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蒼龍姫  作者: 浅野 燈奈
第三章-宵闇の水面-
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第三章 ―5― 

「どういうこと……?」


――私を突き落とした人間が、私達がこの世界に来た理由を知っている。

 夕月のその言葉に私の頭はついていけなかった。私は犯人のことを、私か夕月が気に食わない学校の人間だと思っていたのだ。この世界に来たことと因果関係があるなんて考えは全く頭に上らなかった。そもそも、何故この世界と関係のない元の世界の人が、私達がここに来た訳を知っているというのだろう。

 夕月に私をからかっているような様子はなく、言葉に嘘はなさそうだった。そもそも彼はこんな冗談をいうタイプではない。ある程度確証がなければ彼は何も話さない。だからこそ余計に、夕月の言葉は私を混乱させた。


「俺は、落ちる瞬間に、お前を突き落とした奴を見た。……あれは、人間じゃない・・・・・・

「……人間じゃ、ない?」

「ああ。もし人間だったなら、」


 -あんな風に霧のように溶けて消える訳がないからな。

 そう続けられた言葉のトーンは重く、夕月の表情は真剣そのものだった。

 人が、霧のように消える。そんな光景を想像することができず、私は何も言えなかった。冗談だよねと言いたかった。


「理解したくないのは、わかるけど」


 暫くして、夕月が困ったように笑って沈黙を破った。再会してから同じ表情ばかり見ている気がする。困らせてしまってばかりいる、と思い至ってようやく思考が少しずつ働き始めた。

 彼は、私のペースに合わせようとしてくれている。いつものように、私が理解しようとするのを待ってくれている。レベルの差ははっきりしているのに、面倒な素振り一つ見せず彼は私が理解できるように努めてくれる。今だって私の頭が落ち着くのを待っていてくれたのだろう。私が大きく息をついて何とか心を落ち着かせると、彼は納得したくない私を納得させるために、あの時あったことを丁寧に説明してくれた。

 

「夕澄は落ちる直前に何か声を聞かなかったか?」

「声? あ、そうだ、聞いたような気がする」


 朝と落ちる直前、確かに何か聞こえた。気になってはいたのにすっかり忘れてしまっていた。

 夕月も同じ声を聞いたらしい。明瞭に聞こえたというわけではなかったらしいが、それでも彼は私よりもはっきりと聞きとっていた。――『蒼龍』という単語を。

 息を呑んだ私に、そういうことだと彼はいう。この世界に関わりがない存在が、蒼龍を知っているとは思えない。現実にそういう単語があって偶然耳にした可能性はと夕月に聞いてみたが彼は首を振る。可能性がないわけではない。ただ、その声はその単語の後にこう言っていたのだ。――『迎えに来た』、と。そして夕月がその言葉を聞いた直後に私が突き落とされたのだという。


「俺はあの時、声が気になって振り返ろうとした。その時に赤くぼんやり光る人影がお前を突き落とすのを見たんだ。下に落ちる時咄嗟にその影を確かめようとしたら、それが空中に霧散していった」


 夕月も自分の見たことを疑っていたらしいが、この世界で私の噂――蒼龍姫のことを聞き、あれは現実だったと確信したのだと言う。

 霧散した人影。それは、もしかしたら妖だったのかもしれないと夕月は言う。私もこの世界に来てから妖と縁があり過ぎたせいか、その言葉を否定できなかった。蒼龍という言葉のこともある。夕月の勘違いだと言うのには、こちらに来てからの体験が濃すぎた。

 妖だとしたら目的はなんなのだろうか。化け猫は私を殺そうとした。同じように私を殺そうとしたとも考えられるが、迎えに来たという言葉と辻褄が合わなくなる。夕月は、情報が少なすぎて目的まではわからないと言った。


「俺はここから出してはもらえなかったし、ここだけで集められる情報には限りがある。けど目的は分からないにしろ、俺たちが意図的にこの世界に連れてこられたのはほぼ間違いないと思う」

「そっか……でもそれなら、夕月を巻き込んだのは私、だよね。蒼龍姫とか、よくわからないけど」


落ちたのを庇って貰った挙句、知らない世界に彼を連れてきてしまった。申し訳なくていたたまれない。しかし夕月は首を振る。


「言っただろ、『俺たち』だって」


 夕月はそれ以上は何も言わず、再び箸を手に取って料理を口に運び始める。よくわからなかったが彼はそれ以上話すつもりはないようだった。こうなると、もう話してくれることはない。私は諦めて、同じように再び箸を手に取った。そのまま二人で黙って食事を摂っていたが、私の頭の中は先程までの話で埋められていた。

 先程まで美味しいと思っていた料理の味は、もう感じられなくなっていた。味気のない食事に食欲がなくなり、箸の進みが遅くなる。もたもたと食べている間に夕月はさっさと食べ終えてしまって席を立った。

どうしたのかと尋ねれば、医務室に行くという。


「さっき海斗さんに、食事が終わったらすぐに行けって言われたんだよ。過保護なんだよなあの人……。お前がこなかったら、未だに医務室か、俺に貰っている部屋どちらかに缶詰だったよ」


夕月はそう言って笑い、先に席を離れることを詫びに海斗達の方に歩いていった。彼らのほうも重要な話は終わっていたようで談笑していたる。夕月が彼らに挨拶をしてそのまま部屋を出ていくと、海斗がこちらに歩いてきて、私の進んでいない食事を眺めて顔をしかめる。


