第三章 ―6―
――夕月と私は双子の姉弟だ。それなのに、一緒に暮らしたことなど殆どない。
それは、世間的にみれば普通ではないかもしれない。でも私達にとっては当たり前の事実でしかなかった。物心がつく前から私達は離れて暮らしていて、それは私達にとっては普通のことだった。
その経緯を、私は詳しく知っているわけではない。はっきりわかっている事実は2点だけ。夕月は跡取りが生まれなかった母の実家で暮らすことになったこと。そして、私は両親と共に暮らしていたこと。
交流がなかったわけではないが、近い場所に住んでいたというわけでもない。夕月と会うことは殆どないといってもよかったし、幼いころに彼に会った記憶は本当に数えるほどしかない。だから私達は普通の姉弟よりもずっと距離がある状態だったと思う。そもそも、両親は夕月と会うことを歓迎はしなかった。その理由が判明したのは本当に最近のことだが、思い出せば怒りで今でも身体が震えてくるからあまり考えたくはない。いずれにしろ、両親は夕月なんて‟最初からいなかった”かのように生活していた。だから私も幼少時の夕月の記憶はあまりない。
しかし人の口に戸は立てられないものだ。両親の意図に反し、私が小学生になったころには夕月の話題は私の耳に入るようになった。人というのは噂好きなもので、どこから仕入れたのか知らないが、うちの事情を聞きつけた地域の人達や同級生の両親は好んで話題にし、私は成長するにつれその異常性を認識させられた。勿論全てが事実というわけではないしその大半がただの推測で根も葉もないものだったが、うちが普通の家とは違うということがわかるにはそれだけで十分だったのだ。
私の周りの人が私達に興味を持ったのは、当時から夕月がずば抜けて優秀だったということもある。母の実家は名の知れた旧家らしかったし、祖父は世界を股にかけて活躍する大企業の経営者だった。夕月は幼い頃からその跡取りとして、否応なしにその環境に慣れざるを得なかった。だから彼は小学生のころには既に何ヶ国語も自在に使いこなしたし、大学生が解くような問題ですら簡単にこなしていたし、大人とも対等に話すどころか誰も考えつかなかったような提案をあっさりして困難な問題を解決したりもしていたらしい。今の彼はそういう自分を意識的に隠しているようだが、当時はそれは許されないことだった。兎に角、彼のその優秀さはあっという間に周囲に知られることになり、私の耳に届くようになったのだ。
夕月と違って私は全くの凡人だったから、入ってくる話の大半はそういう私への勝手な期待と失望だった。それは私にとって相当のストレスだったが、そのころの私はそういう人々の醜さより、自分とは違う優秀な弟への興味が勝っていた。コンプレックスよりも、そういう弟がいることが誇りだった。それに、私にとって”もう一人の家族”がいるという事実は当時ある種の救いだったのだ。私は家族の絆を渇望していた。だからどうにかして、”もう一人の家族”と交流を持とうと頑張ったのだ。
夕月の方も、私に興味を持ってくれていたらしい。結果として、私と夕月は、私達が小学生の頃からこっそりと会う事が増えた。それでも月に何度か会えればいい方だったが、私達の絆にはそれだけで十分だった。私達が中学生になり夕月にコンプレックスを持ち始めるまで、その絆は続いていた。夕月も私のコンプレックスを察したのか、あまり積極的に私に関わろうとはしなくなっていった。そして、私は彼に妬みの感情を持つようになり、意識的に意識しないようにしていた。私は彼の事情なんて何も知らなかった。自分を取り巻く環境と、恵まれていると”思っていた”彼とを比べて自ら彼を遠ざけるようになった。
だからといって、私は私の環境が一般的だったと考えている訳ではない。夕月の環境が私よりも数段異常だった。でも私を取り巻いていた環境もまた、普通ではなかった。それはひとつの事実だと思っている。
簡潔に言ってしまえば、私は元の世界において、誰かから愛情も、優しさも受けた記憶がない。夕月と、それから最近になってもう一人増えたが、それは間違っても父母ではない。そして夕月から、私は随分大事にされていると思う。――本当に、申し訳ないくらい私には過ぎた愛情を。
「なんでさっきより顔色が悪くなってるんだ」
昼食は食べれるのかと私に確認しに来た海斗が、私にそう声を掛けた。私はそれに曖昧に笑って返す。
結局まともに休むことはできず、考え事をずっとしていたせいか随分頭が重かった。食欲がなく朝食を断ると、彼は眉間に皺を寄せて副作用が悪化しているのかと海斗に尋ねられる。精神的なものだからと答えると、海斗は意外にあっさりと納得してしまった。
「副作用って悪化するものなんですか」
てっきり副作用は回復に向かっていくだけなのだと思っていた私は海斗の質問に疑問を持ち尋ねる。
「副作用は、要するに人の身体に神の力っていう許容量を超える負荷がかかるから起こるんだ。高負荷がかかっている状態で無理をすれば悪化するのは必然だ。下手したら、死ぬことだってある」
だからあまり身体に負荷がかかるようなことは控えるようにと海斗は続ける。昼食はあとで消化にいいものを持ってこさせると言って彼は部屋を後にした。
能力者というものは、神の力をもっているという割にはその力に耐えるだけの身体を持っているというわけではないらしい。重要な役割を持っているのに、何故負担ばかりを背負わなければならないのだろうか。碧のことを思い出して、その不条理さに腹が立った。彼女は今も身を削り、世界を守っている。
私は正直なところ、蒼龍姫になったことにそれほど自覚があるわけではない。自分を犠牲にして世界を救うというのはピンとこないし、蒼龍姫だとはいえ、それほど私にそういう機会が回ってくるとは思えなかった。そうすることの意味もあまりわからなかった。まして、守ってもらえることを当たり前に思い、感謝するどころか罵倒する人間だって見てきてしまった。だからこそ何故、その役割を受け入れてしまえるのだろうと思う。文字通り、死ぬような思いをしてまでも。
考えは尽きない。私はここで、蒼龍姫として生きることになるのだろうか。それとも元の世界に戻ることになるのだろうか。蒼龍姫という名前の重さが、どうしても実感できない。でも私は、帰りたくない。
「いつまで、この世界にいられるのかな」
呟いた言葉は、私一人しかいない部屋にじんわりと響いていくような気がした。それが、その願望の虚しさを表しているような気がしてため息を吐く。一人でいると余計なことばかり考えてしまって全く落ち着かない。夕月の無事を確かめて安心したからなのだろうか。
ため息をついて、気を逸らそうとして部屋の中を眺めた。客室として誂えられているらしいこの部屋は、意匠も豪華で、かつ品がある。ふとその中で、襖に書かれた絵に目が留まった。
大きな鯨の絵だ。ただの鯨、というわけではないようで、とても神々しく描かれている。ふと、清宝で目にした紅い鳥の絵を思い出す。たしか灼朱という、清宝の守り神だった筈だ。
「この国の守り神様は、鯨なのかな」
海に面した国だけあって、祀る神も海の生物らしい。その襖に描かれた守り神は、まるで私を見守っているようだと思った。しかし、守り神は何故、人を守ってはくれないのだろう。妖がいるのだ。神だって実際に存在するのだろうに。それとも何か事情があるのだろうか。
そんなことを考えているうちに昼食として御粥が運ばれてきたことで、私はふと思いついたその考えを頭の隅に追いやってしまった。




