復活編5-3<疑心暗鬼を生ず>
僕は出て行った二人を追うことはできなかった。
玄関先まで見送ることもしていない。
僕はまだ、ベッドの上で膝を抱えているだけで何もしていない。
僕の時間は止まったままだ。
一体いつから止まっていたのかも解らない。
玄川にはあの後、菊理が覚醒める前に全て聞いた、ここまでとここからを。
しかし、その真偽が定かではない以上僕は動けない。
本当に僕は記憶を喪失いや、改竄されているのか。
菊理の件は確かに僕が先天的に記憶操作術を会得していた根拠にはなりうる。
しかし、それは菊理と玄川がグルでないという前提の上に成り立っている。
前科が有るから信用はできない。
仮に二人の言葉を信じるとしても、それは彼女の今までを信じないということ。
あの時はどうせ捨てる命を拾われた身の上、自暴自棄だったこともあり言われるがままに信じた。
でも、玄川の話が本当であればその順序は逆になる。
僕の今までが、登ってきた階段が、音を立てて崩れ落ちていく。
どっちも疑わしい。
勿論、両方正しくない可能性だってある。
しかし、どれだけ待っても解答は得られない――。
何を疑って何を信じるのかその判断が下せないまま天井を見上げていた時だった。
「まぁた時化た面しちゃってヴァッカみたい!」
嘲笑と罵倒、半々といったところか。
静寂を切り裂く声がひとつ。誰かなんて目を向けなくとも、思考を挟まずともわかる。
「それでもうちのお兄ちゃんなの?」
だって家族だから。
半年前、家出並に気軽で情報の乏しい置き手紙を残して姿を消した僕の妹、刈谷零奈。
「お前、やっぱり生きてたのか」
身体の内側から何かが込み上げてくるが、そいつに身を委ねるのは少々心許ないので、視線は上げず、夕日が作る影法師に向かって話しかける。
「寧ろなんで勝手に殺してるのか聞きたいかな。うちがイチにぃより先に死ぬ訳無いじゃん。だってうち、イチにぃの妹なんだし」
半年前までの零奈と変わらず、大した訳も無く、謎理論で僕を挑発してくる。
零奈は半年前と何も変わっていなかった。いや、正確には変わり続けたのだろう。
変わっていないのはその芯の部分――変化を続ける普遍性。
今にも途切れそうな点線をなぞり続ける今の僕からすればその連続性のある変化が一際輝いて見えた。
「生きてるんだったら帰ってこいよ」
自分も人のことは言えないみたいだ。
外ではあんなにも言葉が支えるのに、零奈の前では流暢に話せてしまう。
昨日まで玄川がなんであんなぎこちないしゃべり方をしていたのか、少しだけわかった気がする。
きっと、ああやって僕との距離感を自分で制限していたのだろう。
僕が玄川を知らないことに合わせて、僕を知らない玄川蓮香を演じるために――。
「それじゃ駄目なんだよ」
「何が?」
「だって、うちが帰って来たらイチにぃ死ななかったでしょ?」
「――え?」
自分の中で必至に塞き止めていた何かが呆気無く溢れた。
反射的に顔を上げ視線を窓辺に向けてしまう。
しかし、朱が差し込む窓にはもう誰も立っていない。
「もう、全部知ってるくせに」
何かが移動した気配も無いまま突然僕の後ろから声がした。
ベッドボードにでも腰掛けているのか、振り向こうとした僕の顔を伸ばした足の裏で遮断した。
「自分の信じたいものをうちに押し付けるのは止めてよね」
頬に入れられた蹴りよりもその言葉の方が身に沁みた。
僕は、妹の顔が見れれば現状を全てかなぐり捨ててあの頃に帰れるとでも思っていたのだろうか。
「じゃあやっぱり――」
「だから何度も言わせないで。私はイチにぃの教科書にはなってあげられない。私をぶん殴りたい気持ちで山々かもしれないけどさ。それはまあ、またの機会にしてさ、今は選ぼうよ。誰かがそう言ったから、とか、僕が見たから、とか、もうそういうのは無駄なんだよ」
全て仕組まれていた。事の発端が僕の知らない僕にあろうとも、その周囲で僕の知らない間にそれぞれの思惑の暗躍があった。
「もしも何も信じられなくなったらさ、自分自身で好きなようにやるだけでしょ?」
でもそれは何の判断材料にもならない。
「……」
零奈の言っていることは玄川の話を聞いてからずっと解っているつもりだった。
誰が僕を騙そうと、一つの変わらない現実がある。
僕の悲願は目前にあるのだ。
それを頭では解っていながら身体が動かなかった。
また無意識に怯えて回避していたのかもしれない。
気づけば両手は小刻みに震え、全身総毛立つような感覚に覆われていた。
「この震えくらいなら止めてあげる」
零奈は僕の両肩の上から腕を回して腕を掴んだ。その手は温かった。
でも僕の手以上に震えていた。
「ぐ……ごめんね、イチにぃ。まだウチもウチのケリつけて無いからさ」
「ああ」
何も知らない事を棚に上げて被害者面してきた。
その罪を今、漸く知った。
無知故の幸福は確かにあった。
でもその幸福はすでに失われた。
ならば知を持って奪われた幸福を取り返しに行く。
昔から涙を堪える時に自分の腕やら服を噛む癖があった零奈は、まるで吸血鬼のように僕の首筋に噛み付いた。
滅茶苦茶痛くて自然と涙が出てきた。
「……ねぇお兄ちゃん、一つ聞いていい?」
「ああ」
まだ嗚咽混じりの零奈だったが何か気づいてはいけないことに気づいてしまったかのように口を開いた。
「……なんでうちの制服着てんの?」
「――えっと」
今僕の首筋を滴り湿らせている液体の正体が零奈の唾か涙であることをただ只管に願うのだった――。




