陰矢の如し/ストレート・ストリーク!」

 その声の主――白峰の手には全長二メートルはあろうかという、金色の弓が握られていた。僕がその情報を視覚から得たのは、既に怜悧が右に一メートル程ステップし、残された僕を青い光が貫き地面に突き刺さった後だった。

 霊化しているから不死身なのだが、肝心な身体自体が手元にないので身も蓋もないというかなんというか……。

 要するに死ぬ身体が無いので僕は安全圏で傍観することしかできない。

 ――意識をしっかり吾に向けろ。霊智から離れれば吾の威厳も少なからず落ちる。

(そういわれても……)

 ――霊智、コイツは恐らく私が貴様を拾った時に漏れた幽波を採取したのだろう。

 超人的戦闘の開幕を目にしたことよりも、未だ平然と僕と会話を続けようとする怜悧に僕は思わず息を呑む。

(そもそも、なんで怜悧は狙われてるの?)

 それならそうと、怜悧に合わせ会話を続ける僕も僕だった。

 僕を怯ませ硬直させたものは驚愕でしかなく、恐怖は伴っていない。

「ああ、それか……」

 白峰の舌打ちが彼女の羽撃いた夜風に乗って聞こえた。

「それはまあ、なんというか、自分でこんな事言いたくはないのだが……」

「天長地久/ホーミング・ホーネット!」

「吾が……」

 弓から放たれる五本の矢の軌道は直線ではなく、速度も先程のレーザービームのようなものとはまるで別物の鈍速であったが、それは明確に怜悧に向かって来る。

「……過ぎるから」

 サイドステップでその軌道から外れようとも、着実に軌道を修正してくるその追尾ミサイルのような矢に対し、怜悧は対処法を変えようとはしない。

 前後左右に身を揺らし五本の矢を闘牛士のように回避し続ける。

「舐めた真似を……天に唾する/ヘル・リペル」

 真上に向かって弓を引く白峰。間もなく周囲に雨のように青白い光の矢が降り注ぐ。

「よいしょっと」

 怜悧は大地を軽く蹴り、降り注ぐ光に触れること無く白峰が弓を構える高度まで軽く跳躍してみせる。

 それに追従する先ほどの追尾機能を持った矢を光の降雨が掠めて撃墜していく。

 感情が失せてしまった僕でもこの急上昇に生理的な不快感から眼下を見下ろし嗚咽を洩らす。僕が確かに人間であったことの片鱗を見せられた気がした。

 恐怖を感じないということは必ずしも良いこととは限らない。

 それは大抵の場合、平和ボケにも似た逃避に等しい。

 克服するというのは、問題の解決や解消であり、目を背けたり鈍感になることだったりといったものではない。

 ここで何も感じられないというのは高所恐怖症という地上に生きる動物として必要な本能が欠如していると言っていい。

 あの時、校舎の屋上で葛藤する僕はまだ人間だったのだ。

 別に今の僕自信に翼が有るわけでも、落ちても死なない身体を得たわけでもない。

 寧ろ失ったのだ。失う身体を失ったが故の安全圏。

 だがその域に感覚が追いついていない。

 ――転移三式の中では一番緩い奴を選んだつもりだったんだがな。霊智にはこれが一番キツイかもしれぬな。忝ないが暫し付き合ってくれ。

 白峰の放った大地を穿つ光はさながら絨毯爆撃とも言える程の被害を及ぼし住宅街は舗装された道路や鉄骨諸共抉られ荒野と化した。

「跳んだら……墜ちろ! 天網恢々疎にして漏らさず/ツイン・ルイン」

 白峰に接近して初めその身に起こりつつある変化に気付く。

(片翼?)

 ――やっと気づいたか。

(どういうこと?)

 ――吾がこんなにも綺麗に躱すものだから信じられないかもしれぬが、今まで回避して来た術式は全て天使の奥義級だ。自らの身を削る程のな。

 そう言いながら、怜悧は頭上から垂直落下してくる二本の巨大な虹を交差させたような七色に輝く光の網を蹴破る。

「なっ!」

 それに白峰は驚嘆の声を洩らす。

 ――但し、それは遠い昔の話だ。

 担ぐ収穫機を振るう事無く勝敗は決した。

 しかし、やがて落下し始めた怜悧の表情は険しくなる。

「石に立つ矢/一念天に通ず//アンブッシュ・バッシュ」

 大地を抉った光の雨は輝きを失わないまま、空を仰いでいた。

(――ッ!?)