「食事が進んでないようだな。体調が悪いのか?」


 海斗がそう尋ねてきたが首を振る。しかし彼は顰め面をして聞く耳を持たなかった。


「お前も夕月と一緒だなぁ。無理して食べても身体に悪い、食べられないなら残せ。長旅の疲れもあるんだろうし、副作用も治りきってはいないんだから」


 海斗はそういって私の食器を下げるように食事を運んできた人に頼み、半ば強引に私の食事を切り上げさせる。そして熱の有無と脈を確かめ、部屋で休んでいるように言った。常和たちはこれからやることがあるらしい。煉華は傍にいてくれると言ったが、邪魔をしたくなくて私はそれを断った。どうせ部屋でやることがあるわけでもない。夕月のことは気になっていたが、また食事の時間に会える。彼もまだ本調子ではないのだろうし、私も体調の回復に専念したほうがいいだろう。

 海斗が夕月の体調を見てきたいからと言って、そのついでに私を部屋まで送ってくれることになる。部屋までの道で、彼は再び昨夜私を問い詰めたことを謝ってきた。一度目のは私にというよりは夕月への謝罪に近かったからだという。私は首を振り、そう思われても仕方ないからと答える。それに私は彼に何も出来なかった。見て見ぬ振りをしてしまった。それは私の罪で、責められるべきことなのだ。そう告げれば、海斗は何とも言えないような顔をする。


「見て見ぬ振りが罪だというのなら、殆どの人間は罪人になる。自分の身の危険を顧みずに行動できる人間が強いんであって出来ない人間を責めるべきじゃない。君は実行犯ではないし、夕月に無関心だったわけでも、心の中で笑っていたわけでもないんだろう。そういう人間は、ああいう顔は出来ない」


海斗は何かを思い出すように視線を遠くに向ける。彼のいう『ああいう顔』が何を指しているのかはわからなかったが、私は首を振った。


「そうなのかもしれません。でも私は夕月に守ってもらってた。知らなかったとしても守られていた。その私が夕月の問題に背を向けた。私はそれを背負わないといけないし、それに、考えれば何か出来たのかもしれない。助ける手段さえ、私は考えようとしなかった……」

「……君は罪悪感で、夕月を心配しているのか?」

「……完全に否定することはできないですね。罪悪感はきっと一生消えない。でも、それ以上に夕月には笑っていてほしいんです。これ以上、辛い思いをさせたくないんです。いつだって人のことばっかり考えて、自分は後回しな彼に幸せになってもらいたい。だから私は傍にいないと……これ以上、彼一人に全てを押し付けないように」


 難儀だな、と海斗が呟く。似ているな、と彼は続けた。深くため息をついて、その後微笑んだ。


「外見ばかりで内面はそれほど似ていないと思っていたが。そういうところは似ている。困る程に」


 海斗はそれきり何も言わず、私を部屋に送り届けた後はすぐに帰って行った。

 彼が何をもって私達を似ていると言ったのか、私にはわからなかった。今まで外見ばかり似ていて中身は正反対だと言われてきたのだ。そう言ってきた人達の顔が頭に浮かび、呼吸が苦しくなる。首を何度も振って深呼吸をすると、少し落ち着いた。久しく体験していなかった苦しさを思い出してしまったことに気付く。

 あの世界の記憶。それは忌まわしい思い出ばかりだ。命の危険はあちらの方がないはずなのに、この世界の方が余程楽に息が出来る。いつかあの世界に帰らなければならないのだろうか、そんなことを考えて鳥肌が立った。吐き気がこみ上げ、必死で抑え込む。ここに来たばかりの頃は慣れない環境と嫌がらせで、ずっと帰りたいと思っていた筈だ。それなのに、もうそんなことは考えられなかった。ずっとここにいられたらいいのにとばかり考えている。

 夕月の話を思い出す。私達がこの世界に来たのは偶然ではなく、連れてこられた。だとしたら、どうしてもう少し早く連れてきてくれなかったのか。どんな目的があるのか知らないが、それが良いものであれ悪いものであれ、私はこの世界がそれなりに気に入っている。だから、余計に思う。どうしてもっと早く連れてきてくれなかったのだろう。そうすれば誰も傷つかずに済んだはずなのに。出来る事ならば、誰も不幸になる前に。そう考えたら、笑いがこみ上げた。


「本当に……浅ましいな、私は」


 こちらの世界のことだって、私は全てを知っている訳ではない。

 あちらの世界のことだって、私は全てを知っていた訳ではない。

 私はいつだって主観的で、自分の身の周りにある事実以上のものを見ようとはしない。そんなことはわかっている。それはいいことじゃないということも。

 それでも私には、私を取り巻いていた環境と夕月を取り巻いていた環境が全てなのだ。そして今、常和や煉華やこの世界で優しくしてくれる人達がいるという、ここにある現状が全てなのだ。あの場所は息苦しかった、この世界は優しい、それが私にとっての事実。

 夕月はどう思っているだろうか。私は結局私の都合でこの世界にいたいと思っている。もしそれが知られたら、きっとまた夕月は私の希望通りにしようとするだろう。たとえ彼の思いがどんなものであっても。

 私は本当に夕月のために行動したいと思っているのだろうか。重く沈んだ思考は、暫く私を寝付かせてはくれなかった。

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