 怜悧が着地した場所も例に漏れず光が待ち伏せていた。

「舐めているのは貴様の方だ!」

 閃光と爆風に身を投じつつも汚れ一つつかない黒い影は天を睨んで続ける。

「ナレ、天使ではあるまいな」

「何を言って――!?」

 何ひとつ怜悧に歯が立たない。

 まるで僕同様にそこにあるのは霊体だけであるかと疑うほどだ。

 そんな絶望の中、そんな相手に自らを否定される白峰は動揺を隠し切れない。

「じゃあ、名乗れよ天使」

 怜悧の眼は鋭く、それこそ白峰を射抜くような眼光を放っていた。

「私は……」

 すると突然、白峰は片翼を揺らし両手で頭を抱え始めた。

(おい、怜悧、アイツ)

「さぁ!」

 捲し立てる怜悧に誘われるように、白峰の中で何かが蠢き何かが停止する。

「私は、わた……しは」

 天井に吊るされた人形が糸を断ち切られたかのように、プツリと気を失った白峰が落下してくる。

(怜悧ッ!)

「フフ、情でも移ったのか?」

(情報の為だ。拾え)

 僕は出せる限りの低い声で命じた。

「はいはい」

 跳びもしなかった。

 白峰の金糸のような髪を掴んで帰ってくる。

 怜悧の手際は霊体として同行したはずの僕も全く関知しえないもので、その場で回れ右したらなんか手に持っていたといった風体だった。

(鎌はしまったらどうだ? 今日みたいなのは可能な限り避けたいんだけど……)

「心配には及ばぬ。これは飾りだ、レプリカですらない。しかし、戦闘に不要でも誇示する必要はあるのだ。死神の品格……と言ったところか。無論、黒いのにもバレはしない。ここに簡易結界が張られた以上の情報は外界からは掌握不可能だ」

 怜悧の張った簡易結界は使用者の約半径二キロ圏内をコピーして仮想現実として試用する空間らしい。

 切り離された仮設空間はすぐに崩壊し、オリジナルの空間に同化あるいは上書きされる。その取捨選択は全権、怜悧自身が握っているとのこと。

「空即是色」

 分岐した世界は音もなく崩れ去り、やがて日常と同化する。


 ――それでどうしてこうなるんだ。

 制服の背に二つの風穴を空けた白峰の体をソファに寝かし、復元されなかった柱やへし折られる前の刈谷家の惨事に自然と溜息が零れる。

(仕方が無かろう。空色(くうしき)は張った後の現象にしか介入できぬし再現できぬのだ)

 奇しくも僕自身、足場の無いリビングのドアに寄りかかるところまで無意識に再現していた。

 怜悧が僕の体を借りる時は必ずと言っていい程に、使用後の僕は体が思うように動かせなくなる。

 事実、怜悧が僕の体を使用する際には霊力や魔力といった非科学的な力の補助で動かし保護しているが、人体の限界を優に超える所作にこれだけの副作用で済む方が可笑しいのである。

 特に今日の転移式は、どれだけ安全装置を付けようが、緩衝材に包まれようが人間の身体が実践して良いものではなかった。

 いつものように暗転忘却術式でも倒せたろうに。

 ――部屋を片付けようにも体が動かないな。

(そうか……ならば吾に任せろ)

 ――任せた。

 漫画の件も有るし片付けだけは安心して任せられそうだ。

 もしかすると家事全般得意なのかもしれない。

 弱った身体が怠惰な思考を始めると共に、質素な生活用品が散乱する床へ自然と体は傾き、倒れた。

 ――それで、天使じゃないっていうのは、どういうこと?

 体が動かないというのは実に退屈であるため、唯一許された思考と疲労を伴わない会話に徹することにした。

(吾の記憶が正しければ、その似非天使が本当の天使であるならあんな黄金兵装(アンティーク)を装備してはいないはずだ。私が物置に監禁されたのはおよそ百年前。しかし、百年前と言えども主流の兵器が弓ということはなかろう)

 怜悧は机の塵を素手でゆっくりと拭いながら、月明かりに照らされる白峰に視線をやる。

(そして、仮に主流の兵器が弓であろうとなかろうと、光束解除を施した天使であれば、天輪を使えば随時天上から刹那の降龍(ライトニング)なり天下る旋風(エアカレント)なりでマナが補給されるはずなのだ。しかし、考えてみれば奴の頭上に天輪が現れることはなかった)

 ――つまり、天からの供給は無かった、と。

 何故か優先的にゲームや漫画を拾って綺麗に整理していく怜悧を呆然と見つめつつ問いを重ねていく。

 ――それで、それじゃあ白峰菊理は……一体何者なの?

(さあな、知っての通り吾も先ほどまで天使だと勘違いしていたわけだからな)

 怜悧が若干御機嫌斜めなのは、似非天使に騙されたことに対してというよりも、彼女を今日まで似非天使だと見抜けなかったことが原因な気がするんだが気のせいかな。

 ――それでさっきから元気が無いのか。

(今正に心身共に廃人と化した霊智に言われたくはないわけだが……)

 ――余計なお世話だよ。

 死神と人間のコラボがミスマッチであるのは必然なのだ。今後幾度と無く経験することとなるだろうこの無様な状況は、覚悟しておかねばならない。

 全身を覆う筋肉痛のような痛みに耐えながら寝返りを打つ。

 天井の向こう側、東京のくすんだ空を見上げる。

(それよりこの似非天使はどうするつもりなのだ? 言っておくが死神に拷問の術は無いぞ)

 怜悧はそう言って自慢の収穫機をくるりと回して見せる。危ないからやめて欲しい。

 ――怜悧の話と白峰の対応から見て彼女が天使でないのは確かなんだよね。

(ああ、人質にはならん……まさか霊智、眷属にする気じゃなかろうな?)

 ――まあその前に白峰の正体を調べる必要はあるけどね。

(いやいや待て待て。それは駄目だ霊智、死神は孤高の存在なのだ。他者と連むことはならぬ)

 ――それは例の死神の掟かい?

(そうだ、死神儀礼を破れば全次元の頂点と言われた吾とて現し世に身を寄せていてはいつの日か始末されよう)

 全次元の頂点って何だろう、凄そう。だけど割と矛盾を孕んでいる気がする。

 ――それなら僕は良いの?

(霊智の件はどうにかして協会にねじ込むと言っただろう?)

 ――で、どうやったの?

(霊智の御する喪神装填(そうしんそうてん)は吾にとってとても都合が良い。そして希少価値の高い力だ。だから、『力に屈したフリをして現し世での御霊の冷炎回収に勤しむ』と、そう申し出ることでなんとか通したのだ)

 その答えも結局、怜悧が怜悧となった本来の動機への疑念に繋がるだけだった。

 僕も何度か霊化してみたが、取り憑き霊化した存在がどこまで本体の思考を読み取れるのかはわからない。

 僕のこの思考も、無くしたはずの猜疑心も怜悧は気づいているのかもしれない。

 それでもこう思ってしまうのだ。

 きっと、きっと怜悧は僕に嘘を吐いている。

「――あっそ。じゃあそこにねじ込んどいてよ。刈谷霊智は似非天使を従えているって」

 せめてもの意思表示に声を出してみたが身体的に辛かった。

 程なく疲労は限界を向かえ、僕はゆっくりと目を閉じた。


 ◆□◆


 光の中に長い金髪を風に揺らす一人の少女が立っている。アレは……『私』?

「私はだぁれ?」

 『私』の声が問いかけてくる。

 光が強過ぎてその表情がよく見えない。

「私は天使よ」

 私は何かにムキになるような調子で返した。

 どこまでも広がっていそうな光の空間からは、狭い密室のような反響が返ってくる。

 目の前の『私』を戦ぐ風を、私は感じる事ができなかった。

「じゃー、名前は?」

『私』は一歩こちらに向かって一歩ずつゆっくりと歩を進めてくる。

「し、知らない……。でも、そう教えられたはずよ」

 金縛りにあったように上手く声が出せない。

 発声するために吐き出す空気が重い。

 私の周りの空気が硬直しているようだった。

「えー。誰にさー?」

 あまりに眩しくて前が見えなくなっていた。

 更にもう一歩、『私』が私に近づいてくる。

 『私』の吐息が私の唇に触れるのを感じる。

 私よりも私らしい『私』はとても神々しく、美しかった。

 でも、そんな『私』に私は嘲笑われている。

 とても羨ましく、悔しかった。

 目の前で私を小馬鹿にするこの『私』に近づきたいと思った。

 それでも指一つ動かすことも敵わない。

 ただ眩しくて、私は気が抜けたように洩らす。

「……誰だっけ」

 私は重い空気を押し退け、両手で自分の肩を抱く。

 しかし、その手に感覚は無い。

「私、本当に天使なの?」

 私に触れることは叶わなかった。

 せめて耳を直接塞ごうと両耳を抑える。

 しかし、『私』の声は全てすり抜ける。

 その場にしゃがみ込んだ私の脳天目掛けて『私』は疑問を投下し続ける。

「本当に……?」


◆□◆


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